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『鴨川等間隔』
娘の様子を見るついでに私の帰省も兼ねて京都を訪れた。
娘は春に京都市内の大学に進学した。
娘に会うのは入学式以来、半年ぶりになる。
夏休みに2週間ほど帰ってきていたが私は仕事の都合で会えなかった。
妻は娘と2人で過ごせたことを喜んでいたが。
私の実家は京都市の南の方だ。
娘が大学に合格した時には私の実家から通えばいいと思っていた。
私の両親も孫の世話ができることを喜んでいた。
しかし、妻と2人で北山通り近くのワンルームマンションを契約。
両親は私だけに愚痴を伝えてきた。
娘の部屋を訪ね、近くのレストランでランチを食べた。
その後、娘は友人と約束があるとかで別行動になった。
「じゃあ、またね」
またねというのは、夕食は私の両親も交えて一緒にとる約束をしている。
こんな時ぐらい一日一緒にいろよと言いたかったが、妻が笑顔で手を振っていたので黙っていた。
妻の希望で繁華街を散策することになった。
妻は関東の生まれで、結婚してからの数回の帰省以外京都に来たことがない。
結婚するまでは、京都というと舞妓や芸妓がどこにでもうろうろしていると思っていたくらいだ。
新京極通りを時々店に立ち寄りながら歩き、四条通りに古くからある紅茶専門店で休憩した。
四条大橋の上まで来た時、ふと思いついて立ち止まった。
「見てみなよ」
私は堤防の上を指差した。
「カップルが等間隔で並んでいるだろう」
「ほんとね。ちょうど測ったみたいに」
妻はわざわざカバンからメガネを取り出した。
「心理学的には法則があるらしいんだけどね」
妻はメガネをかけて見入っている。
「京都の男子は、みんないつかは鴨川で等間隔に座りたいって思うんだよ」
カップルの何組かはこちらを見上げている。
「もてない男子は、上から見下ろしているのに、あそこのカップルから見下ろされている気分になるんだ」
下りてみましょうよというので、2人で堤防に降りた。
隣のカップルとの距離を測りながら腰を下ろした。
あちらこちら紅葉の季節だったが、暦の上ではすでに冬。
風は冷たかった。
「おい、あの子もいつかはここに座るのかな」
「もう、体験済みかもね」
妻が肩を寄せてきた。
あいつはと、私は古いある日のことを考えていた。
あいつは、結局ここに誰かと座ったのだろうか。
向こう岸で幼い子がシャボン玉を吹いている。
シャボン玉は橋の欄干を越えてさらに高みにまで舞い上がっていった。
私とそいつは幼馴染というのだろうか。
小学校から高校まで同じ学校に通っていた。
しかし、ほとんど会話することもなく、一緒に行動することもなかった。
ただ、ずっと同じ学校だから、名前と顔は知っているというくらいだった。
高校は私学だったのだが、卒業前に中学の教師からそいつも同じ高校だからよろしくと言われた時には驚いた。
どちらかというとスポーツの盛んな学校で、私も野球をやるために入学したようなものだ。
そいつはむしろ文科系のタイプ。運動神経もそんなに良くない。
何のためにこの高校を選んだのか。
入学してからは、そいつのことなど全く思い出しもしなかった。
3年になって進学のことが話題になる頃に、そいつは「実家の電気屋を継がはるらいしわ」と母から聞かされた。
親同士の方が、買い物とかで言葉を交わすことが多そうだ。
結局、夏の予選では3回戦で敗退して、私の高校野球は終わりを告げる。
それからは、遅れを取り戻すべく猛勉強した。
東京の大学に行きたかった。野球はもうやるつもりはなかった。
ただ、都会への憧れ。
そのころの私にとっては、京都は古いだけの町だった。
私は猛勉強の甲斐あって、東京のある大学に進学が決まった。
第一志望ではなかったが、それよりも、少しでも早く東京暮らしを始めたい。
期末テストも終え、あとは卒業式を待つばかりという頃、そいつから連絡があった。
助けて欲しいと。
何でも、少し前に寺町のどこかの路地で他校の生徒と肩が触れ合ったらしい。
いわゆるカツアゲというやつだ。
その時には、ほとんど金を持っていなかったために、数百円だけ巻き上げられたが、後日どこそこに持ってこいということになったらしい。
それが明日だというのだ。
何で俺にと思ったが、その高校でそいつが頼れるのは結局3年経っても他にいなかったのだろう。
経験上、脅しだけで多分相手は現れないとは思ったが、付き合うことにした。
特にやることもなかったからだ。
当日、河原町の約束の店の前で、2人で待っていたがやはり誰も現れなかった。
帰ろうと言ったが、そいつがもう少しと言うので、さらに30分待つことにした。
結局昼頃になったので、まだ心配そうなそいつを説得して、その店の2階でラーメンとチャーハンを食べた。
もちろん、そいつのおごりだ。
京阪電車で帰るために四条通りを歩いていた。
とにかく名前も電話も教えてないんだから、もう気にするな。
食事の後も何度も言い聞かせて、ようやく落ち着いたようだった。
四条大橋の上でそいつは立ち止まった。
「俺さあ」
と橋の欄干に肘を乗せて話し出した。
「あそこに、彼女と2人で座るのが夢なんだよね」
私も同じように肘を並べた。
「まあ、がんばれよ」
しばらく2人で堤防に等間隔で並ぶカップルを見下ろしていた。
「電気屋、継ぐんだろ」
手持ち無沙汰な私がいうと、
「東京に行くんだってな」
私は堤防を見つめたままうなづいた。
「こんな田舎とは、さよならだよ」
「そうしたら、寂しくなるな」
私はそいつの横顔を見つめた。
寂しくなるなって、何でや。
なぜかその問いを声にできなかった。
寂しくなるなって、何でや。
どこからかシャボン玉が風に吹かれて舞っていた。
何度目かの帰省の際に、そいつの家族は「電気屋を閉めて何処かに行かはったわ」と母に聞かされた。
店舗と自宅を兼ねていた少し広めの土地には、今ではワンルームマンションが建っている。
鴨川等間隔
寄り添う恋人達の心理的距離
風になびく髪を
耳にかける仕草だけは許してやろう
鴨川等間隔 橋の上
見下ろしながら見下される
十六文キックでカミから順に
蹴落としたりたい気分だぜ
岡崎体育「鴨川等間隔」