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📗【文曞版】✎ 瀌拝メッセヌゞ『私たちの日ごずの糧を、今日もお䞎えください』

📗今日の瀌拝メッセヌゞのテキスト版もここに掲茉いたしたす⬇
📗瀌拝メッセヌゞ『私たちの日ごずの糧を、今日もお䞎えください』

新玄聖曞 マタむの犏音曞第6ç« 11節 2024幎6月2日
 私たちの日ごずの糧を、今日もお䞎えください。 
 
䞻の恵みず平安が皆さんの䞊に豊かにありたすように。この日も皆さんずご䞀緒に䞻の日の瀌拝にあずかれたすこずを心から感謝いたしたす。
 
 たずこちらの蚘事をご芧ください。
「子ども食堂で自衛隊が募集広報」ずいう蚘事ですね。

 ずいうこずですね。これに぀いお、旧ツむッタヌでは、ちょっず匷い衚珟かもしれたせんけれども、こんなこずを蚀う方がいらっしゃるんですね。
 
【子ども食堂で自衛隊が募集広報するこずの䜕が問題かず蚀うず、そもそも囜が子䟛の貧困察策をたずもに行わず、貧困家庭の子䟛救枈を民間有志の共助に䞞投げしおおいお、さらにその善意の堎を自衛官の狩堎ずしお収奪するなど、たさに「経枈的城兵制」以䞊の邪悪さではないか。】
 
 これは鋭い芖点だず思いたす。ずいうのは奥田知志牧垫が、

平和を求める絵本を、ロシアがりクラむナに䟵攻した時に、出版しおいらっしゃるんですね。そのあずがきの文章が玠晎らしかったので、少し長いですけれども匕甚させおいただきたす。
 
【そもそも人はなぜ戊堎に行くのでしょうか。誰も行きたくはない「あの堎所」に若者はなぜ向かうのでしょうか。 どれだけハむテク兵噚を駆䜿しおも、最埌は歩兵が投入されたす。人が人ず察峙するのです。今回もそうでした。

぀たり、いくら偉い人が「戊争をするぞ」ず蚀っおも、実際に戊堎に行っおくれる人がいなければ戊争は出来ないのです。だから戊争をやりたい人は無理くり「食えない」状況を぀くり出したす。米囜は䞀九䞃䞉幎に城兵制を終えおいたすが、その埌もしばしば兵士を戊堎に送り蟌んでいたす。 栌差ず貧困の倧囜は兵士の䟛絊に事欠かないのです。「戊堎で皌ぐしかない」ずいう珟実が戊争継続の背景にありたす。「貧しさ」が、戊争遂行の第䞀芁玠だず蚀えたす。

ただ、それだけでは足りたせん。「貧しさ」ず共に「さびしさ」が欠かせない。 抱暡にたどり着く若者の倚くが自分の存圚意矩を芋出せずに生きおきたした。 「認めおもらいたい」「必芁ずされたい」そんな思いが満たされないたた「自分は生きおいる意味があるのか」ず自問したすが、誰も応えおくれない。 そんな「さびしい」思いを匕きずりながら、圌らは生きおきたのです。

そんな時、囜家が「名誉」を手土産に「君の勇気が必芁だ」ず焚き぀ける。人は居堎所ず出番を求め戊堎にさえ向かいたす。 しかし、そんな「危ない意味付け」に頌らずずも誰もが認められ、必芁ずされる瀟䌚があれば、誰が戊堎に行くでしょう。ちゃんず食べるこずができ、 目の前の人から「君が必芁だ」ず蚀っおもらえる瀟䌚があれば、誰が戊堎に行くでしょう。

これたで抱暞で行っおきた「貧しさ(ハりスレス)」ず「さびしさ(ホヌムレス)」ずの闘いは、この意味で平和ぞの道だったず私は考えおいたす。

この春、抱暞は新たな䞀歩を螏み出したした。 「垌望のたちプロゞェクト」です。詳しくは HP怜玢 ほうがく) をご芧ください。 「戊堎に行く必芁がなくなるたち」。 それが「垌望のたち」であり、戊争に察する私たちなりの抵抗です。

戊争に良い戊争も悪い戊争もありたせん。戊争そのものが悪です。この機に乗じお栞歊装 が必芁などずいう劄蚀が出始めおいたす。私たちはあの道を二床ず歩むこずは出来ないのです。 】
 
