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【番外編-2】明るい未来のために‥‥『おーい、大丈夫かい、人類!?』(by 分身主義)

科学的に考えれば、この宇宙には、適応しない状態で存在しているものは一つもない。

その意味で、「異常」「障害」と呼ばれていたものは、人間の価値観から見るから「異常」「障害」なだけで、自然界から見れば「異常」でも「障害」でもなく、それがちゃんと自然界に適応している状態だった。

それが自然界中心に見る科学の視点だ。
なぜ自然界中心に見る科学の視点が必要かというと、そうしないと、人間の煩悩ぼんのうで濁って「自然界の真実」が見えないからだ。


しかしだ。
この宇宙に唯一「障害」と呼ぶべきものが発生してしまった。

それが人間の理性だ。
(この記事は読むのに45~50分です。このnoteに書かせていただいた「分身主義」の集大成なので、どうか最後までお読みください🙏【19.667文字】)



🔖⑦ 「理性」こそ邪悪を作った張本人だった

人間が「理性」を持ったこと自体は、人間が自然界に適応した上での出来事だったけれど、でも、他の動・植物たちと違って「自然界では生きづらさという”障害”を抱えてしまった」ことには間違いない。

「理性」を持ってしまったために、やりたくても我慢しなければならなかったり、やりたくなくても頑張ってやる必要が生まれた。

それだけでなく、他人を思いやる優しさも持ってしまったため、余計な心配を背負い込むことになったり、あれこれと思い悩むことがたくさんできた。

まったく「人間としての生」を生きるということは、苦難の連続だ。

これをジジイは、人間とは、「理性」という、自然界を生きるには唯一の「障害(生きにくさ)」を抱えてしまった動物である、と捉える。

ここだけ見れば、「理性」は、野蛮で利己的な「本能」を抑制していると考えるのも、あながち間違えてはいないような気がする。


しかし、理性を持ったことによる「弊害」はそれだけではない。

実は、「動物にとっては悪いことでもなんでもなかった本能的な行動が、人間になると途端に邪悪と結びついてしまった」のも「理性」を持ってしまったせいなんだ。

「理性」とは:
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
(goo国語辞書より)

この定義でもわかるように、人間が「言葉」を持ったことにより、人間という動物だけに「理性」は作られてきた。

自然界と地続きだったある種の動物が、ある日、言葉を用いることになり、自分という意識(=錯覚の自我)を持ち、自然界と対峙たいじするようになった。
「自分」という意識を持つと、当然、「自分ではないもの=他者」を意識することになる。

それは必然的に、他者の今の行為は「自分にとって良いものか悪いものか」の裁定が生まれるようになる。

そこで、「悪」という概念が生まれたんだ!

ちょっとややこしいけど、人間に「自分」という基準が生まれたから、「本能」にコントロールされている利己的行動に対して、「悪」という評価が生まれたわけだ。

動物の本能というのは個体の生存に関わるものなので、遺伝情報が受け継がれるうちに、ますます「利己的」な方向に向かっていく性質のものだと考えられると言ったよね。

人間だってそうだ。

利己的な「他者の行動」は、自分にとってすべて「悪」になるのは当たり前のことだ。そりゃあそうだろう!?
子どもでもわかる道理だ。

「理性は本能の暴走を抑えるためにある」、「理性は邪悪を取り除いてくれるものである」、と信じている人が多いと思うけど、それはまったくの誤解だ。「理性」さえなければ「本能」を邪悪だと評価する基準も生まれていなかった。


つまり、「理性こそが邪悪を作った張本人だった」と言える。


しかも、理性は、その邪悪さの「言い訳」のためにうまく利用されてもいる。このどこが本能の暴走を抑えていると言えるのだろう。


前回の記事で、政治家になるような人たちの本能の強さを調べたけど、彼らは本当にうまいこと理性を駆使して「言い訳」をする。(彼らが悪いというわけでは全然ないんですよ)


元々、本能というのは、遺伝情報をバトンしながらますます「利己的」に向かう傾向がある。だから、現在その最終段階まで来てしまっている我々人類の「利己的」が、お互いの行動に対して「激しく批判をし合う」傾向にあるのは納得できるよね。

ジジイの子供の頃はここまでひどくなかったから、ここ半世紀くらいで、かなり急速に「利己的傾向」は末期的な状態になってしまっているということだ。

現在では、いたる所に監視カメラがつけられ、30を超える数の「〇〇ハラスメント」が作られ、神経質なまでに個人情報が秘匿ひとくされ、そのくせその秘匿をいいことにSNSで誹謗中傷や罵詈雑言ばりぞうごんという、個人批判や社会批判をしまくる。

他人に対する猜疑心さいぎしんはいっぱいなのに、その逆にやたらと個人を崇拝すうはいする。
実は、個人主義というのは、他者を崇拝することで「自分」が崇拝される夢を見ているのだ。

そして、アイデンティティの確立、自己実現、自己啓発などという言葉が行き交っている。それを煽り、商売にしている企業も大盛況だ。

だけど、アイデンティティの確立、自己実現、自己啓発‥‥などをするための「自分」とは、神経系の錯覚でしかなかったと、今では科学は解明している。そんな幻想におびやかされ、幻想に夢を見させられて、その結果、自己啓発関連の本や企業や、金儲けのセミナーなどにお金をむしり取られていたんだ。

違うかい!?

テレビでも新聞でもインターネットでもSNSでも、あらゆるメディアでも、誰かが誰かを「批判」する声が絶えることはない。
そして、アイデンティティの確立、自己実現、自己啓発などという言葉が氾濫しているだろう!?

よ~く、思い出してみてください!?

一日だって、他人を批判する言葉を聞かない日はないだろう!?
一日だって、個人を鼓舞こぶしてあおる言葉を聞かない日はないだろう!?

