去りぎわの美学。 2005-12-05
スッと差し出された右手に、私は自分の右手を合わせる。
「じゃあ、またお会いしましょう」
Hさんはそう言って笑顔で私の手を握る。
名残惜しい気持ちでいる私を残し、Hさんは踵を返して歩き始める。
私は二、三歩進んで振り返る。
Hさんは立ち止まらない。どんどん歩き続ける。
いつも同じ。遠ざかってゆく背中を見えなくなるまでボーっと眺めるのだ。そう、取り残された私は寂しさを噛みながら眺めるだけなのだ。歩き続け、決して振り向かないHさんの背中を何度見ただろう。そのたびに私は「潔い去りぎわだなぁ」そんなため息とともに帰途につく。
「立ち止まれない人、ですね私は。常に何かに挑戦していたいんです。」
Hさんは以前、私にそうおっしゃったことがある。だから別れた後の背中を見るたび、「Hさん自身の生き方のようだ」と思うのだ。
情けないことに私は、その時思ったことを「その時」「その相手」にうまく伝えるのが本当に苦手だ。解ってもらいたいという気持ちが強い相手であればあるほどスマートな会話が成り立たない。いっそ消えてしまいたい、そんな恥ずかしさに襲われる。だからその「伝えきれない思い」が未消化のまま残り、別れ際にぐずぐずしてしまう。考えてみるとその姿も、今の私の生き方に似ているのかもしれない。
私も・・・潔く生きたい。
Hさんにはお会いするたびにいろいろなことを教わるが、その去り際の背中から一番大切な事を学んだような気がする。
先日Hさんにお会いする機会に恵まれた。いつものように握手を交わして別れ、反対方向へと歩き始めた。
けれど私は振り返るのを止めた。笑顔で、背筋を伸ばして、早足で歩き続けた。
今日、この瞬間から、Hさんのように生きて行く。
そう決めたからだ。
【散在していた書いたものを少しずつnoteにまとめています。】