 あの道、ずいうのは、第二次䞖界倧戊のこずでしょうね。぀たり今日のむ゚ス様のみこずばからすれば、日ごずの糧を求める祈りは、実は平和ずも぀ながっおいる、ずいうこずでもあるんですね。
 
 今日、神のこずばずしお共に聞きたしたのは、䞻の祈りの「私たちの日ごずの糧を、今日もお䞎えください」ですね。叀来より、「第四の祈願」ず分類されたす。今日は䞻の祈りの第5回目、
 
 『倩にいたす私たちの父よ。
 埡名が聖なるものずされたすように。
 埡囜が来たすように。
 みこころが倩で行われるように、
 地でも行われたすように。

 その続きにこの
 
 私たちの日ごずの糧を、今日もお䞎えください。
 
 ずいうこの祈りが来るわけですね。(日甚の糧は日曜の糧ではない。日甚品、日甚雑貚のにちよう)
 で、これたでの4回のメッセヌゞで、䞻の祈りが、どんなに深く広く深遠な祈りかずいうこずがお分かりいただけたかず思いたすけれども、急にこう生掻に密着した祈りになった、ずいう印象をお受けになった方がいらっしゃるず思いたす。
 
 ある牧垫はこういうふうに蚀っおいるんですね。「生掻のにおいの䞭での祈り」なんだず。そしおこう続けたす。
 
 「日甚の糧」ずは、その日に必芁な分の食べ物」ずいう意味です。倧きくお深い䞻の祈りの真ん䞭に、食べものを盛った怀ず皿がちょこんず眮かれおいるのです。
 
 䞻の祈りからは食べ物のにおいがしおいたす。わたしたちは祈りの真ん䞭で食事のために祈っおいるのです。
 
 たぁこう蚀いたすず、でもあんたり切実な祈りずいうふうに感じない方もいらっしゃるかも知れたせん。
 確かに、今、今日䞀日のごはん、明日の䞀日のごはん、それに困っおいらっしゃる方が日本にも倧倉増えたした。
 もう2ヶ月くらいで倏䌑みに入りたすよね。䞭には絊食でいのちを぀ないでいる、っおいう子どもさんたちもいらっしゃるし、それこそ子ども食堂が呜づな、ずいう子どもさんもいらっしゃるわけですね。子䟛の貧困率は、7人に䞀人です。でも、を超える貧困率にはなっおいない、ずいうこずは、皆さんの䞭で(動画で芋おおられる皆さんも含めお)、今日、明日、䞉食食べれるかどうか、ずいうのが、切実なわが家の祈りです、ずなっおいらっしゃる方は、少なくずも倚数掟ではない、ずいうこずだず思いたす。
 ずいうこずは、党員が共感できる祈りではない、ずいうこずになるのでしょうかそうではありたせん。もっず、蚀い方を倉えおみたしょうか「食べおいけるようにしおください」ずいう祈りだったらどうでしょうか
 こうなるず、かなり倚くの人が、切実な祈りずしお、実感されるんではないかず思うんです。
 あるいは食べお行けるように、安定した仕事ず、働く胜力ず䜓力を䞎え続けおください、ず祈る。
あるいは物䟡䞊昇が止たりたせん。電気代も倀䞊がり、増皎ずステルス増皎、幎金や老埌資金も心配だ。䞻よどうぞ賃金が䞊がるずか他の方法で、私の生掻をどうにかしおください。
こういうふうに祈る、こうなるず、ずっおもずっおも身近な祈りになるかず思いたす。
 で、こういうのは、実は宗教改革者マルティン・ルタヌが、小教理問答ずいう小さな本の䞭で、この「日甚の糧を今日も䞎えたたえ」ずいうのは䜕ですかずいう問いに、こう答えおいるんですね。
 
「それは、肉䜓の栄逊や、生掻になくおはならないすべおのものです。䟋えば、食物ず飲み物、着物ずはきもの、家ず屋敷、畑ず家畜、金ず財産、信仰深い倫婊、信仰深い子䟛、信仰深い召し䜿い、信仰深く信頌できる支配者、よい政府、よい気候、平和、健康、教育、名誉、たたよい友達、信頌できる隣人などです。」
 
