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「逃げ切ったもん勝ち」の世の中


私たちの業界は今現在、コロナがなかったとしても変化の時を迎えていて、(コロナで加速した感はあるけど)中小企業を中心に、何か考えていかないと生き残れない時代になっています。
同業の某社の話。
危機をヒシヒシと感じ、あれこれとシステム改修の提案をしているがもう数年でリタイアを迎える上席の返事は
「もう、その頃俺はいないからさ」
なのだそう。
それが
「いないから、実際に利用する君らが具合の良いように改修してくれ」
という意味ならまだ理解できるけれど
「いないから、関係ない」取れるようなニュアンスで、予算配分もしてくれないのだそう。
(ご本人にその気がなくても、そう部下が受け取っているのが悲しい)
それを聞いて思う。
今の時代「逃げ切ったもん勝ち」の風潮が強くないか、と。
某社の上席のことを単に責められないのは、
私自身も地球温暖化、食品ロス、資源リサイクルなど
後の世代が背負う問題達に対して
「私の生きているうちは大丈夫だろう」
とどこかで感じてるところがあるから。
(もちろん、ゴミの分別などはきちんとしてます)
どうなろうが知ったこっちゃない、とは思わないけれど、実際の問題としてとらえきれないところがある。
世間話で話題になる年金問題も私より10数年ほど年上の方は
もうすぐ貰えるという気分から
「君たち大変だね~ ははは」と笑う
それは国のシステムだからその人が悪いわけではないのだけれど、良い気はしない。
今、この国を覆っているのは「逃げ切れる人」と「逃げ切れない人」の分断と、己の努力とは関係なく生活苦になっていく可能性だけが高まる閉塞感なのではないだろうか?
「ファイティング眞子さん」の記事でも少し触れたけれど、今、K氏を必要以上に責め立てているのは、メディアの煽りでもあるけれど、K氏を「逃げ切ろうとしている人」と認識している、今後の生活に漠然とした不安と不満を覚えている層なのではないかと思う。
自分の生活に不安のない人は、人が得をしていても気にはしない。
実際の私の周囲は金持ちほど「コムロマコ」問題に興味がない。
「金持ち喧嘩せず」だ。
話はそれたが、逃げ切れる立場の人の中に、振り返って、後ろからついてくるその人たちのために、何か行動を起こす政治家や企業の責任者ががどれくらいいるのだろうか?
先週の大河ドラマ「青天を衝け」の若き渋沢栄一のセリフに興味深いものがあった。
「今の政府は、貧しい者は己の努力が足りぬのだから政府は一切関わりないと言っている。
助けたい者がおのおの助ければ良いと。
しかし、貧しい者が多いのは政治のせいだ」

政府御用聞き放送局と言われるNHKがよくも流したなと思う、気風のいいセリフだった。
成り上がりの商人・岩崎弥太郎は「能力ある一握りの者が世界を動かせばいい」という自助と私欲の権化。
それと対比する 渋沢栄一の公助・共助の精神の対立構造が来週から始まるようだが、
それにしても岩崎弥太郎の大河での扱いはいつもひどいなぁ
香川照之の時は、「(風貌が)汚すぎる!」
中村芝翫は、「腹黒すぎる!」(加えて、個人的には顔がデカすぎると思う)。また、岩崎家の子孫は文句を言いたくなっていらっしゃるのではないでしょうか?
今の政治の中枢には明治維新を乗り越えた志士の子孫が少なからずいる。
多くの血と死体の山の上にできた新しい日本が、150年しか持たないのであれば、祖先に笑われよう。
徳川の世に100年も及ばない、と。

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