今の人たちは当たり前すぎて、言われるまで気づかないだろうけど、ジジイが子どもの頃はこんな状況ではなかった。むしろ、総理大臣や政治家や学校の先生に対して、みんな尊敬して批判の一言も漏らさなかった。

テレビに、ときの総理大臣が映ると、おばあちゃんは「ほら、この人が日本で一番偉い人よ!」と教えてくれた。現在では体罰をした先生は激しく批判の対象になり訴えられるけど、昔は先生に殴られても、心の中で悪かった自分を責めていた。

みんなと遊ばずに勉強ばかりして良い成績を取る秀才は「ガリ勉」と呼ばれて、ひ弱で利己的な人間と軽蔑され、みんなと仲良くできる人間が友達の間で評価された。塾なんて行く子供は算盤や習字くらいだった。

「個人情報の漏洩ろうえい」なんて言葉もなく、戸建こだての家でも、夜も平気で鍵を開けっぱなし、暑い日は戸を開けっ放しで寝ていた。最近は、隣室に住んでいる人がどんな人かわからないという人たちが当たり前だけど、ジジイの子供の頃は、自分の家の一区画(20世帯くらい)のほとんどの名前を覚えていたし、どんな人が住んでいてどんな子がいるのかもわかっていた。

通信手段は手紙くらいしかなかったので、数日かけてコミュニケーションをとっていた。危篤きとくなどの連絡は電報の役目だった。電話はそれほど普及していなかったので、必要な時は借りに行ったり、かかってきたら呼びに来てくれたりして助け合っていた。

陰で噂話はしても、公の場所で個人の誹謗中傷なんて、絶対にあり得なかった。

みんな貧しかったから調味料などの貸し借りなどもして助け合って暮らしていた。現在ではたとえ貧しくても、隣の人に調味料や米を借りにいけるはずもない。まだその頃の日本は「和」の心で、利己的とは程遠かったのに、どこかから来た個人主義の影響で、半世紀でこんなになってしまったんだろうね。

やたらと自分の権利を主張し、何でもかんでも訴える訴訟の国アメリカでは、自分が生きにくさを感じているのは親の育て方のせいだったとして、自分の親を訴え、実の親から莫大ばくだいな賠償金を取るケースも増えているらしい。

今では日本でも、ゴシップネタがもてはやされ、批判の嵐で何をしても逃げ場がない社会。昔は個人的な行為が、周りからこんなに批判されることはなかった。

「昔の日本に戻れ」と言っているのでは全然ない。
そうではなくて、はるか昔に人類が言葉を持ったおかげで、自然界と対峙してしまってから、「利己的」を目指してひたすら邁進まいしんしてきてしまったと言いたいんだ。その結末が批判だらけの現代社会だ。

今の僕たちの「自我」は錯覚だった。
自・他の意識も錯覚だった。
その、錯覚から生まれた「理性」は、自分で「本当の自分」を傷つけるばかりだ。

批判、批判、批判、それらは全部、自分で自分の身体を傷つけていたんだよ!

自傷行為をしていたんだ!


「錯覚の自我」にがんじがらめに縛られて、個人個人にバラバラにされてしまい、利己的になってしまった心が、今では瀬戸際に追い込まれて、何をどうしたら社会が良くなるのかわからないまま、ひたすら互いを批判し合っていたんだ。

それは、世界中のみんなが、自分で「本当の自分」を傷つけ合っていたんだ!

その証拠に、批判の言葉で何かが改善したかい!?
自分たちの《環境》を少しでも良くしようと外に目を向けて批判をするのはわかるけど、個人主義が末期に来ている今は、改善するどころかさらに新たな争いを招いただけだろう!?

鼓舞されたからって自分の生活の何かが向上したかい!?
お金をむしり取られて終わってやしないかい!?
余計に落ち込んだりしていないかい!?

結局は、状況はもっと悪化するばかりだろう!?

僕たちは生きることが苦しくなるばかりだろう!?

その原因は、世界中の人が「錯覚の自我」という勘違いにガチガチに縛られていたからなんだ。気づかずに「本当の自分」を批判していただけだったんだ! 気づかずに「本当の自分」を追い込んでいただけだったんだ。


ものを考えたり行動を起こすための土台となる、「自分」という認識が間違っていたからだ!



ある種の動物が言葉を覚えてから、「錯覚の自我」という幻想にずっと取りかれてきた。「とんでもない勘違い!」の中を突き進んできた。

その「錯覚」を世界中の人が共有していたから、誰一人「錯覚」だと気づかないで来たんだ。


もう僕たち人類の本能は、動物たちの本能をはるかに超えて、「利己的」の末期状態まで行き着いてしまった。


もう、この世界は、利己的本能の強い人間しか生き残れない末期状態の中でみんな生きているんだぞ!

そうでない人たちは、まだ歯を食いしばって頑張っているか、無関心を決め込むか、頑張りの糸が切れてますます「錯覚の自我」に閉じこもる。あるいは宗教やスピリチュアルなどに自己の救済を求めるしかない。

だけど、我らが誇るべき宮沢賢治分身さんが言うように、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」はずだ。


🔖⑧ 分身主義の視点

文系だったジジイが、世界平和のためには「本能」の研究が必要だと直感して、そこから科学の勉強にのめり込んだんだけど、そうしてたどり着いた視点に「分身主義」と名前をつけた。

今から18年前の、2003年5月13日のことだ。

「分身主義」なんて名前はどうでもいい。重要なことは、科学がついに我々の行動のメカニズムを解明し、我々の真の姿を解明したということだ。


『分身主義の第1定理と第2定理』

この「第1定理」と「第2定理」を見ればわかっていただけると思うけど、人間は今まで言われていたような、「自分の意志」で思考し行動を決定していたわけではないということを明らかにしている。

だけど、科学が解明していることなのに、当の科学者がまだ気づいていないというていたらくだ。

気づいていないどころか、けっこうたくさんの科学者が「成功するために、強い”意志”を持ちましょう」みたいなことを平気で言っている。

ノーベル賞を受賞したある科学者も、つい先日、そのようなことを言っていたし、一番気付いて欲しい脳科学者が、「夜汽車に揺られて外を見ていたら、もしかしたら自由意志などないのかもしれないと何気なく思った」などとロマンティックなことをブログに書いて終わりにしている。

お願いです、科学者様たち。
科学が「自由意志などない」と解明しているのに、どうしてあなたたちは、そのことに目をつむるのですか? どうして「科学的覚醒」を拒むのですか?

