お母さんとZoomでいっしょ
みどりです。
木曜日の実験教室、やりました。
私がひとりだろうと心配して、
なんと、お母さんがZoomで参加してくれました。
・・・ありがとう、お母さん。
実験教室の成功と失敗
Zoomで実験ワークショップをやりましたが
声は聞こえづらいし、画面から見切れるし
なるほど、この機材では限界があると分かりました。
そして相手の空気感が読めなくて、
「その顔は分かったってこと?」と
ギャーギャー言いながら進めました。
分かっちゃいたけど、むずかしい。むむむ。
すんなりいったかな、と思えるところは読み合わせで。
突然の参加にも耐えられるよう、テキストは画面共有。
以前から何度か扱っているシェルシルヴァスタイン作、村上春樹訳の
絵本『おおきな木』を声に出して読みました。
少年は木がだいすきで、木も少年がだいすきで、いつも一緒にいた。
でも少年が大人になるにつれて、
今までのようにはいかなくなって・・・
子どもの頃に読んだときは何とも思わなかったけど、
今になって考えさせられる、長く読んでいきたい絵本です。
血はゆずれない
親子で何年ぶり?
いや、初めてかもしれない読み合わせ。
照れくささとかはなくて、ただただ、テキストを読むのに必死でした。
それでも娘には分かる
これが・・・源流だ。
母の絵本の読み聞かせは
今の私につながっているんだ、と思い出しました。
『ハリーポッターと賢者の石』でハグリッドの登場シーンを
まざまざと想像させる腕前。
・・・いや、ハリポタを読み聞かせるってどゆこと?
(今日確認したら、「ハリポタは兄に読み聞かせたんじゃなかった?」と
こちらの美しい思い出を見事に打ち砕いてくれましたが)
作品を通して、パーソナルな思い出話をするのも
参加者との貴重な時間です。
それが親子の場合は一層、感慨深いものがありました。
大人が語りかけてくれたこと
聞かせてくれたこと
きちんと心の中で育っていたんだなあと確認できました。
あなたが最初に受け取った言葉はなんですか
物語はなんですか
忘れていても、どこかで芽吹くときがくるかもしれませんね。
立春も過ぎたことだし
畑を耕して、種まきの準備をしています。