 こういうふうに蚀うんです。ちょっず衚珟ずしおはいかにも500幎前、ずいう郚分もあるんですけれども、いずれにせよルタヌはずっおもこの祈りを広く理解しおいる。しかしこれはルタヌが勝手に蚀っおいるこずではなくお、む゚ス様のこころをよく理解しお語っおいるんです。
ずいうのも、この埌すぐに、む゚ス様は「空の鳥を芋なさい。野のゆりを芋なさい。䜕を食べようか、䜕を飲もうか。䜕を着ようか心配するのをやめなさい。」ずおっしゃった。このこずから、衣食䜏も圓然含み、それから、生掻しおくのに必芁なこずすべおがこの「日ごずの糧を」ずいう祈りに含たれおいる、ず考えるのは圓然だず思いたす。珟代なら必芁なものにスマホずかも含たれるでしょうかねルタヌが挙げるので面癜いのは、よい気候ずか、教育ずか、よい政府ずか、平和ずか、そういうものも含たれおいるっおいうんですよね。確かにそういうものがないず、生掻しお行くこずが困難になっおいく、ずいうのはよく分かるような気がしたす。健康っおありたすから、医療ず蚀い換えおもいいかもしれたせんね。
 
 ここたでで、この日ごずの糧の意味するこずの広さ、ずいうのがお分かりいただけたず思いたすけれども、もっず別の広さがあるんですね。ここで、「私たちの日ごずの糧を」ずいうのの「私たち」ずいうこずばに、泚目しおいただきたいず思うんですね。
 私たち、なんでもないこずばのようですけれど、これはすごく倧事で、「私」ずいうのずは、倧きな違いがあるんです。私、ず私たち、違いは、䞀人か、耇数の人か、っおいうこずでしょう。
 でこの、耇数の人、っおいうのは、誰を含むんでしょうかわが家の䞖垯、ずいうこずで考えるでしょうかあるいは、私たちの䞀぀の教䌚、ずいうこずで考えるでしょうかそれでもいいんですけれども、党䞖界の教䌚が繋がっお䞀぀のキリストのからだを圢成しおいるわけです。これを普遍的教䌚ず蚀いたすけれども、私たち、ず蚀った時に、ここたで広げお考えた方がよいのです。
 そしお、じゃあ教䌚の人たち、぀たり党䞖界のキリスト者・クリスチャンだけに日ごずの糧が䞎えられたらそれでいいでしょうかそうではありたせん。
 なぜなら、クリスチャンでない人もたた、倩の父なる神が「神のかたち」ずしお創られた尊い存圚だからですね。そこに䜕の違いもありたせん。キリスト教幌皚園で、子どもが食前の祈りを芚えお垰っおくる。そうしお「神さた、䞖界䞭の人に、食べ物が䞎えられたすように」ずいう祈りを子どもがするようになっおキュンずした、ずいう投皿をあるクリスチャンでない方がに䞊げおいらっしゃいたしたけれども、これも「日ごずの糧を」の蚀い換えでしお、やはりこれは䞖界を包む普遍的な祈りなんですね。
 この祈りは、地球党䜓ぞずたなざしを向けおくれたす。
オむコスずいうギリシャ語があっお、これは家を意味したす。゚コロゞヌずいう蚀葉も、゚コノミヌずいう蚀葉も、実は、家、ずいうこずばから来おいる。カトリック教䌚の回勅「ラりダヌト・シ」では、
 
【わたしたち人間は、地球ずいう、同じ䞀぀の家に䜏む、兄匟姉効です。】
 
 ず蚀っおいたすね。神さたは䞀぀の家のように被造物をお創りになった。地球環境も動怍物も。䞀぀の家ずしお、共に生きる地球の、䞀぀のずころが、自己䞭心・自分ファヌストの欲望によっお壊されるず、別のずころが痛んで行く。動怍物も含めお。私たちは家族のように生きおいる、゚コロゞヌですね。
そしお゚コノミヌずいうのは、それをどのように分かち合っお行くのか、ずうこずです。よく゚コノミヌは経枈的などず蚀いたすけれども、日本語になっおいる経枈ずいう蚀葉も、もうお金の意味にすり替わっおいるんですけれども、もずもずは「経䞖(囜)枈民」で、䞖の䞭を治め民を救う、぀たり、富を、みんなを救うように分配しおいく、っおいう意味なんですよね。
 
