見出し画像

【明晰夢で人生を豊かにする!④】明晰夢とは夢の中で目覚め、夢に能動的に関わること!

前々回『【明晰夢で人生を豊かにする!②】睡眠と夢の構造 〜 夢を覚えておくためには?〜』では「睡眠」と「夢」の関係性について、前回の『【明晰夢で人生を豊かにする!③】"夢"は自分1人のものではなかった!〜他者との夢の共有〜』では、「夢の共有」についてお話しいたしました。


今回はいよいよ、「明晰夢(めいせきむ) - Lucid Dreaming-」についてお話をしたいと思います。


明晰夢とは?

人は「夢を見る」という表現をします。

あたかも映画館で観客の一人としてスクリーンに映し出される、自分が主人公の映画を観ているというような表現です。

どこか傍観者的、客観的、無意識的であるともいえます。

実際には客席に座っている自分と、スクリーン上の自分は一体であって、主観はスクリーン上の自分にあります。

ゲームの世界でいう「主観視点」によってそのストーリーの中の登場人物となり、夢を垣間見るわけです。

ゲームでは自分がコントローラーを手に持って自在に行く場所も、次に取る行動も決められますが「夢を見る」という感覚の「夢」では、例え「主観視点」を持っていたとしても、コントローラーを手放し、まるでサンプルムービーやシュミレーションを眺めているというような感覚なのです。

決して「夢を体験する」「夢を生きる」「夢で行動する」などと表現しないのは何故でしょうか。

「明晰夢」とは、まさにイキイキと「夢を生きる」ことであり、コントローラーを手に取って、自発的に、能動的に、自分で夢を主導することなのです。

もっと他の表現で「明晰夢」を考えてみましょう。

「明晰夢」とは端的に言えば、「夢の中で目覚めること」だと言えるでしょう。

「明晰夢」について初めて知ったという方は「眠った状態で見るのが"夢"であるはずなのに、"夢"の中で"目覚める"とは矛盾した話しだ」と思われるかもしれません。

もう少し踏み込んで「明晰夢」について説明したいと思います。


自分が、自分であるという認識

私達が普段、夢を見ている時というのは、夢の中のストーリーに流されてしまい、それがあくまで"夢"の中で起こっている出来事であるという認識は希薄か、全くないかのどちらかです。

空を飛んでいる夢を見ている時は、本当に空を飛んでいると感じて自分がスーパーマンのようなヒーローになった気分で心地良く空を舞っているでしょう。

また、誰かに追われている時は、本当に追われているものと感じて、追いつかれたら殺されるのではないか、酷い目に遭わされるのではないかという恐怖に支配され、必死の思いで逃げていることでしょう。

空を飛んでいる夢を見ている時に「これは夢なのだから、自分の好きな場所に行って、会いたかった人に会ってみよう、現実には行けない場所に行ってみよう」などとは思わずに、ただ漠然と空を飛んでいるでしょう、

誰かに追われている時に、敢えて立ち止まってみて「これは夢なのだから、追いかけて来る相手がどんな奴か見定めてやろう」などとは思わずに、ただ訳も分からず、ひたすら逃げ惑っていることでしょう。

「明晰夢」の中では、"明晰に"自分が自分であるという認識があります。

つまり目覚めている時にある自分自身の機能(認知、記憶、知識、思慮など)が完全に保たれたままなのです。

明晰夢の状態

スタンフォード大学の神経生理学者で、明晰夢研究の第一人者であるスティーヴン・ラバージ教授の『明晰夢 夢見の技法』によると「明晰夢」とは以下のような状態のことを示します。

「(起きている時のように)はっきりと考えられる

目覚めている時の生活については、細部に至るまで自由に思い出せる

意識的によく考えた上で、慎重に行動することが出来る

夢の鮮明さが損なわれない

先ほど挙げた例で考えてみましょう。

空を飛ぶ夢であれば、せっかく空を飛ぶシチュエーションにいるのだから、覚醒中の自分の実際の現状では海外旅行に行くのは困難であるけれど、憧れの場所はずっとマチュ・ピチュで一度訪れてみたいと思っていた。

だったら、この夢を利用してマチュ・ピチュに行ってみよう、最近見たニュースでは隠し扉があって、その奥には地下へと至る階段があることが分かったと聞いた。

その地下に何があるのか見てみよう!

そう夢の中で考えることができ、しかもそれを実行するのか、しないのかも自分の判断で決められ、もし実行に移した場合は、そこで見る景色はまるで現実と見まがうような鮮明さなのです。

もし、このマチュ・ピチュ訪問を空を飛んで実現させたとします。

夢であることには変わりありませんから、現実では考え及ばないハプニングが起こることだってあります。

運良く隠し扉に辿り着いて、その奥に地下へと続く階段を見つけることができ、その階段を降りようとしたとします。

しかし突然、地響きが鳴って足元が大きく揺れ始め、大小の岩が頭上に降り注いできます。

明晰夢の中ではこうした突然のハプニングに陥ったとしても

これは夢なのだから、実際には危険はない。恐れずに堂々として、目的地へ急ごう!

そう思えば、降り注いでいた岩も、嘘のように消え去り、揺れ動いていた地面もピタリとその動きを止めます。

これが「明晰夢」ではない、普通の夢であれば、こうした場面に出くわしてしまうと恐怖におののき、命乞いをするのかもしれません。

夢の中で不意のハプニングに襲われ、危険を感じた時に「これは悪い夢だ!目覚めなければ!」と思い、夢から目覚めたことがある人は多いでしょう。

これは「明晰夢」の入口に立っている状態であり、完全な「明晰」状態であるとはいえません。何故ならこの場合、夢の中に留まりながら危険を回避することが出来るからです。

そう「明晰夢」とは「夢を見ている」という完全な自覚を保ちながら見る「夢」のことを言うのです。

「明晰夢で人生を豊かにする」そう、この記事のタイトルでは謳っています。

皆さんは、ただリアリティのある楽しい夢が見られるというだけではないか、それが現実にどう影響するというのだと疑問をお持ちになることでしょう。

次回から、その疑問に少しずつお答えをしてまいりましょう。



参考文献

『明晰夢 夢見の技法』スティーヴン・ラバージ著
『みたい夢をみる 明晰夢の技術』チャールズ・マックフィー著
『ドリーム・テレパシー』M・ウルマン+S・クリップナー+A・ボーン著
『夢を操る - マレー・セノイ族に会いに行く』大泉実成著
『臨死体験』立花隆著
『The Lucidity Institute』Website
『Dream Doctor - Making sence of your dreams』Website

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?