陰謀論・少数派論に執着してしまう精神構造
今回のコロナ禍で残念ながら明らかになったことに、親しいと思っていた人の意外な一面がみえてしまったことがあります。
声高にマスク不要・コロナ無い論を唱えたり、ワクチン接種に関する書き込みに過剰に反応したり、逆に世の流れに反して飲みまわったり。そういう人ってどうしてそうなるんだろうかと考えました。
どこか生活の中で社会や他者に対して不満を感じていたり、自己実現ができていなかったり、生育過程のなかで自己をうまく肯定できていない、または直近で自己否定されるような、希望が砕かれるような事象に出会ってしまった人に多いのが、「他人より優れている自分探し」をすること。
その動きが、実際の身体の機能面や学習など自己実現につながるなど良い方向に向かうこともありますが、たいてい心身ともに疲弊している場合が多く、そういう時には、世間に話題になっている話題へのネットを通じた参加という形で表れてしまいます。
自分だけ、もしくは少数しか知らない情報を「知っている自分」を主張する。 情報の真偽の前に「少数しか知らない」ことで自分の優位を示そうとするために、NET界でガセネタに引き寄せられやすく、同じ理屈を信じる人のみと結託し、その世界のから「何も知らない愚かな他者」を見下すことで充足感を得ようとしてしまう。さらに進むと、「誰も知らない”真実”の情報」を求めるあまり、自分で理屈やありもしない科学的な根拠を捏造してしまうようになる。
「自分だけが知ってることがあって欲しい」と願うあまり、思考の暴走が止められない。それほどに実は深い闇を抱えている。
おそらく、ここ数行の少数派論を、多くの人は「ふーん」とやり過ごすだろう。もしくは「何の話?」と首をかしげるかもしれない。しかし、闇を抱えた少数派論者は、これに反応するはずだ。「いや、自分は間違っていない。真実を知っているからそれを世間に知らしめているだけだ」と。
考えてみてほしい。この短い数行の文は誰を特定しているわけでもない、なにか具体的な「少数派の理論」を指しているわけではない、”アナタ”を責めてるわけでもない。でも「自分は違う!」と叫んでしまう。それ自体が「自分は実はそうだ」と心の奥底で気づいていることを示している。それを打ち消すために反撃する、その行動そのものが「自分は何者であるのか」を知らしめてしまうことに気づけずに。