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【ATL】Braves栄光の背番号41を振り返る
こんにちはこんばんは。皆さんはAtlantaBravesの永久欠番を知っていますか?Bravesは3、6、10、21、29、31、35、41、42、44、47が永久欠番となっています。全ての背番号の選手、監督が偉大な成績を残して永久欠番になっています。今回はその中から背番号41番 EddieMathewsのキャリアを振り返って見ようと思います。
1950年代から60年代のいわゆる「ゴールデンデイズ」にかけて活躍した選手ですので記録を追うのが難しいですが楽しく追って見たいと思いますのでよろしくお願いします。
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Mathewsは1931年10月13日にアメリカのテキサス州に生まれます。
1949年にBravesと契約してプロ入り。
1952年に20歳でメジャーデビューを果たします。この年は145試合に出場、25本塁打を放ちます。
そして翌53年には47本塁打でメジャー2年目にしてホームラン王を獲得しました。敬遠数も16でリーグ1位。54年、55年もそれぞれ40、41本塁打を放ちその間3年連続OPS.1越えでリーグ屈指の強打者へと成長を遂げます。
21歳で敬遠数リーグ最多、ホームラン王ってほんとに凄いですよね。22歳で通算100本塁打を達成しています。
その後1960年まで9年連続ホームラン30本以上と20代後半までパワーを保ち続けます。
1957年には1914年以来43年振りのBravesの世界一も経験します。(当時はMilwaukeeに本拠地)
game4ではサヨナラホームランを放ちました。
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1959年に46本塁打で自身2度目の本塁打王を獲得しました。
その後、肩を故障してから成績は下降し、1967年にHouston Astrosに移籍します。翌年はDetroit Tigersでプレーしますが1968年限りで引退しました。本塁打王2回、オールスター9回選出、
通算512本塁打は後にMike Schmidtに破られるまで三塁手の最多記録でした。
通算成績です↓
引退後の1969年に彼の背番号41が永久欠番に指定されます。BravesはBoston、Milwaukee、Atlantaと本拠地を移転しましたがその全てを経験してるのは後にも先にも彼だけでした。
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背負い続けた背番号41番
1970年にBravesのコーチに就任、72年には監督にも就任しました。Hank Aaronが715号ホームラン達成した時の監督も彼でした。
1978年に殿堂入りを果たします。
2001年に69歳で亡くなりました。
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最後に彼の名言を紹介して終わりたいと思います。
男はドライマティーニを飲んだ分だけ
ホームランを打てる
1970年当時アメリカ教育リーグに派遣されていたあの広島東洋カープのレジェンド衣笠祥雄さんに対してホームランの打ち方のコツを聞かれた際に答えとされる名言です。
自分はこの言葉を聞いた時当時小学生でした。
野球というスポーツの壮大さ、夢の大きさに胸を膨らませたことを今でも鮮明に覚えてます。
MLBの中継でBravesの試合を見る機会がありましたらEddie Mathewsという偉大なレジェンドを思い出していただけたらファンの1人として大変嬉しく思います。最後までお読み頂きありがとうございました。それでは!!
フォースと共にあらんことを