現在の地位を失いたくないからなのですか?
でも、それを認めたその先には、世界中の人の幸福が待っているのですよ!

あなた方の優越感という幸せは失われるかもしれないけど、世界中の人が幸福になることで、あなた方の幸福も何万倍にも膨らむのですよ。

いいかげん、科学的覚醒をしてください!
そしてそれを世界中の人に早く教えてください!


「意志」は自分の好き嫌い****で持つものではなくて、《環境》に浮かび上がらせ・られる環境由来のものだと科学は解明している。「自分」という概念も《環境》に作られていた。

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みんなに、ちょっと聞くけど、先ほどの「成功するために、強い”意志”を持ちましょう」という場合の「成功」って何?

今はお金の世界だから、お金持ちになるとか、他人の労力を利用して経済的に楽になり自由な生活ができるようになることを、「成功」と呼んでいる。

もし芸人になる夢を持っていて、実際にテレビに数回出たとしても、それで生活できなければ、「成功」とは言えないものね。

そう考えると、「成功」とは、お金の世界にしかない言葉なんだ。

もし、現在の個人主義的環境が分身主義的環境に移行して、お金が必要なくなれば、その時の「成功」とは何だろう!?

自由に世界を行き来して、出会った人と仲良く楽しく交遊しながら生きて、みんなの祝福の中で死んでいけるだけで「大成功」の人生だ。

先ほどの芸人だって「成功」なんて言葉とは無縁でいられる。むしろ彼の人生は、数人の人でも芸を見てくれたということで大成功だ。

誰でも今すぐに叶えられる成功がそこにある。敢えて「成功」なんて言葉持ち出す必要もない。

だから、成功とは、お金の世界にしかない言葉なんだ。
分身主義の「本当の成功」には、努力も夢もいらない。


あなたに究極の質問をします。
今、世界中の人と仲良く楽しく生きて、みんなの祝福の中で死んで行ければ、それ以上、あなたは人生に何を望みますか?

あなたは今、努力や夢で何をしようとしているのですか?
子どもの時から他人と激しく競い合って、一体どんな価値が生まれるのですか?
よく考えてほしい。

多くの人に認められるため? 
他人から注目や羨望を浴び、優越感に浸るため?

もう、そんな個人主義の幸福は終わりにしようよ!
もう個人主義じゃ誰も幸福になれない!
もう個人主義じゃ、自分で本当の自分の身体を傷つけ合うばかりで終わりは見えている!

最近は、SDGs「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」などという素晴らしい試みが始まったけど、それをする人類の「持続」が危ういっていう話をしているんだ!

🔖⑨ おーい、大丈夫かい、人類!?

遠い昔、人類が言葉を用いるようになってから、動物から人間になった。
そして、神経系の錯覚の「自我」に「自分」と名前を付けてカッチリとギブスをはめてしまった。

そこから「とんでもない勘違い!」の歴史が始まった。

他の動物と同じように、それまでは「自然界と地続き」だった我々人類が、自然界と対峙して、「人間界」で生きることになってしまったからだ。

過去の歴史を見れば、人類は強められた「本能」にうながされるまま、奪ったり支配したり殺し合ったりしてきたよね。歴史とはその繰り返しだったよね。
今でもそうだし、その行動は沈静化しているどころか、むしろ過激化しているんだ。

若い人たちは、興味をひかれるたくさんの刺激的なものや、好奇心をそそられるたくさんの楽しいことがあって、そちらに気を取られていて、密かに過激化していることに気が付かないかもしれない。


そういったことも含めて、現代人は、「人間界」という荒海で手足をバタバタさせて溺れまいと頑張っているんだ。

その日から、人類は実に長いこと、その「錯覚の自我」のうたげの席で酩酊めいていさせられながらも、時に華やかな夢に酔いしれ、時に悪夢にうなされ、健気けなげに懸命に生きてきたけど、ついには崖っぷちのすぐきわまで来てしまっている。

その崖から、毎日のようにたくさんの人たちが突き落とされているのを、あなたも知っているよね。

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「この脳は個人の持ち物でもないし、自分の意識でどうにかなるものでもない」

それなのに、僕たちは、「自分の脳」と呼び、その「脳」は個人の持ち物で、あたかも自分の意識でコントロールして、思考し行動をしていると信じ続けてきた。

だから、やたらと「個人」をもてはやす文化になった。「個人」をあがめる文化だ。

やれ、スーパースターだ。
やれ、大金持ちだ。

そして「個人」が努力すればみんなスーパースターや大金持ちになれるんだぞ、と発破はっぱをかけられる。

やれ、スーパースターを目指すぞ。
やれ、大金持ちになるぞ。

小さい時から競争、競争だ。
それに敗れれば自己責任と突っぱねられて終わり。

でももう一度聞くけど、子どものころからその競争に死に物狂いで取り組んだ末に何をしたいの?

多くの人に認められたいの? 
他人から注目や羨望を浴び、優越感に浸りたいの?

もう、そんな個人主義的なちっぽけな優越感や満足、終わりにしないかい!?

その感覚こそが争いを招き、いつまでも世界を平和にできなかったのです。

先人たちによって、今日までたくさんの格言が作られてきたけど、そのほとんどが「この脳は個人の持ち物である」という、とんでもない勘違いを土台にして作られてきた。



我々人類の先輩たちから、「格言」というたくさんの財産を引き継いできたけど、でも、もう「成功」や「努力」や「意志」などをうたった格言とは、きっぱりと縁を切る時代に入らなければいけない!

