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【明晰夢で人生を豊かにする!③】"夢"は自分1人のものではなかった!〜他者との夢の共有〜

前回は「夢」と「睡眠」のメカニズムについて、解説いたしました。

今回は家族や、他者との間での「夢の共有」が可能であるかという興味深いお話です。

自分が見た夢を第三者に話すことも「共有」です。

そしてもう一方で、自分が見ている夢を第三者が見ることも可能であれば、これも「夢の共有」にあたります。

夢の共有①~家族間での共有~

子供の頃に見る夢は、非常に生々しくて現実と区別がつかないことがしばしばでした。

ベッドや布団から起き上がって、怪物に襲われる夢を見たと言って泣きじゃくり、その夢に現れた怪物が家の中に潜んでいるはずだと物陰に隠れたり、親に抱きついたり、家の中を見回って来て欲しいと懇願するお子さんは多いはずです。

しかし、それはあくまで「夢=非現実」であり、「架空」であり「実際は存在しない」ものであると言い聞かせられます。

勿論、これは子供を安心させるために親の立場上、必要なことなのですが、幼少期に、親と自分の見た「夢」について真剣に語り合い、見た「夢」をさらに深く想起出来る工夫はなかなかなされないのが実情といえるでしょう。

大人の打ち消しと、否定によって、子供は「夢」と現実とを切り離し、「夢」について真剣に考えるという土壌が失われていきます。これは子供にとって多大な損失なのかもしれません。

「夢」を中心に置いた生活

マレー半島の山岳民族である「セノイ族」は「夢」を中心に置いた生活をしているといわれます。

その日に見た夢を必ず、家族や村民全体で分かち合う習慣を持っており、そのおかげでセノイ族の村には暴力沙汰や精神疾患がみられないというのです。

このセノイ族の「夢」に関する習慣を最初に伝えたのは文化人類学者のキルトン・スチュアートによる『マラヤの夢理論(1935年)』(「dream theory in malaya」kilton stewart)という論文です。

彼女の論文には多少の誇張もあるのですが、「夢」の持つ可能性や重要性を伝えたという点では価値のあるものだといえます。

また、『夢学(ユメオロジー)- 創造的な夢の見方と活用法(1974年)』の著作でも有名なパトリシア・L・ガーフィールドも、このセノイ族の「夢」に関する習慣についての調査、取材を行なっています。

他にもセノイ族を調査、取材した著作、論文などがいくつか発表されますが、元々外国人や他文化の侵入を拒んで来た民族でありますので、その後こうした習慣があることを秘匿し、外国人を招き入れなくなったようです。

セノイ族は、朝食をとる時などに、一家でその日に見た夢の話しをし、その内容がネガティヴなものであったとしても、ポジティヴに解釈し直し、次に見る夢をコントロールするのだそうです。

コントロールとは好きな夢を自在に見るという意味ではなく、見た夢を家族で語り合うことで、夢をさらに深く思い出すことを促し、さらにその思い出した夢にどんな意味やメッセージが含まれているのかを考え、次に夢を見る時の指針にしていくのです。

彼らには夢に関してのルールがあります。

1:夢の中では意識して積極的であるようにする(恐怖に打ち勝ち、何かを成し遂げる)
2:夢の中で出会った友達とは出来るだけ仲良くする。

こうしたことを特に子供に教えます。

これは次回、お話をする「明晰夢」を見る人の中でよくある話しなのですが、夢の中で恐ろしい形相をした悪魔が自分に向かって迫って来たとします。

こういう時は大抵逃げ出してしまうのが常です。

しかし、自分の見ている夢が「夢」であると自覚しているベースがあったり、日頃から「夢」に対して意識的であると、自分の目前にいる恐ろしい形相をした悪魔は、実在する悪魔ではなく、自分に何らかの示唆やメッセージを与えてくれている存在だという解釈が出来ます。

そうするとその悪魔は恐れるべき対象ではないことが分かり、その悪魔に向かって自ら歩を進め、最後には抱きしめてしまうことが出来るのです。

抱きしめた悪魔は一瞬にして、神々しい温かな笑顔をたたえた存在に変わり、その瞬間に「夢」は「悪夢」でなくなるのです。

こうした「夢」への意識を変革させるだけで、「夢」に自発的に関わり、「夢」をある意味でコントロール出来るのです。

またこうした動きは日常にも多大な影響を与え、積極的に自分を取り巻く問題に関われるようになったり、利他的な思考へ心が向き、より良い人生を歩んでいくことに繋がるのです。

