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錯覚の自我から解放されよう!(by分身主義)


農民芸術概論



ジジイは、いつも心のどこかでお金を嫌って生きてきたせいで、当然のことながらお金にも嫌われてしまって、世間的に見たらみじめな末路をたどることになってしまった。

だから、以前言ったように、ジジイ夫婦は10年後くらいには貯蓄を使い果たして餓死するかもしれない。でもそのことは二人でちゃんと話し合ったし、樹林墓地も用意してあるので全然かまわないんだよ。

むしろ自分の人生らしくて気持ちは清々すがすがしいくらいなんだ。

友達だってもう何人か亡くなっているので、自分はもう十分生きたって気持ちもあるし、どうせ遅かれ早かれ人間は死ぬんだからね。

だけど、その前に急いで遺書を書いておこうと思って、この note に投稿を始めたわけだけど、死ぬ前にどうしてもこれだけは言っておきたいってことがあるんだ。

残念ながらジジイは日本語しか話せないけど、全世界の言語を喋れたらこう言いたい。

ねえ、みんな、もういい加減、錯覚の自我から解放されようよ!

ジジイは、これだけはどうしてもみんなに伝えてから死にたい。



ずっと前から、「人類はいつまでも、この"錯覚の自我"にがんじがらめに縛られていたら、いつかは足元をすくわれるぞ」と言い続けていたんだ。
「錯覚の自我」という、この砂でできた、不安定な土台に建物を立てているのが今の人類なんだ。

そしてその妄想の土台の上に建てた建物が傾いたら棒で支えをしたり、さらにその上に増築や改築をしたりしてしのいでいただけなんだ。一番確認しなければいけないはずの土台には目もくれずにね。
人類の歴史を振り返ってみればわかるはず。社会を良くしようとする人が現れても、結局は上下・左右が入れ替わっていただけだったよね。

土台が変わらない限り何をやっても同じで、結局何も変わりゃしないんだ。



でも、ジジイがどんなに、「錯覚ではない"本当の自我"というしっかりとした土台の上に、建物を建て直そう!」と作品を書いて訴えても、今の人々には全く伝わらない気がしてきて、もうあきらめて作品はぜんぶ墓場に持って行こうと思い始めていたんだよ。

ところが、新型コロナウイルスのせいで世界の経済がめちゃくちゃになり、ついに人類は、自分たちが砂の上に建てたお金のシステムに足をすくわれてしまっているじゃない。結局自分たちが作ったお金に、首を絞められてしまっているじゃない。

しっかりした土台の上に建物を建てていたら、こんなことになんて絶対にならなかったんだ。

ジジイが思っていた通りのことが、こんなに早く来るとは全く想像していなかったよ。だから今なら少しは、ジジイの言葉に耳を貸してくれる人がいるのではないかと期待しているんだ。

それでもやっぱりまだ伝わらないのかなあ!?



だけど、これだけはわかって欲しい。
もし新型コロナウイルスが終息しても、人類はもっと怖い「錯覚の自我」という自らのウイルスに、いずれは滅亡させられてしまうだろうさ。

世界にこんなにも貧富の差があって、こんなにも不公平で不平等で、こんなにも争いが絶えず、こんなにも国同士でいがみ合っているのは、人類が「錯覚の自我」に縛られているせいなんだ。

「錯覚の自我」は、人間を「個人主義」にする。

その個人主義的環境が人類に取らせる行動はどうしても、そういう行動になってしまうんだ。どんなに世界を良くしようと誰かが頑張ったって、人類が「錯覚の自我」に縛られ続けて「個人主義」的環境から抜け出せないでいる限り、絶対にこの絶望的状況からも抜け出せない。


本当は、この「個人主義」が作る環境に産み落とされてしまった社会的弱者と言われる人たちや、貧しい環境に生まれてしまった大勢の人たちが、崖から次々と突き落とされてしまっていた状況は、新型コロナウイルスにかかって苦しんでいる人や亡くなっている人の数の比じゃなかったんだ。
もうずっと前からそれは続いていたんだ。


これだけはどうしてもみんなに伝えてから死にたい。

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★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。