大金持ちもスーパースターも、それを支える何千万人もの貧しい人たちやオーディションなどに落ちた人たちがいなければ絶対になれなかった。

一人の優勝者は、たくさんの敗者たちが作ってくれていると考えてもいい。

限りあるお金や、少ない可能性を奪い合うのが今の世界だからなんだ。だけど努力や強い意志を持てば誰でも成功すると錯覚させられている。

これを「個人」を崇める個人主義の社会と言う。

「自分とはこの身体の内側だ」と錯覚している「錯覚の自我」たちが作った、不自由な世界。
世界中の人の錯覚が一致しているから誰も気づかなかっただけなんだ。
自然物である人類たちが、未だに迷子のまま、自分たちで作ってしまった「人間界」という、互いの自由を束縛し合う世界で生きている。

大金持ちもスーパースターも、そして政治家も公務員も会社員も、貧しい人もホームレスも犯罪者も、本当は、我々の「錯覚の自我」という「幻想」が作っていたんだよ。

僕たちは、もういい加減、みんなで作るこの《環境》に意志を持たされ、思考させられ、行動させられていた、という科学的事実を知らなければいけない!

「この脳は個人の持ち物でもないし、自分の意識でどうにかなるものでもない!」(分身主義の第2定理)

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早く、科学が教えてくれていたその事実に気付くんだ!
いい加減、目を覚ますんだ!

それを教えて導いてくれなければいけない科学者が、「とんでもない勘違い!」から抜け出せず、とんでもない方向を見て研究に没頭している。

一番顕著なのは、医療の現場や精神医学の目指している方向だ。

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人間は、「生」と「死」の「車の両輪」を大事にしなければいけないのに、今の医療のように「死」を否定していて、この人生を爽快に走り切れるはずがないじゃないか!?

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先日、犯罪者の脳に電極を当てて「反社会性パーソナリティ傾向」の脳波を調べた論文を見た。これには驚いた。
「脳は”個人”の持ち物である」とする考え方が浸透しきった、精神医学界こそ、とんでもない病に侵されてしまっているんだぞ!

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その脳を調べて、そのような「犯罪」が起きないことに役立つ、どんな研究ができると思っているんだい!?

「犯罪」というのは自然界にはなく、人間界にしかない概念。言葉が作った現実にしか存在しないものだ。「犯罪者」も、人間の作るこの《環境》に作られてしまった人。

その証拠に、人間以外の犬や猫の前にその人を連れて行っても「犯罪者」でもなんでもない。人間の言葉の作る現実の中だけて生きている「配役」でしかないんだ。

犯罪者の脳だって、錯覚の自我を持ってしまった僕たちが作る、この個人主義的《環境》に作られていたんだよ。

僕たちが犯罪者を生んでしまっていたのに、その「個人」に責任を押し付けて、僕たちは被害者面して事件を解決した気持ちになっているだけじゃないか!?

研究者は、まるでセミの抜け殻を見つけてきて一生懸命実験をしているようなものだ。

その研究者の後ろの木に、今しがた脱皮してしがみついて、大声で「いて」いるセミの声には耳を貸さずに。

その「哭き声」は世界中のみんなの「哭き声」だったというのに、それでも涼しい顔をして、個人の頭に電極を当てて何を探そうとしているの?

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僕たち一人一人は、この宇宙という劇場で演じさせられている電気仕掛けの期限付きの役者だったんだ。僕たち一人一人はこの宇宙の万物がそうであるように、分身だったんだ。

僕たちの本当の身体(=全身)は、ビッグバンという産声を上げて生まれてきた時から、約140億年間一度として途切れることなく続いてきたこの宇宙だったんだよ。

ある日、錯覚の自我を持ってしまって以来、この自分たちの身体を、自分たちで傷つけ合っていたんだ。もう錯覚から目を覚まして、自傷行為は即刻やめるんだ!

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アメリカだ中国だなんて言い合っているのはもうやめるんだ。
この地球の土地は、大家おおやさんの物でもアメリカの物でも中国の物でもない。
みんなの物じゃないか!? 子どもでもわかる。

テロ組織や過激派なんて即刻、解散するんだ。
武器もお金も捨てるんだ。
自分の本当の身体をどこまで傷つけ合えば気が済むというんだ。

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彼らの行動を科学的に分析すれは、すべて《環境》にコントロールされていたということが、はっきりわかる。

①生まれる前の《環境》に作られる「記憶」=本能(先天的)
②生まれた後の《環境》に作られる「記憶」=経験、言葉(後天的)

があって、その時点の《環境》から何らかの刺激(=情報)が入力されると、作られていた「記憶」との相互作用によって「意志」などが生まれ、それによって行動が引き起こさせ・られていたんだ。

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テロリストさん、過激派さん、ひねくれていないで、世界中のみんなと手をつなごうよ。それと同時に、彼らに報復ほうふくしていたみんなももうやめるんだ。
我々が、彼らを追い詰めて、彼らの行動を作っていたんだよ。

我々一人一人は分身だけど、その全身はこの宇宙なんだ。

みんな「真実ほんとうの自分」に気づいて、自傷行為はやめて、今日からは仲良く助け合って生きるんだ!

このジジイも含めて、彼らの《環境》を作っているみなさん。テロをなくすには、むしろ彼らを憎むことをやめることだ。彼らの行動は我々の《環境》が作っていたんだよ。

彼らは、我々の作っている《環境》にコントロールされて、過激な行動を取らされていた被害者だったんだ。

だから、いち早く「科学的覚醒」をした科学者が、彼らに「真実ほんとうの自分」とは何かを教えてあげて、その自分の身体を傷つけるのをやめるように説得しなければいけないんだ。

それができるのは科学者の方たちだけなんだから。
それは取りも直さず自分自身を救うためなんだよ。
自分の分身を傷つけたり殺したりするための兵器を、夢中で作っている場合じゃない!

錯覚の自我が作る「個人主義」がくれる、優越感という幸福よりも、どんなに幸福になるか、想像力を働かせるんだ!