セノイ族の習慣には、私達が学ぶべき事柄が多くありそうです。

夢の共有②~他者間での共有~

夢は非常にパーソナルなもので、自分の見ている夢は自分1人で独占していると考えるのが普通です。

しかし、どうやらそうでもなさそうだ・・・というお話です。

①弟との夢の共有

京都大学大学院のカール・ベッカー教授が幼い頃、弟と同じ部屋で寝ていた時の話しです。

(夢の中で)夕方、弟といっしょに海岸を歩いているんですね。

それで、私がカニを拾っていじめた。すると、弟が、やめろ、やめろ、可哀想じゃないかという。

私がいいじゃないかといって、しばらく議論する。しかし結局、私はカニを海に放してやる。そういう夢なんです。翌朝話しをしているうちに、弟も同じ夢を見ていたということが分かった。

「どうして兄貴はいつも動物をいじめるんだ」というので、「いつもいじめてるわけじゃない。夢の中でいじめただけだ」といって口喧嘩をした。

何と弟も同じ夢を見ていたというのです。

驚くことに夢の中で交わした会話が細かい部分まで一致していました。

②友人との夢の共有

ベッカー教授は、他にも「夢の共有」体験をしています。

「長いこと同室で暮らしていた友達との間で体験した話しです。

なんか日本の柔道場みたいな大きな畳敷きの部屋で、蹴り合ったりして遊んでるんです。ほんとじゃなくて、夢の中ですよ。

それで、私が大変強く彼の胸を蹴った。もちろん、まだ夢の中ですよ。

ところが、それと同時に二人とも目を覚まして、彼は私の胸をつかんで、『痛いじゃないか』と文句を言った。聞いたら同じ夢を見ていた」

①②ともに『臨死体験 上』第1章”臨死体験” 立花隆 著 より

こうした「二人が同じ夢を同じタイミングで見る」という現象を「間主観的夢(intersubjective dream)」といいます。

このような現象を専門的に研究しているカリフォルニア大学の心理学者チャールズ・タート教授(「変性意識状態」という言葉の生みの親)は双子や、精神的に親しい夫婦同士などに多く見られる現象であると言っています。

この2つのケースでは、互いが別々の夢を見ていたというより、1つの夢を共有していたとしか思えません。

この場合、就寝中の人同士の「夢の共有」ですが、覚醒中の人と、睡眠中の人の間で「夢の共有」が可能かを実証する実験も行なわれています。

今まさに眠りについて夢を見ている人の「夢」に、起きている人がテレパシーを送った場合、「夢」を見ている人は、その「夢」の中でそのことに気付くかという実験です。これは見事に成功します。

テレパシーを送る側は、ある高名な画家の描いた作品を事前に見て、そのイメージを就寝している人に向けて送り続けました。

するとその人の夢の中に、この作品のイメージが確かに伝わり、夢の中に現れたのです。

また、この反対の実験も行なわれています。被験者が「REM睡眠」中に、意識して事前に取り決めておいた合図代わりの眼球運動をします。

具体的には夢の中で、指を目の前で水平に動かして、その動きを目で追うというものです。

これを後から、調べると「REM睡眠」から目覚める直前のポリグラフに、合図と同じ2回の大きな眼球運動があることが分かったのです!

先ほどは覚醒中の人が、睡眠中の夢見の状態にある人にテレパシーでイメージを伝えましたが、この実験は「REM睡眠中」の人が、覚醒している人に向けて(ポリグラフの観察者)合図を送ることが出来たわけです。

こうしたことで分かるのは、夢は自分の頭の中だけに現出する、自己完結のものではないということ。さらに夢は双方向の交信が可能であることを示しているのです。

前回書いた「夢には人生を変える力がある」ということが少し現実味を帯びて来たのではないでしょうか。

さて次回は、いよいよ「明晰夢」について具体的にご説明したいと思います。


参考文献

『明晰夢 夢見の技法』スティーヴン・ラバージ著
『みたい夢をみる 明晰夢の技術』チャールズ・マックフィー著
『ドリーム・テレパシー』M・ウルマン+S・クリップナー+A・ボーン著
『夢を操る - マレー・セノイ族に会いに行く』大泉実成著
『臨死体験 上』立花隆著

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