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大島訴訟(その2)【やんわり租税法 No.4】

こんにちは、マークです。
今日も一緒に勉強していきましょう。
さて予告させていただいた通り、前回の続きとして、大島訴訟について学んでいきたいと思います。
今回は大島訴訟で示された「合理性の基準」にスポットを当てて考えていきたいと思います。
ちょっと憲法寄りではありますが、しっかり租税法律主義にまつわるお話です。
まずはおさらいを兼ねて、大島訴訟の判旨の一部を見てみます。

「・・・租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般 からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、 極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがつて、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。そうであるとすれば、租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、これを憲法一四条一項の規定に違反するものということはできないものと解するのが相当である。」

難しい表現にも見えますが、ここで重要なのは「(所得区分を設けることが)著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができ(ない)」としている点ですね。
そしてこの合理性というのは「合理性の基準」という法律用語から用いられているものです。少し説明が必要なのですが、とりあえず有斐閣の法律学小辞典を引いてみます。

合理性の基準
「裁判所が法令(特に人権を規制する法令)の憲法適否を判断する基準(違憲審査基準)の1つ。広義では,当該法令の立法目的や,そこで採用された規制手段が,合理的であるといえれば,その法令は合憲であるとみてよいとする基準を意味する。それは,厳格な審査基準との対比でいえば,緩やかな審査基準に当たる。合憲性の推定が働く領域における違憲審査基準だといってもよい。狭義では,厳格な審査基準だけでなく,厳格な合理性の基準(中間的審査基準)とも区別された,単なる(最小限の)合理性の基準を指す。この場合,大まかにいえば,立法府が法令を合理的だと判断したことが一応もっともだと考えられるといえるだけで(あるいは法令の合理性が想定されさえすれば),法令は合憲だとされることになる。それは,明白性の原則(立法府の判断が著しく不合理であることが明白でない限り合憲になるとする原則)に近いものとなる。このような極めて緩やかな基準は,積極目的に基づく経済的自由の規制などの場合に用いられる。」

また難しい文言がならんでいます。。
僕なんかはこういうの見ると、さらにここに書かれた用語を調べていき、結局何を調べているか忘れてしまうのですが、今回は落ち着いて見ていきます。

まず今回の大島訴訟は「給与所得と事業所得の取扱いの違いが、"法の下の平等"に反していないか」というところが大きな争点なわけです。つまり「所得区分は憲法違反だ」という話をしているのです。
そこで持ち出されるのが「違憲審査基準」です。読んで字の如く、憲法違反かどうかの基準です。
そして、違憲審査基準の分類は複雑ですが「厳格な審査基準」と「緩やかな審査基準」に分けることができます。
大島訴訟で用いられた「合理性の基準」はこのうち「緩やかな審査基準」の考え方を用いたということになります。
憲法14条1項後段に列挙されているような「人種、信条、性別、社会的身分または門地」について「以外」に用いられることになります。
主にお金に関わる部分は「緩やかな審査基準」、その人の立場や精神的な部分そのものに関わるようなものは「厳格な審査基準」の考え方によって違憲審査が行われることになっています(いわゆる「二重の基準の理論」)。

ではなぜ、お金に関わる部分は「緩やかな審査基準」になっているのでしょうか。
これは租税法律主義の考え方にも沿うものです。例えば租税は僕たちのお金を取り上げる「財産権の侵害」ということになります。
そして、財産権はとても強い権利ですので、租税法律主義で法律に基づかない課税は憲法違反になると厳しく定めているのです。
つまり、税金を取る法律が定められているということは、厳格な審査が行われているはずなので、その法律を憲法違反としてひっくり返すのにあたって、裁判所は慎重な姿勢を取ります(合憲性の推定)
この考え方が判旨の一部にある「著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができ(ない)」という考え方に現れているのです。
つまり、法律で定められたものを憲法違反とするのは、大島訴訟もそうであるように、なかなかできない仕組みになっていることがわかります。
ただ、別の視点に置き換えると租税法律主義の厳格な性格もみることができます。

少し話は逸れますが、この「著しく不合理」であるかどうかを考える上で参考になる判例があります。刑法の事件ですが「尊属殺重罰規定違憲判決」と知られる事件です。こちらは「法の下の平等」に反して法律が無効となった裁判です。
とても不幸で悲しい事件ではありますが、この事件での大貫正一弁護士の口頭弁論は法律を学ぶあなた方にもグッとくるものがあると思われますので、調べてみてください(Wikipediaにもあります。)

ところで、さっき取り上げた「厳格な審査基準」は「人種、信条、性別、社会的身分または門地」に適用されると言いました。
でも所得税法には「寡婦控除」と「寡夫控除」が区別して定められており、女性の方が所得控除を受けやすい規定があります。
これは憲法14条1項に反しないか、ということについて争われた裁判もあります。
興味があればこちらもみてみてください。

とりあえず、ここで大島訴訟の話は一旦キリをつけます。本当はもう少し話したい論点もあるのですが、別稿に譲りたいと思います(偉そうに。笑)。

では、次回はちゃんと「やんわり」を目指します(がんばる)。
お読みいただきありがとうございました!

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