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どこ行っても「ナチュール」「ナチュラルワイン」問題


最近はほんとーによく、「ナチュラルワイン」「ナチュール」専門の酒販店や飲食店を見かけることが多くなりました。街を歩いてもナチュラルワイン、雑誌を開いてもナチュラルワイン…
(そう思いませんか…?)

同時に、ワインの中でも「ナチュールが好き」、「ナチュールしか飲まない」という方も非常に多いと感じています、

この状況に違和感しか感じないのですが…
今回はナチュラルワインブームに切り込む、個人的に難しいテーマです。

そもそも「ナチュールって何?」

「ナチュラルワイン、ナチュール、自然派ワインって何ですか?」
「それ以外のワインと何が違いますか?」

ナチュラルワイン、ナチュールが好きという方々に問いたい質問です。
意外と、この質問に自信をもって答えられる人は少ない気がしているし、恐らく人それぞれの答えが返ってくると思います。

これに答えられることが大事と言っている訳ではなく、逆にどこに線引きを置いて「飲まないこと」を選択してしまっているのかによって、こうしたワインのカテゴライズが、ワインに対する視野を狭めている可能性はないか?という疑問を呈したいです。

ちなみに栽培・醸造に関しての明確な定義に関しては
ナチュールとは -本当の定義や特徴、正しい知識を醸造家が解説!
で説明しておりますが、要は日本ワインにおいてはその定義というのは非常に曖昧です。

私個人的には、特に日本ではナチュールやナチュラルワインというのは、今や売る側の一種の「マーケティング用語」として使われてしまっている印象です。

ナチュールであることがワインの品質を保証するものではない

多くの方が勘違いしていると感じるのは「ナチュールだから味わいがやさしくて美味しい」「ナチュールは体にやさしい」「ナチュールは二日酔いにならない」という考え方です。

・ナチュールの味わいについて
確かに、醸造において「培養ではなく自然酵母で発酵させること」「濾過をしないこと」「亜硫酸塩を添加しない」ことで出る香りや味わいの特徴というのがあると思います。
しかし、だからと言って必ずしもそのワインが「美味しいかどうか」とは全く別の話だと思います。
なぜなら、ワイン造りは一つの醸造過程を切り取って、「これをしたら必ずこういう味になる」という単純なものではないからです。

・亜硫酸塩について
よく頭痛の原因として挙げられる亜硫酸塩ですが、ワインだけでなくレトルト食品などにも使われるものです。
確かにコンビニやスーパーで売られているような大量生産型の安価なワインにおいては、頭痛の原因となる量の亜硫酸塩が添加されているということがあると思います。
しかし、「ナチュール」と呼ばないワインでも極少量の添加で抑えているワインはたくさんあります。
よほど敏感な方は少量でも頭痛の原因になるかもしれませんが、大半の方にとってワインを飲んで起きる頭痛はアルコール代謝によるものと考えるのが適切だと思います。
また、近年では醸造工程において生成されるヒスタミンやチラミンが頭痛の原因となることも分かってきており、これはナチュール云々関わらず生成されるものです。

・ナチュールにおける細菌汚染の可能性について
よく亜硫酸塩や化学肥料の危険性については語られるのに、ワインの「細菌汚染」についてはあまり触れられていない気がします。
これはナチュールだから起きるという話ではないですが、むやみに濾過をしないことや亜硫酸塩を添加しないことにこだわることによって、ワインが汚染されることがあります。
よく馬小屋に例えられる香りは紛れもなく細菌汚染の影響(ブレタノマイセス)です。
他にも、豆臭や除光液のような香りはオフフーレーバー(ワインにとってマイナスとされるもの)とされますが、触れると長くなるので今回は省略させて下さい。

では、なぜナチュールが好きという人たちが存在するのか。
その一つにはやはり、ナチュールと呼ばれるものに感じる特有の香りや味わいが好みということが考えられると思います。

口に入るものである以上、他の食べ物に置き換えたとして、美味しい美味しくない以前に絶対に有機米しか食べない、オーガニック野菜しか食べないという方々はどれくらいいるでしょうか?
きちんとオーガニックでも美味しいからこそ、同じクオリティであれば有機のものを選ぶというのが大抵の人たちではないでしょうか。

なおさら嗜好品であるワインで考えると、ナチュールと呼ばれる製法で造られているから飲む、ということではなく、本来はその味わいに感動しているからこそ飲むと考えるのが普通かと思います。

ナチュラルワインにしかない味って何?

これは確かにあると思っています。
特に自然酵母での発酵、無濾過によって出やすい香りや味わいというのがあります。先に述べたオフフレーバーも、程度によってはワインの複雑味としてポジティブに捉えられるという側面もあります。
但し、それはブドウのクオリティ造り手の醸造技術が高いという二つの条件が重なったワインのみにポジティブに捉えられるものです。

3年前くらいにナチュラルワインの専門店でブラインドテイスティングをして品種を当てるというものがありました。
一応ソムリエ資格を有している私ですが、一つとして当たりませんでした。(もちろん私の力不足もあると思いますが…)
その時飲んだ全てのワインに感じたのは、ナチュラルワイン独特の香りと味わいです。
ナチュラルワインが好きという方はきっとこの香りや味わいが好みなのかなと思います。
しかし、私にはブドウ本来の品種特性が隠れてしまっているように感じました。