むしろ彼ら(テロリストや過激派)も我々みんなも、「錯覚の自我」が作ってきた、この《環境》の被害者だったんだ。
そして、彼らと我々みんなが加害者となって、自分の身体を傷つけていたんだよ!



今こそ、本当の自分を救うために、新しい世界への扉を開けるんだ!

過去の歴史は、錯覚の自我に縛られていた頃に作ってしまった「個人主義時代」の古い思い出としてアルバムの中に閉じ込めて、恨みも怒りも捨てて、全く新しい人類の歴史の、最初の一歩を踏み出すんだ!


短い「人の生」じゃないか。
ジジイは、世界を自由に行き来して、出会った人と仲良く楽しく交遊しながら生きて、みんなの祝福の中で死んでいければ、「大成功」の人生だ。

それだけでもう何もいらない。

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でも‥‥、それでもあなたは、悲しみや苦しみや争いがなければ、もの足りませんか?
今まで通り、悲しみや苦しみや争いの中で生きることを望むのですか?

悲しみや苦しみや争いがあるからこそ‥‥、あるいは夢に向かって苦しい努力をしたり競い合うからこそ‥‥、成功した時には大きな喜びが生まれる、などというむくわれることのない「格言」に励まされ続けるのは、もうやめませんか?


🔖⑩ むしろ利己的を最大化せよ!!

「錯覚の自我」は、動物だった頃の本能をどこまでも強めてしまい、今や「本能」の志向する「利己的」は、人類破滅の極限まで来てしまっている。

本能の強い「利己的」な人は、他人の視線にお構いなく突っ走れるけど、そうでない繊細で弱い人たちはどうしたらいいんだろう。

最近、このnoteでも、HSPや、うつ病を訴える人がいかに多いことでしょうか。
そういう人たちは、せめて崖から落ちないように遠くから見守ってあげるしかないのだろうか!?
自分だけでも救われるために、宗教やスピリチュアルにでもすがるしかないのでしょうか!?




だけど、本能に促されるままに突き進んできてしまった世界中のみんなが「利己的」を捨てずに、救われる方法がたった一つだけある。



逆説のようだけど、むしろ利己的を最大化することなんだ!!


もちろんその前に、僕たちが「真実ほんとうの自分」に気づく必要がある。

それが「科学的覚醒」、あるいは、このブログのテーマ「脳のOSのバージョンアップ」という意味だ。

「本当の自分」とは、この140億年間途切れることなく続いてきた宇宙だと言ったよね。僕たちは140億年前に産声を上げていたんだ。


僕たちが「本当の自分」に気づいたら、その時の「利己的」は、この宇宙万物のためだけに行動するものとなる!

何故かと言うと、「本当の自分」に気づいた世界中のみんなが、「利己的を最大化する」ということは、自分を愛することが他人を最大に愛し、他人を愛することが自分を最大に愛することと同じ意味だからだ。

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そこでは、利己的を志向する「本能」にコントロールされればされるほど、嫌でも世界を平和にする行動を取らせ・られてしまうことになる。

これが、現代科学を整理統合して辿り着いた「分身主義」の見ている世界なんだ。

🔖⑪ 将来的には無くさなければいけないもの

テレビでは、有識者と言われるような方たちが世界を良くするために平行線をたどる議論をしているよね。国会の答弁でも、たいがい、野党に追及された内容に対して、与党が「上手い言い逃れ」をしているだけに見える。

それで世界が良くなった試しがあるだろうか!?

坂本龍馬分身さんも言っている。

議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬ。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである。(坂本龍馬分身)


人間は「a.支配、b.闘争・攻撃、h.防衛」本能が強まっているので、簡単に相手の反対意見を受け入れることはしない。その逆に「賛同」してもらえることに関しては「d.所有・獲得」本能がうっとりするので喜んで受け入れる。


それに、彼ら(有識者や政治家たち)が饒舌じょうぜつにコメントしている内容は、実は、彼らが《環境》の中で「記憶」をしてきたものと、その時点の《環境》からの刺激(=情報)との相互作用に反応して出てきた言葉を、しゃべらされているだけなんだ。

《環境》に作られる「記憶」には2種類あったね。

①生まれる前の《環境》に作られる「記憶」=本能
(先天的)
②生まれた後の《環境》に作られる「記憶」=経験、言葉(後天的)



利己的が行き着くところまで行き着いた現代、つまり、批判だらけの社会で、どうしても、我々の「反応」として出てくる批判の言葉が「受け入れられる」ものではないのは当然だ。


世界を平和にできない、無意味な難しい議論をするよりも、「仲良くすることを犠牲にしてまでもやらなければならないことは一つもない」これだけを判断基準にすれば、今まで、何が無駄だったのか、何が不要だったのかが見えてくる。


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ここからは、あくまでもジジイが独断で「将来的には無くさなければいけない」と考えていることなので、そのつもりで軽く聞いてください。本当は何かを変えようとする必要は全くないんですよ。


必要なのは、今までの「自我(これが自分であると信じていたもの)」は錯覚であったことを知り、本当の自分は約140億歳の宇宙だったことを理解することだけなんだ。

宇宙のもとに、元々は一つだった万物が再び手をつなぎ合うことだけだ。


それを「科学的覚醒」、あるいは「脳のOSのバージョンアップ」と呼んでいるんだけど、それさえ完了すれば、勝手に我々の行動が変わり、行動が作り出す《環境》が変わる。そして《環境》が変われば、さらに我々の思考や行動が変わり、世界はあっという間に変化するはずだ。

そうすれば、有識者と言われる方たちや、政治家の方たちの語る内容から、他者に対する批判的な言葉は消えて行く。
批判の言葉で立ち止まらず、その先の、「仲良くするための行動**********」を一緒に取り始めるはずだ。

