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明日は来るから  2011.04.12

夕食準備で賑わう近所のスーパー。私も息子を保育園に迎えに行き、手をひいて(正確には引きずって)スーパーに駆け込む。
車の形をした重〜いカートを押しながら、取り急ぎお刺身でも・・・と手に取った瞬間、聞き覚えのあるイントロが流れてきた。

「明日は来るから」 東方神起

「明日は来るから」は現在32枚目をリリースしている東方神起が2006年に出した4枚目のシングル曲でジャケット写真もブレイクする前の彼らが初々しい。

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何度も何度も立ち止まりながら 笑顔と涙を積みかさねてゆく
ふたりがあるいたこの道のり  消え去ることはないから

雨降るときには君の傘になろう 風吹くときには君の壁になろう
どんなに闇の深い夜でも かならず明日は来るから

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おそらく、有線では「がんばろう日本」の意味を込めて、「勇気が出る曲」のようなチャンネルができているのだろう、この曲の前は槇原敬之の「どんなときも。」「負けないで」などだったことから推察してみる。

今はJYJで活動する3人の歌唱力が際立つこの曲を聴きながら、鮮魚ケースの前で考えてみる。「どうして東方神起はこんな事になっちゃったんだろう」・・・
この現状はその当時、彼らのうちの誰1人として望んでなかったことに間違いないだろう。けど、もう、今は違う。信じたくなくても3人は明らかに2人に対して以前とは別の気持ちを持ち、それが時には敵意にすら思えてくる。それでもユノは「早く帰ってこいと言いたい」と韓国のTVで語っていた。

小さな誤解、見解の違いから、人と人との間に見えない溝ができる。その溝はお互いの気持ちを無視してあらゆる利用者の手によって深く、大きくなってゆく。
そのうち、自分たちのやっていることを正当化しなければ生きてゆけないことに気付いて相手を憎むようにすらなってゆく・・・。
これは、何も5人の出来事に限ったことではない。目の前のものを掴みたいが故、話したくないが故、敢えて耳をふさいでいるうちに何も聞こえなくなっていったのだろう、そういうことは日常生活の中にもゴロゴロと転がっている。

最近、いろいろなことを思い出す。詫びても許してもらえないだろうな、何であんなことをしていたのだろう。と、思い返せば情けなくなるほど周りの見えない時期もあった。子どもの頃に人をいじめて、その過ちに気付いたときには相手に詫びる機会もなく贖うこともできず自ら命を絶つ30代がいると聞いた。
今この瞬間、人に恥じることない生き方ができているか、人の痛みを感じられるか、そして、己の心に誠実であるか、いつも自分に問いながら生きていかなければいけないんじゃないか、強くそう思うのだ。

これでもか、これでもか、と毎日のように容赦なく余震が続く中で、避難して留守になった家に泥棒が入っている。もし、彼らが逮捕されなくてもきっと天罰が下るだろう。いつか自分の罪の大きさに気づき、その罪の意識に嘖まれ、重い荷物を背負うだろう。
JYJは避難所にもなった埼玉スーパーアリーナで、なんとチャリティイベントを開くそうだ。驚いた。人の気持ちを踏みにじりながら、何某かでも人の助けになろうというのか。私自身、義援金に対しては「売名行為でもカッコつけでもいいから」してほしいと思っているので、チケット即完売の彼らの寄付にも大いに期待するけど、なにも被災地へ行かなくてもできるでしょうに・・・とは思う。
そして、泣くに決まってる彼らのあざとさにもうんざりする。せめてお願いだから、このイベントで儲けようなんて思わないでほしい。もう、それだけ。

まだ、ブレイクを知らない、異国の地で寂しさや辛さに耐えてコツコツと地道に活動していた頃の5人の「明日は来るから」を聞きながら、祈るように思っていたこと。

気付けば、広告の品「旬のお刺身三点盛り・398円」は残っていなかった。



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