店員さんには「ブドウの品種や今までの概念に縛られず楽しんでほしい」と言われましたが

でもそれって、そのワインはそのブドウ品種で造る意味はあるのか?と思ってしまいました(あくまで個人的見解)。

海外では、若い造り手による醸造方法の勉強により、ナチュールでも大分欠陥ワインも少なくなってきたという話も聞くので、また状況が変わってきているかもしれません。

本当に美味しいナチュールは自己主張をしない

ここまで書いていると、ナチュールに否定的なように思われてしまいますが、実は私もナチュールは好きです。

ただ、「ナチュールだから好き」ということではないし、それを選んで買うということもありません。
先にも述べたように、ナチュールだから何か品質保証されているという訳ではないからです。
むしろナチュールと呼ばれるようなワインの造りは、本来はブドウの質と造り手の知識経験レベルが高くないと出来ないことであり、残念ながら世にはそうでないナチュールを手に取ってしまう可能性の方が高いと思っています。(今後は変わる可能性があると思いますが)

ワインはあくまで口に入る嗜好品だからこそ、「美味しい」と感じられることが一番大切だと思っています。
また、美味しいと感じられるものは、その背景にはおのずと良質なブドウと造り手の努力があるはずだと考えています。どう造られているか?という背景の前に、目の前の一杯を自分の五感で感じることが大切なのではないでしょうか。
だからこそ、私個人としては、栽培方法や醸造方法でワインをカテゴライズすることに違和感を感じており、このカテゴライズがワインの本質である「美味しい」ということからかけ離れていってしまっているように思えるのです。

今まで飲んで感動したナチュールは、飲んだ時に何か独特な香りや味わいがあったかと言われるとそういうことではありません。

ワインとして「美味しい」という感動に加えて何とも表現しがたい味わいのやさしさや複雑さ、余韻まで残るブドウ本来の質がもたらす印象というのがありました。

これはきっと、本当にクオリティの高いブドウのポテンシャルをそのまま生かせるような造りをする生産者さんの哲学や高い知識経験レベルが反映された結果だと思います。

こうしたワインは本当に素晴らしいと感じます。

生産者目線で思うこと

よく
「これは濾過していますか?」
「酵母は添加していますか?」
といった醸造工程の一部分に関する質問を受けることがあります。

恐らく質問の背景には、その人の中に「濾過はしない方が良い」「酵母は野生酵母の方が良い」(逆も然り)といった考えがあるのだと思います。

正直、それでワインの良し悪しを決めるのは勿体無いと感じると同時に、ワインの楽しみ方が別の所に行ってしまっていると感じます。

また、栽培方法に関しても過度に「オーガニックだけが良い」と気にし過ぎていると、湿度が多くブドウが病気にかかりやすい日本で、それが造り手にとって持続可能になるのかな?とも考えます。

また、必ずしも「有機農法=環境にやさしい」という訳ではありません。ここでは深く触れませんが、何事も言葉のイメージに惑わされず、多角的な視点でものごとを捉えていくことは非常に大切だと感じます。

なぜこんなにもナチュールを売りにするお店が多いのか

そもそもワイン文化がない日本でどうしてここまでナチュラルワインブームが起きているのか、考えてみました。

私はその理由の一つに、単純に「ナチュラル」という言葉の聞こえが良いからということが挙げられると思います。

ワインを全く知らない人からすれば、「ナチュラル」「自然派」と聞くと「体に良い」「環境に良い」「サステナブル」というような言葉と自然に結びつくのではないでしょうか。

また、ブドウ品種やテロワールといった難しい切り口でワインを語られるより、単純に「化学肥料を使わない」「なるべく人為的介入をしない醸造」と言われたワインの方が「何か良さそう」と直感的に思うのだと思います。

真剣にナチュラルワインに取り組んでいる生産者さんは、ナチュラルで造ることにこだわっている訳ではなく、美味しいワインを造ろうと突き詰めた結果そういう造りになった、ということだろうと思います。

日本ではあまりに、「造り」にフォーカスしたり、聞こえの良い言葉を鵜呑みにし過ぎたりする傾向があると感じます。

ナチュラルかそうでないか、助長する酒販店・飲食店の存在

私が最近一人悶々としながら憂ているのが、日本人のワインを選ぶ基準がナチュラルかそうでないか、の2択になってしまっているのではないかということです。

ナチュール好きはそれしか飲まないし、クラシック好きはナチュールを敬遠しがちなのではないか…?

それを助長しているのが、ナチュラルワインしか置かない酒販店や飲食店の存在だと思います。

カテゴリーに関わらず「美味しい」を基準にワインを扱うお店が増えれば、今までナチュールしか飲まなかった、今までナチュールを敬遠していた、という人たちが交わることができるのではないかと思います。

最後にもう一度言わせていただくと、ナチュールを否定したい訳では全くなく、むしろもっと美味しいナチュールが飲めるようになれば良いなと思います。

ただ、そもそもワインを飲む文化がまだまだ定着しない日本で、ナチュールという言葉がワインそのものより先行してしまっていると感じています。
どこに線引きを置いて「飲まないこと」を選択してしまっているのかによって、本来のワインの楽しみが少なくなってしまうのではないか?ということを書かせていただきました。

MARO Winesではワインの本質は常に、目の前にある「美味しい」一杯だと考え、皆さまにお伝えしていきたいと考えています。

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