 そうするず、党䜓を含めお、ずいうのずわりず重なる郚分が倚くなっおきたす。もちろんこれは囜連が䜜ったものですので、聖曞ず完党に䞀臎するわけではありたせん。たた、を批刀する人もいたしお、どんな批刀かずいうず、持続可胜な開発などしおいるどころではない。地球環境はもっず深刻なので、持続可胜な撀退をしなければならないず蚀う科孊者もいたすし、あるいは、これらを資本䞻矩の枠内でやっおも歯止めはかけられないず蚀う人もありたす。しかし、抂ね、良いものではあるず思いたす。

 これを芋るずでお分かりくださるず思いたすが、は、゚コロゞヌだけではないんですね。貧困を無くそうずか、飢逓をれロにずか、平和ず公正をすべおの人に、ずか、぀たり人暩、や平和ずいうこずが含たれおくるんです。
 でこの、人暩ずいうのず、平和ず、地球環境ずいうのず、ずもすれば別々のもの、無関係のように思われるかもしれたせんが、実は党郚぀ながっおいるこずなんですね。
 たずえば、自然砎壊をする、枩宀効果ガスを出す、そうするず、枩暖化で気候倉動が起こるず、最初にわりを食うのは、グロヌバルサりスの囜の人々なんですね。たずそれらの囜々で灜害が起こりやすくなっお、食糧が䞍足しお、飢逓が起こりやすくなりたす。食糧が䞍足するず戊争や玛争も起こりやすくなりたす。珟圚䞖界人口玄80億人のうちの玄8億人が飢逓の状態にあるず蚀いたす。だからこそ10番に人や囜の䞍平等をなくそう、ずいうのがあるんですね。だからこそ私たちは、この「私たちに日ごずの糧をお䞎え䞋さい」ずいう祈りによっお、䞖界を包む祈りずしお、䞖界䞭の戊争・玛争䞋にある人々、今たさに虐殺に遭っおいる人びず、貧困ず飢逓にあえいでいる人びず、難民になっおいる人びず、そういう人びずが同じ地球に䜏む家族ずしお助けられるように、ずいう、䞖界の盎面しおいる様々な苊悩ず連垯しお行く祈りになるのです。旧玄聖曞が蚀っおいるヘブル語の「矩」ずか「正矩」ずいうのは、「連垯」を意味する。たず神ずの良い関係があっお、それが暪に広がる。それが矩であり、連垯です。そしおこの祈りによっお具䜓的に行動しおいくこずにも開かれお行くわけですたずえば肉を1週間に䞀床、あるいは1か月に1床食べないずか、そういうようなこずをハンガヌれロが提案しおいらっしゃいたした。
 
 さお、それではこの䞖界に開かれた祈りを日々祈っおたいりたしょう、ずいうこずで説教が終われば、それは瀟䌚的犏音ず蚀っおですね、環境、人暩、平和をめぐっおの講挔䌚、ずいうこずずあたり倉わらなくなっおしたいたす。やはり瀌拝でのこずばであり、聖曞であり、子なる神キリストのこずばなのですから、ここには䞖の䞭の慈善掻動よりもずっずずっず深い、霊的な意味があるわけですね。
 
 ここでルタヌは、共に時代を生きた蟲民であるずか、そういう人たちのこずを考えお、家ず屋敷、畑ず家畜、そういうこずに集䞭しお説いおいたしお、―別の説教ではルタヌもその理解で説いおいるようですが―叀代教䌚からある、ずっおも倧事な理解があるんです。これは、この毎日の糧ずいうのは、毎日の霊の糧、霊の食物、぀たり、神のこずばである。聖曞のみこずばである、ずいう理解なんですね。
 日ごずの糧、ずいうのは、糧ずいうのは、盎蚳するず、パンです。たずえばデボヌションのための「デむリヌブレッド」ずいう小さな冊子がありたすよね。あれも「日ごずの糧」ずいう意味ですね。霊の糧、みこずばです。
 そのみこずばを毎日いただく、みこずばを読んで、黙想しお、祈る、そういう日々を送るこずが、クリスチャンの霊的な栄逊になりたすね。アシュラム運動もそのためのものなんですけれども、む゚ス様は、荒野の誘惑の時「人はパンのみによっお生きるのではない。神の口から出る䞀぀䞀぀のこずばによる」ずおっしゃった通りです。
 
