優しい人は他人の痛みを共有してしまう
共感しやすい人がコレを読んで、
痛みの記憶を共有して
その人が益々自身の痛みに意識が集中し過ぎてしまうのが
心配なのもあります。
優しい人は痛みに敏感で
他人の痛みにも寄り添ってくれるから。
なので、「あー、この人はこんな風に痛かったんだな。。。」
くらいの距離感で。
痛みを想像し過ぎないで欲しいと、私は思っています。
自分の痛みに加えて、他人の痛みも想像し過ぎてしてしまうと
何時もの自分の痛みに上乗せされて痛いっていうのを、私自身感じます。
周囲に理解者がいない時は特にそうで。
線維筋痛症をはじめ
見えにくく、数字では分かりにくい痛みは
もうホントに、周りから軽く扱われます。
痛みを訴える回数分だけ、
周囲からの溜息も増えるように感じます。
正直それが一番シンドイ時もあります。
何も言えなくなって孤立してるような気分になる時もあります。
迷惑をかけたくないという思いから、
助けてって言いにくいですよね。
でも、痛いモノは痛いって
我慢せずに周りの人に、「助けて」ってハッキリ言いたいです。
イメージだけじゃ無くて
ちゃんと言葉で
どれくらい痛いのか。
痛みをイメージ出来ない人から返ってくる反応は、
もしかしたら雑だったり冷たかったり、
自分が不愉快になるモノかもしれません。
けど、それがキツイからと、自分の心の中だけでモヤモヤ我慢してると
自分の不機嫌もコントロール出来なくなる時が、私はあります。
なので、痛いって。もうホンットに痛いって、
周囲にも言うようにしています。
言葉でも、文字でも、自前のバロメーターの数字でも。
相手が分かりやすそうなモノなら何でもいいので
穏やかな仕方で伝えるようにしています。
痛みを抱えてる私達がどれだけ毎日脂汗をかきながら我慢しているか
ちょっとでも吐き出して。
私達が闘いやすい状況を作るのに
周りの人達にも協力してもらえるようにしようと思っています。
自分のアタマの中を痛みでいっぱいにしてしまわないように。
痛みに主導権を握られないように。
好きな事、前向きな事、楽しい事、興味深い事を考えるスペースを
出来るだけ広く取って
痛みに支配されて、負けてしまわないように。
嬉しい事を考えるためのアタマの中のスペースを
頑張って広く大きくしていきたいと思っています。
痛みや怠さの波が大きいと難しい時もありますが、
やれる時はそうしようと思っています。
この激痛タイムはいつまで続くんだよ(# ゚Д゚)???って
気持ちが折れそうになりますが。
独りで我慢し過ぎないようにするために
柔らかいコミュニケーションを取れるようになりたいと思います。
現在努力中です。