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忘れてはいけない日の日記 2021/03/11
2011年3月11日に起こった東日本大震災から今日で10年が経過しました。また1年経ったのか…… という月並みな感情を持って本日を迎えました。
もう一度、あの日の記憶を言語化
10年前の大地震は、私にとっては全く予期せぬ出来事でした。実際には、予知すべき現象が事前に幾つも起こっていました。2011年2月22日には、ニュージーランドのクライストチャーチを襲ったカンタベリー地震で、日本人留学生が亡くなっています。あの大地震の前には、何度も余震がありました。でもあのような事態が起ころうとは思いもしませんでした。
あの日私は、東京都内のオフィスにいました。14時46分の最初の大きな揺れは、過去に経験したことがないものでした。自分のいるビルがちぎれて倒壊するのでは、と本気で思うくらい、左右に大きく揺れ続けました。時間にすれば数分間だと思いますが、ヘルメットをかぶって、机の下で身を潜めていた時の恐怖感は半端ありませんでした。あの時に感じた恐怖は、思い返すと今も背筋がゾッとします。
その後も余震が何度かあり、もはや仕事をできる状態ではありません。その数時間後には会社を出ました。すでに鉄道は全面運休していて、道路は車で大渋滞になっていました。
何とか深夜に自宅までたどり着き、更にひどい恐怖をテレビの画面を通じて味わいました。津波が町を破壊していく映像で、吐きそうになりました。
私の心に爪痕を遺し続ける出来事
私の感情を激しく揺さ振り、その後もずっと傷跡になって居座り続け、自分の価値観に少なからぬ影響を与えている出来事を書き出してみます。
● 1985年8月12日の日航機墜落事故(17歳)
● 1995年1月17日の阪神淡路大震災(26歳)
● 1995年3月20日の地下鉄サリン事件(26歳)
● 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ(33歳)
● 2011年3月11日の東日本大震災(42歳)
● 2016年7月26日の相模原障害者施設殺傷事件(48歳)
いずれの事件も、私は当事者ではなく、メディアを通じて体験した傍観者的体験ばかりです。中でも、二つの大震災は強烈です。今になって考えると、二つの地震以降、自分の人生のフェーズが変わったなあ、と思っています。
1995年の地震は、”生温い夢は捨てろ、自分が「その他大勢の一人」という現実を真摯に受け止めて、したたかに生き抜いていく道を考えろ”
2011年の地震は、”日本の繁栄は終わる。思考停止せず、没落を止められない国、全員を掬い上げられない国、で自分はどうしたいのか考えろ”
というメッセージだったのではないか…… と思うのです。
あの日を生き延びた人々には、それぞれの3.11の記憶が残っている筈です。本来であれば、被害に遭われて理不尽に日常生活を奪われた方々の無念の思いに心を馳せる日です。不謹慎なのは承知なのですが、今年もあの日の経験が私に与えた影響を振り返る機会にさせてもらいました。
守られなかった決意
昨年のこの日、私は2020年中に三陸沖を訪れるという決意を立てたものの、実現することができませんでした。辛うじて福島原発のあるエリア近くは電車で通過することができましたが、有言不実行の男になってしまいました。
今年こそは…… この気持ちを忘れず、具体的な計画を立てて実現します。
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