「先進国出身」アイデンティティと救って「あげよう」という認識は永遠に変わらないのかもしれない。
かつてのアメリカ開拓ではイギリス人がインディアンを”救済”するために、”文明化”させるために、キリスト教徒化によって”幸せ”にするために、インディアンの文化を破壊し、インディアンたちを殺害した。
かつての日本人は欧米からアジアを守り、アジアの繁栄を夢見てアジア諸国を侵略し、虐殺を行い、資源と労働力をぶん取ることで、大東亜”共栄”圏を作った。
もちろん、今から考えればこんなものは自らの行動の正当化にすぎない。しかし、その当時は心からそう思っていただろう。”先進的”な自国の文化・文明・技術を使えば、他の国も幸せになるだろうとー
そして僕も今現在そう思っている。せいぜい先進7カ国(G7)とか先進20カ国(G20)とかの間で”国際的”に正しいと考えられていることを、経済発展がうまくいっている国を除いたアフリカ諸国やアジアの国々に求めることで、うまくいくんじゃないかと。というか先進国の住民はみんなそう思っているんじゃないだろうか。
最近は日本が先進国から脱落した、とか、安い国になったとよく言われている。100年単位で見れば日本に将来性があるとは思えない。だけど僕が一番活発に動くであろうこれからの10年であれば、日本の国際的地位が圧倒的に低下することはない思う。世界三大証券取引所といえば、ニューヨーク、ロンドン、東京だし、G7に唯一入っているアジアの国であるし、国連分担金の負担割合ではアメリカ、中国に次ぐ第三位に位置している。検討ばかり(と世間では思われている)の岸田さんでも、バイデン大統領、マクロン大統領、オラフ首相と肩を並べられる日本は伊達じゃない。
生産性が改善せず、人口が減少することを考えれば日本の経済的な存在感は薄れるであろうが、政治的な存在感はそこまで薄れないと思う。やはり”遅れていた”アジアから最初に抜け出した日本の先駆者的土台は堅いと思う。かつて世界の半分を支配していたイギリスが今では小さな島国に縮小したにも関わらず、今でもある程度の影響力を持っている状態を見るとそう感じる。
そこで経済が落ちぶれても、日本人に残るものってなんなんだろう。さっき述べたように政治的な影響力は残ると思う。(特にアジアでは)あと残るもの一つが「先進国出身」というアイデンティティなんじゃないかと思う。
多分これが日本の成長を圧倒的に妨害してきたと思う。先進国という地位に甘えてきたんじゃないかと思う。これが原因で中国での技術開発やアフリカでの新しいビジネスモデルを導入することをしてこなかったんだと思う。なぜなら日本の方が先進国だから、
そして僕の中にもこの先進国出身の人物であるというアイデンティティが存在しているなあと思う。先進国で高等教育を受けた自分が、発展途上国を支援して”一緒”に進んでいきたいと思ってしまっている。たぶん隙があれば僕は簡単にかつてのイギリス人みたいになる。簡単に大日本帝国に戻る。
優劣を”ひとつ”の評価軸だけで決めない多様な社会に変わろうとしている。その多様性の中で協力して”ひとつ”の方向に向かうことは難しい。発展、平和、幸せに関する世界共通の定義は存在しないだろう。これからはそれらに関する解釈はもっと分裂していくだろう。
これからの国際社会はどうやって進めていくのか。新しいルールをどんどん作るのか。やはりある程度文化のまとまりで区別をつけるのか。お互いを徹底的に理解しようとするのか。
そんな時に重要な役割を担える人物であるために、「先進国出身」という認識を捨てるべきか。それとも「先進国出身」だからこそ役割を果たすべきか。
先進国が築き上げた技術を土台に上から目線で救ってあげる方が即効的なのか。お互いにゼロベースから策を練る方が平和的なのか。
どうであろうと選択権は先進国側にある。これまで先進国が多くを決めてきた権力構造は簡単には変わらないし、だからこそ秩序が保たれている側面もある。
そんなことをせいぜい日本(21年)・アメリカ(1ヶ月)でしか生活したことがない、先進国しか知らない若造が考えてもどうしようない。教室、図書館、家から”観察する”発展途上しか知らない。
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