 それで、もう䞀぀ですね、叀代教父のピロニムスずいう人が、―この人はラテン語蚳聖曞を完成させたこずで有名ですけれども―この人がですね、この日ごずの糧を蚳す時に―现かい蚀語的なこずは省きたすけれども―明日のパン、ずいうふうに蚳したんですね。
 そしお明日、っおいうのは、単に、今日曜日だから明日月曜日の食糧ずいうこずではなくお、「未来・将来」を指すこずばで、さらに「神の明日」ずいう意味で、぀たり人間の感芚ずは違う明日、終末を意味する、来たるべき䞖の明日、ずでも蚀ったらいいでしょうか。氞遠の䞖界のため、氞遠のいのちのためのパンずいうこずになりたす。
 
 抜象的で分かりにくくなっお来たでしょうかでも氞遠のいのちのためのパン、ず蚀ったら、䜕かむ゚ス様のこずばで思い出されるでしょうかむ゚ス様は、「わたしは倩から䞋っお来た生きたパンである(ペハネの犏音曞第6ç« 51節)」ずおっしゃいたした。
 このこずばに、聞いおいた人たちはわけがわからずに、「これはひどいこずばだ」っお蚀っお倚くの人がむ゚ス様のもずを去っお行ったわけですけれども、私たちは知っおいるはずです。このむ゚ス様のおからだが、パンが裂かれるように、裂かれたこずを。どこででしょうかそう、あの十字架の䞊でです。十字架の䞊で肉が裂かれ、血が流されたした。
 
 それによっお、私たちの眪が赊され、倩の埡囜の食卓に招かれる者ずされたした。倩囜の倧宎䌚に招かれる者ずされたのです。そしお、その倩囜の前味を、地䞊でも味わう者ずされおいるのです。
 
 元―ずいうのはキリスト者孊生䌚で倧孊䌝道をしおいらっしゃるグルヌプですね―の総䞻事の倧島重埳(しげのり)先生が、ご友人の牧垫の話ずしお、こんなこずを話しおいらっしゃいたした。
 
【牧垫家庭に育った、友達の牧垫がいたす。その人は非垞に貧しかった。それで子䟛の頃 お母さんず䞀緒に野原に行っお぀くしを取りに行ったず。よもぎを取りに行っおそれをおんぷらにしお、お母さんは食事のたびに「神さた今倜も぀くしをありがずうございたす」ず倧声で嬉しそうにお祈りをするしたなんです。
しかし自分はもうその貧しさが嫌で嫌でしょうがなかった。そしお就職しおお金を自由に䜿えるようになっお、なんでも食べるこずができるようになったずき、あの母のように、自分はこの食事を感謝しおいるだろうか
あのお母さんず、「この぀くしはやわらかいね。」ず蚀った、あの喜びを、あんな豊かな時間を、自分は家族ず持っおいるだろうか
あの母は、決しおやけくそで祈っおいたわけではない。匷がりでも、負けず嫌いでもなく、本圓に感謝しお生きおいた。あそこには豊かな時間があふれおいた。だから自分は本圓に豊かに、この人生を生きおいきたいず、牧垫になった。ず話しおくれた。】
 
っお蚀うんですね。物質的には貧しくおも(あるいは物質的にも豊かであっおも)、倩囜の食卓の前味を生きるずは、なヌんお幞せなこずなんだろうか、ずいうこずですよね。その終末的な食事、倩の宎䌚のために、䞻む゚スは、こうおっしゃいたした。
 
新玄聖曞 ペハネの犏音曞第6ç« 5455節
 
54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、氞遠のいのちを持っおいたす。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせたす。
55わたしの肉はたこずの食べ物、わたしの血はたこずの飲み物なのです。
 
これが、たさに聖逐です。倩の宎䌚の前味に、私たちは、この埌行われる聖逐によっおもあずかるのです。この地球党䜓を包み、そしお䞖の終わりの倩の囜の宎たで至る果おしなく倧きな祈りが、ここで、今、始たっおいるのです。
 
お祈りをいたしたす。
アバ、父よ、愛する倩のお父様。
埡名が聖なるものずされたすように。あなたのお取り仕切りが来たすように。
みこころが倩で行なわれるように、この地䞊のすべおの領域の䞭でも、私の心のうちでも、行なわれたすように。
私たちの日ごずの糧をお䞎えください。䞖界䞭のすべおの人に、生掻の必芁な者ず、霊的な糧をず、あなたの愛ずゆるしずいのちをお䞎えください。
䞻む゚ス・キリストの埡名によっお祈り願いたす。アヌメン。
 

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