自然に世界は平和になるんだ。
まるでちらほら咲き始めた桜の花が、あっという間に満開になるようにね。



それではここから先のジジイの話、雑談として聞いてください。

まず、お金なんか全く不要だった。今までの「錯覚の自我」同士が、うまくやりくりしていくために必要とされたものが「お金」だった。錯覚からかれれば、当然、不要になる。

お金があることによって生まれた職業や、その職業に拘束される時間なんて、まったくの無駄だった。

未来モデル小説「ブンシニズム・ドット・ネット」の中には、お金に代わる*SA(セルフ・アシスト)カードというものが出てくる。

*SA(セルフ・アシスト)カード
お金がない世界なので、住まい、交通機関、医療、教育‥‥などはすべてフリー。それ以外の、生活用品や食べ物などは、セルフ・アシスト活動をした時間に合わせてもらえるポイントで手に入れる。
SAカードはお金に代わるものというよりも、彼らがSAポイントでやり取りしていたものは、自分たちの貢献を称え合う賞賛だった。
未来モデル小説「ブンシニズム・ドット・ネット」


お金があることで生まれた無駄な職業や無駄な業務がなくなれば、余裕な時間がたっぷり生まれる。その時間で、世界を自由に飛び回り、たくさんの自分の分身さんたちと交遊し、助け合い、楽しむ人生を送れるじゃない。

この note にも、子どもを連れて世界を旅して人生を謳歌おうかしている人がいます。彼女のような人こそ、お金のない世界に生きていれば、もっと良かったのに。その時には出会う人はみんな親切な人ばかりで、危険な目にうこともない。


「人生は旅である」という言葉もあるけど、僕たちはせっかく生まれてきてまだまだ知らないことがいっぱいある。知らない土地、知らない人たち。素敵な人たち。

それなのに重い足を引きずって、毎日同じ建物への道を往復し、お金のために生まれてしまった不要な時間や作業に縛られていたなんて、もったいないと思わないかい!?

世界も人もみんな自分の一部(分身)だったんだぞ!
まだ出会ったこともない素晴らしいことがたくさんあるというのに、本当の自分を見ずに死んで行くなんて、なんともったいない。

彼女(saki分身さん)と同じように地球一周をしたジジイが、その時の体験を活かして書いた小説です。

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お金が無くなったら詐欺的文化も消えて、世界中の人がもっと自由に楽しく生きられるというのに、お金が無くなって困る人っているんだろうか?

困る人というのは‥‥、
お金が無くなると「優越感」を持てなくなるのが困るのかもしれない。
お金が無くなると、せっかく称賛されていたのに、ただの一般人に戻ってしまうので残念なのかもしれない。

お金を持つことで他人を支配し、他人に嫌な仕事を任せて、自分だけ自由に生きることができなくなるのが困るのかもしれない。
お金が無くなって、みんなが自分のように自由に楽しく生きられたら悔しいのかもしれない。

そんな、古臭い、錯覚の自我が作っていた個人主義の幸福なんか、早く捨てなければいけないよ!

お金が無くなればみんなができることが増えるんだ。それだけじゃない。みんなで一緒にできることだって増えるんだぞ!
みんなで何かをするって、楽しくないかい!?


だから、お金持ちの人からお金を捨ててください。(笑)
こんなに大金持ちの方が、率先そっせんしてお金を捨ててくれていますよ。

でも、彼の行為はちょっと意味が違うかもしれない。
お金を配ることは、逆にお金の必要性や価値を高めてしまっているので、我々の行動はますますお金にぺこぺこして、お金の命令ばかり聞くような人間になる。

だけど、『世の中からお金を無くすことで世界は平和になる』という着眼点は正しい。ただ、さっきも言ったけど、その前に、今までの人類の脳のOSを、お金や武器に頼らなくてもやっていけるOSにバージョンアップすることの方が、先決だ。

OSがバージョンアップされていないのにお金だけ無くしても、世界はめちゃくちゃになってしまうし、逆にOSさえバージョンアップされれば、自然に行動が変化し、そして《環境》が変化し、放っておいてもお金は無くなるんだ。

どうしてかって!?
お金が必要なくなるからなんだ。


だけど何度も言うけど、お金を無くすのは人類が「科学的覚醒」をした後だよ。

世界を平和にするために、そして自分が幸福に生きるために、
❶今すぐにやめること。
❷徐々にでもやめていかなければ(無くさなければ)いけないこと。
そして完璧な平和のために‥‥⇩
❸最後にやめる(無くす)こと。
それらをジジイの独断で箇条書きにして見ようと思う。

❶今すぐにやめること。
・他者批判。SNSでの罵詈雑言や誹謗中傷。
・今の生きにくい自分は両親の育て方のせいだと、両親を憎むこと。
・他人や他国を憎むこと。
・犯罪者を憎むこと。
・「自分の意志」という言葉を使うことは即刻やめる。
・「成功」や「努力」や「意志」などを謳った格言は、使用をやめる。

批判をしたり彼らを憎むのは自傷行為なので、何の解決にもならない。むしろ、彼らに行動を取らせていた今までの《環境》を憎むべきだ。
錯覚の自我が作ってしまっていた、今までの個人主義的環境に目を向けること。
その《環境》は自分も一緒になって作っていたことを自覚しよう。
そして、彼らは、自分の代わりにその《環境》に身を置いて、その《環境》の犠牲になってくれていた分身さんであるという気持ちを持つことだ。
そうすれば批判の言葉も、ねぎらいや慰めの言葉に変わるよ。そうすれば今までの憎むべき《環境》も徐々に変化する。そして《環境》が変われば、みんなの思考や行動も徐々に平和的なものへと変化する。


これらは、今までの「自我」は錯覚だったということと、人間は《環境》にコントロールされていたということを知れば、今までの思考や行動が変化させられるからだ。

「錯覚の自分」を見させていた《環境》が、「真実ほんとうの自分」を見せてくれる《環境》に変化したからだ。


他者を批判したり恨んだりしていたことは、自分で自分の身体を傷つけていた自傷行為だったんだよ。

自分がそれらの行為をしなければ済むので、今すぐにでもやめることができる行為だ。

少しも難しいことはない。


次は、長年、気づかずおこなっていた悪習の話だ。世界中の人がみんなで作っていた長年の悪習なので、今すぐにやめろと言われても難しい。

長年の気づかずおこなっていた悪習だから、煙草やお酒のようにすぐにやめるのは難しいけど、「過度な摂取せっしゅは本当は身体には良くない」という意識を持つだけでも、現在の《環境》から無くしていける。


