生死について考えさせられる『人魚の眠る家』
これはなかなかに深い映画でして。
映画の内容というよりも、テーマかな。
篠原涼子の演技が鬼気迫る、娘への愛が詰まった物語ではあるんだけど、
それ以上に、人の生死についてすごく考えさせられるんだよね。
ほぼ脳死している娘に、電気信号を人工的に与えることで体を動かして、「生きてる!」って言ってるんだけど、
それは本当に生きてると言えるのかどうか。
「脳死は死なのか」ということについては、
中学生のときに議論したような気がするけど、
個人的には「心臓が止まったら死」だと思っています。
そうすると、今回の娘のような状態は
「生きている」ということになるんだけど、
実際俺の答えはNoで、この場合は、
あくまでも「死んでない」「条件付きの生」ということで、
自然に生きているとは言えないという考えです。
だから、篠原涼子は俺からすれば、
親のエゴで娘を無理矢理死んでないように見せているだけで、
「様子がおかしい人だ」「歪んだ愛だ」なんて思ってしまったけど、
自分もばーちゃん死んだときは、
何としてでも生きていて欲しいと思ったから、
気持ちは痛いほどよくわかった。
(まあ寿命で亡くなった祖母と、まだ未来がある子供とでは、
事情も異なってくるかもしれないけど)
生死の議論は人それぞれだと思うので、
その人の思うように定義して、
それに則って生活していけばいいと思うけど、
今後技術が発達して、
例えば、機械の体で何不自由なく生活できるようになったら、
また生死の考え方も変わるのかなあと思ったりもした。
ちなみに、今回、西島秀俊が社長だから、
あの延命措置も費用的に問題なく実施できたのだろうけど、
実際は誰でもできるわけではないから、
人の寿命も収入によって左右されるだろうなということもふと考えた。
まあ、そういうことは抜きにしても、
篠原涼子と西島秀俊、
そして個人的には松坂慶子の演技が素晴らしくて、
それだけで見る価値のある映画だとは思う。
子供がいる人は特に刺さりやすいんじゃないかな。
俺は子供はおろか結婚もしていないので、
特に泣いたりとかはなかったけれども。