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鳥居とは何か?⑤ 〜鳥居の分類と構造〜 【神明鳥居・後編】
2020年5月27日公開記事を再掲
鳥居の分類(神明系鳥居・後編)
『鳥居とは何か?②』より、鳥居のバリエーション豊かな種類をご紹介して来ました。
「鳥居の分類」については、本日が最後。
「神明系鳥居」の後編をお届け致します。
今回、ご紹介する最初の2つの鳥居は、一見するとこれまでご紹介して来た鳥居との区別がつきにくい鳥居です。説明を読む前に、写真だけを見て、その違い、特徴を当ててみて下さい。
3つめの鳥居は、非常に珍しい鳥居です。
宗忠鳥居
![](https://assets.st-note.com/img/1688107638480-h9YJc2E4Hr.jpg?width=1200)
「宗忠鳥居」は、前回ご紹介した「鹿島鳥居」を化粧仕立てにし、「額束」を加えたものです。「笠木」の鼻も、「襷墨(たすきずみ)」になっていて、柱にはやや「転び」もついています。
「宗忠神社」は、金光教、天理教とともに「幕末三大新宗教」に数えられた、神道系の新宗教「黒住教」の教祖である黒住宗忠を祀る神社です。創建は文久2年(1862年)で、安政3年(1856年には「宗忠大明神」の神号を朝廷から送られています。
宗忠鳥居のある、その他の神社
祖霊社(京都市左京区)
化野念仏寺・天満宮(京都市右京区)
内宮源(ないくうげん)鳥居
![](https://assets.st-note.com/img/1688107716920-mrQPEWVC9S.jpg?width=1200)
「伊勢鳥居(前回記事を参照)」の柱は円柱でしたが、こちらは八角形をしています。
京都・吉田神社の神主であり「吉田神道(唯一神道)」の創始者である吉田兼倶。
文明12年に、この吉田兼倶の自邸にあった斎場を現在の場所に移したのが、吉田神社の境内にある大元宮。
この大元宮の裏に、伊勢の内宮と外宮を祀った社殿(東神明社、西神明社)があり、この内宮(東神明社)の鳥居の柱が、八角形であるため「内宮源鳥居」と呼ばれています。
吉田兼倶は、「伊勢鳥居」の柱も本来、八角形であったが、削りあげて丸くなったのだと説明しています。「内宮源」の「源」の意味するところは、大元宮の内宮の鳥居こそが「源(みなもと)」であるということなのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1688107792636-K6bbxhWYw7.jpg?width=1200)
内宮源鳥居のある、その他の神社
護法堂弁財天(京都市右京区)
城南鳥居
![](https://assets.st-note.com/img/1688107850664-NRXsk4iU9m.jpg?width=1200)
「城南鳥居」は不思議な鳥居です。
「明神鳥居」特有の島木を持ち、鼻(先端)には反り増しもあります。また、「両部鳥居」や「宇佐鳥居」に見られた雨覆屋根がついています。
しかし、「島木」から下を見ると、その特徴は「神明鳥居」の様相を呈します。「額束」がないこと、そして「貫」も柱から外に突き出ていません。
これまで見て来た通り、「神明鳥居」は「島木」を持ちませんが、「島木」を持ちながら、「額束」がなく、「貫」の出もない。尚且つ「神明鳥居」の直線的で、原始的な形態を保っている「島木神明鳥居」という特殊な鳥居も存在します。
島木神明鳥居のある神社
今宮神社(東京都文京区)
大島神社(大阪府堺市)
参考文献
『鳥居 百説百話』川口謙二、池田孝、池田政弘著 東京美術
『鳥居』谷田博幸著 河出書房新社