❷徐々にでもやめていかなければ(無くさなければ)いけないこと。
・特定の個人をカリスマや英雄に祭り上げること。(本当は、78億7500万人全員が、その《環境》の中で生きてくれているカリスマであり英雄である)
・個人を祭り上げたり優越感を得るための競争や競技を無くす。(オリンピックも本当は平和の祭典なんかではない)
・子どもから老人、そして障害者たちが一緒に楽しめるスポーツをする。競い合う必要はない。(それが本当の平和の祭典)
・バトルゲームや、戦うシーンの映画やアニメを無くす。(科学的な意味で、自然界には敵など存在しないことを知る。正義など、こちら側の思い込みに過ぎない)
・武器を捨てる。(「自由意志」や「権利」などという言葉も、自分を守っていた武器。これらの錯覚の観念も不要なので徐々に無くしていかなければいけないよ)
・戦争の悲惨さを語り継ぐことは徐々にやめる。もし人類の脳のOSがバージョンアップされたなら、自分で自分の身体を傷つけようとする行為などまったくあり得ないこと。過去の過ちは、錯覚の自我に縛られていた頃に作ってしまった「個人主義時代」の古い思い出としてアルバムの中に閉じ込めて、恨みも怒りも捨てて、全く新しい人類の歴史の、最初の一歩を踏み出すため。
・新たな「憎しみ」を生むような過去の歴史観は創作しない。

これらは「個人主義」が作ってきた悪習だった。
長年の習慣となっていたことなので、世界平和にとって「悪」だったとは、誰も気づかないかもしれない。

むしろ、「正義のために、あるいは大切な人を守るために、武器を取って戦う」などというのは、「平和」のために必要な尊い行為のように錯覚している人も多いと思う。

そういう映画やアニメなどが人気があり、みんなが感動して見ているというのも、この悪しき感覚が、いかに深く身についてしまっていたかを物語っているよね。(かく言うジジイもその感覚はかなり根深い。確かに感動させられるものね。でもその感覚も無くして行かなければいけない)

❸最後にやめる(無くす)こと
・今までの家族の概念を捨てる。(子どもは、世界中のみんなで育てなければいけない。世界が一つの家族。利己的の終末期を迎えている人類を救ってくれるのは、これからの子どもにかかっている。彼らこそ人類の未来の命運をになっている)
お金と武器を無くす。(これがやめられたら、もう完璧な平和が実現している)
・当然、特許、著作権などに払う印税も無くなる。あらゆる創作は世界中の総力で作られたもので、個人の功績によるものではない。これも個人主義の生んだ汚点文化の一つ。世界のみんなで作った共有財産を一人が独占するのは間違い。


❶❷❸、すべてが、今までの「錯覚の自我」が作っていた「個人」を崇める「個人主義」から生まれていた汚点文化だっだ。(もちろん、個人主義から生まれた素晴らしい文化や発明品もたくさんあります)

ちなみに、「個人主義」から生まれていた文化は「個人」を崇めることだけでなく、その反対に「個人」を罰する文化でもあった。

現況の法律はどこの国でも犯罪は「個人」を罰するけど、人類が「科学的覚醒」をして、「錯覚の自我」から解放されれば、大きく修正されることになる。ただし犯罪は減るので裁判に関わっていた人たちの仕事も減少されて、世界中の人と楽しむことに使える時間が増える。

動物や人間の行動は、すべて《環境》にコントロールされていたから、人間界という《環境》を作っていた我々の脳のOSが変われば、《環境》が変わり、《環境》が変われば、我々の思考や行動も変わるからだったね。


そして最後に❹当たり前すぎて(あるいは不要となるので)無くなる言葉。

❹当たり前すぎて(あるいは不要となるので)無くなる言葉
・愛、平和、幸福、権利、男女同権、義務、成功、努力、夢‥‥。
・病気(これは「適応症状」という言葉に変わる)
傍迷惑はためいわくや世間(これは日本だけかも)、世話を掛ける、お節介、自立、孤独‥‥。
・優越感、劣等感。
・妬み、恨み、怒りなどの感情は無くなる。(自・他の意識を強く持つ脳に浮かび上がる感覚や感情を言葉にしたものだったから)
・個性。(わざわざ「個性的であること」を強調する必要はない。個人または個体・個物に向けられていた目は、そのものを取り巻く関係性(=環境)に向けられるようになる。環境が違えばそれぞれ違う個性なのは当たり前)
・個人情報、プライバシーなどという言葉も不要になる。(個人主義的な環境が、外に警戒すべき敵を作ってしまったために生まれた概念であったから)
・命の尊厳、命の重さ、などという言葉も不要になる。(殺人や自殺や事故死などの死にまつわる悪いイメージがなくなり、自然界の摂理せつりとしての生と死を受け入れる気持ちになっているから)

ここまではみんな、人類が「科学的覚醒」を果たして、つまり人類の「OSがバージョンアップ」されて、個人主義から分身主義に移行した時のことをジジイがイメージして箇条書きしたものだけれど、これは全部、「ブンシニズム・ドット・ネット」という未来モデル小説に描いています。

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それを読んでいただければ、このようにイメージしている根拠もわかっていただけると思います。


🔖 覚え書き 

本能というのは個体の生存に関わるものなので、遺伝情報が受け継がれるたびに、「利己的」な方向に向かう。

人間は本能が薄まったのではなく、本能を意識的に強めた動物である。

動物たちは必要以上に食べない。人間は本能が強められた動物なので食べ続ける。奪い合う。十分じゅうぶんを超えて貯蓄する。

人間の本能は、動物たちの本能をはるかに超えて、「利己的」の末期状態に行き着いてしまった。互いの「利己的」を激しく批判し合う社会になった。

それは、自分で自分の「本当の身体=全身」を傷つけ合っている。


人間とは、「理性」という、自然界を生きるには唯一の「障害(生きにくさ)」を抱えてしまった動物である。

理性こそ、利己的に向かう人間の本能を「邪悪」と見なした張本人だった。

あるいは、理性とはその邪悪さを「言い訳する」ためのもの。


「成功」とはお金の世界にしかない言葉。
お金の無くなった分身主義の世界は、世界中の人と仲良く楽しく助け合って生きることができれば「成功」の人生なので、誰でもすでに手に入れている。

「不屈の”努力”や強い”意志”が夢を叶える」的な格言は、お金の世界の言葉。
分身主義の世界は、努力も夢もいらない。

努力や夢で何を得ようとしているのか?
他人に認められたいのか? 
他人から注目や羨望せんぼうを浴び、優越感に浸りたいのか?

もう、「個人」的に褒められた時や、優越感を感じた時にうっとりするような脳を卒業しなければいけない。

個人主義では、優越感という最もいやしい感情でしか人を幸福にできない。

個人主義というのは、やたらと個人をあがめるが、他者を崇拝することで「自分」が崇拝される夢を見ているのだ。


もし人類の脳のOSがバージョンアップされたなら、放っておいても自然になくなるものばかり。お金も武器もなくなるし、お金や武器ががあることで生まれた多くの職業も。

これからは、仕事はすべてボランティアのようなものに変わり、余裕のできた時間で世界中の人と楽しい時間を共有するようになる。

本当の仕事とは、お金のためにするものではなく、多くの***人と**楽しむ***時間を***共有する****ために***行うもの****なんだ。

桜の咲き方のように一気に世界は変わる。
意外にすぐに順応できるのが人間なんだ。


戦時中、あれほど憎んでいた鬼畜米英を、日本人は負けたとたんに彼らを尊敬し始め、彼らの文化を盛んに取り入れたじゃない。
コ〇ナ禍でのオリンピックに反対していた人たちも、始まったら応援に転じたじゃない。
人間は意外にすぐに順応できる。一気に世界は変わるんだ。


人間に自由意思はない。意志は自分由来ではなく環境由来。

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例えば「肉体改造」のメカニズム。
肥満は良くないとする昨今の《環境》(=情報)に、「肉体改造をしよう」という意志を浮かび上がらせ・られた自分が、その意志によって思考や行動を取らされて、その行動が「自分の環境を変化させる」ことになり、自分の行動が変化させた《環境》によって自分の肉体が改造させられる。


テレビで饒舌にコメントをしている人たちのメカニズムも同じ。

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テレビで饒舌にコメントをしている人たちを見ていて、《環境》にしゃべらされている「ロボット」のように見えてくれば、「脳のOSのバージョンアップ」は完了。

もし、この「ロボット」という言葉に反感を持つとしたら、自分の中に「人間や個人を賛美さんびする」ような”傲慢ごうまんさ”が残っているから。

「人間賛美」は、人間の”傲慢さ”だったということに気づいて欲しい。

恐らく反対のイメージをしている方が多いと思います。

人間や個人を賛美するのは、むしろ「傲慢」だったんだよ!


宗教も、人間の想像力で自然界を理解しようとした意味で、実は、人間中心の”傲慢”なものだった。


本当の”謙虚”とは、「人間や自分中心の気持ち」を捨てて、自然界様に、この宇宙の成り立ちや人間とは何かを教えていただく気持ちを持つこと。

それができるのは「真の科学」だけ。


本当の謙虚とは、この自然界(=環境)に生かされて(コントロールされて)いるだけの自分を知ること。
その時こそ、宇宙と一体になる。
その時こそ、「本当の自分は宇宙だった」と知る。

賛美するなら個人や人間ではなく、この「宇宙」を賛美するんだ !!

宇宙の万物を(本当の自分を)賛美するんだ !!

閉じた自分から自分を開けば、それが本当の”謙虚”に通じる !!



言葉を持ったせいで自然界からはぐれて迷子になっていた人類が、宇宙のもとに、元々は一つだった万物と再び手をつなぎ合う。

その謙虚けんきょさが、いつの間にか、世界(=本当の自分)を平和にしている。

平和とはそのような形でしか実現できない。

耳障りのいい「対話と相互理解」のような標語や、「意志」や「願い」では平和は実現できなかった。
どんなに議論してもどんなに願っても叶えられなかった。

むしろ、そのような解決法を浮かび上がらせる「個人主義的《環境》」が、世界に争いを招いていたからなんだ。

「錯覚の自我」という呪縛じゅばくからかれて、「科学的覚醒」あるいは「脳のOSのバージョンアップ」さえ完了すれば、すぐに平和は実現できる。


🔖 やり残した「愛すべきモンスター」シリーズ

今、noteに書き移しているブログ『明るい未来のためにやらなければいけない、たった一つのこと』は、あと一回で終わりになりますが、この『ジジイの遺言書』もそろそろ終わりになります。

そうそう、やり残していたことがありました。
「*愛すべきモンスター」のシリーズとして、一人ひとりに焦点を当てて紹介するという形で、これから不定期で執筆していこうと考えていたのでした。

この ⇩ 記事に、そのことを書いていました。

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*愛すべきモンスターの意味:
人間の行動は《環境》にコントロールされていると知った分身主義では、誰もが、他の人には経験できないその人だけの《環境》を、全人類を代表して生きてくださっている分身さんであるという意味において、お互いを「愛すべきモンスター」として誇り合います。

だけど、たった一人(阿部謹也分身さん) ⇩ だけで頓挫してしまいました。自分の力のなさが悔やまれます。

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でも本気でやるとしたら、世界人口78億7500万人(2021年)全員を書くことになるので、どうせ不可能です💦


せめて、昔、書いた記事にリンクを張っておきます。(リンク先の章には二段階で移動するので、表示されるまで少々時間がかかります)

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★★   関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義から分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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Markey Toku 徳永真亜基
長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。