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「ガイアの復讐」を読んだ

リチャード・ボウカムの「聖書とエコロジー」の中で触れられていた、ジェームズ・ラブロックの「ガイアの復讐*」もついでに借りて読み終わった。

 ラブロックは生物物理学者で、地球を生物圏とともに環境を自己調整する一個の生命のように(もちろんメタファー。私たちが定義する「細胞があり、代謝をする」という意味での生物では無い)みなす。その方が地球環境や生物圏をうまく説明できるのだそうだ。

 たとえばなぜ動物(人間を含む)が尿を排出するのか、という何でもないようなことに、ラブロックは、深遠な何かが潜んでいるのではないかと考えた(ここでクリスチャンなら神が被造物全体に与えた創造の神秘をみるかもしれない)。

 排尿するのは生物としては非常に非効率なのになぜなのか、それは他の生物が窒素を取り入れることができるようにするためなのではないか、と言う。

 生態系は非常に複雑なので、そのように地球全体の生物が絡み合って、共生しているのではないかとするラブロックの論は、多少スピリチュアルさを帯びるようなきらいがあるものの、非常に興味深い。

 その「ガイア」が人間の環境破壊によって病んでおり、今復讐に転じている、というメタファーを使って、現在の地球なら、持続可能な開発などしていられる場合ではない、必要なのは【持続可能な撤退】なのだと訴えるのだ。

 これは今年国連が「地球温暖化時代は終わり、地球沸騰時代が到来した」と言ったこととも合致するように思われる。

 それは多分一理も二理もあると思う。以前「聖書とエコロジーとSDGs」という動画を作ったが、むしろSDGsでは不十分で、たとえば斎藤幸平さんが提案する【脱成長と自治のコミュニズム】は、気候危機に関してはラブロックとどこか通じるところのあるような見解だが、その位の大胆な考え方と実践が色々必要なのではないか。(ただ斎藤幸平さんは、SDGsを「大衆のアヘン」だと強い言い方で批判し、脱成長コミュニズムだけが解であるかのように書いている向きがあるので、それだけに限定すると考え方を狭めてしまうかもしれない)。

 コミュニズムと聞くと私個人は心理的抵抗感があるし、私はコミュニストになる気は全く無いが、ここで「自治の」がついているところがポイントだと思う。国が独裁化しても思い通りにはされにくくなると思われる。

 いずれにせよGDPなどに表されにくく見落とされがちな社会的共通資本・ソーシャルキャピタル・コモンの重要さはどんな主義であっても見直されていいだことだと思う。

 斎藤幸平さんは抱樸の奥田知志さんとの対談をしていて、その動画がほうぼくチャンネルでも見られる。その動画を見れば、その2人の考えは非常に親和性が高いものだと思う。

 人にやさしい「きぼうのまち」こういったモデルは、回り回って実は環境にもやさしい、エコロジーに通じるのかもしれない。

 いずれにせよ、キリスト教会は(プロテスタントは特に。カトリックは回勅「ラウダート・シ」などによって環境への取り組みはやや早い)長い間「神の被造物であるかけがえのない地球」から、地球そのものが持つ環境・気候調整システムを損なうほどに搾取し続けてきた罪について、私を含めて無自覚であった。悔い改めて新しい歩み方を模索したい。

*ラブロックは【原発】を安全で環境負荷が少ないと主張して、つなぎとして唯一優秀なものといくらいに推奨している点には注意が必要かもしれない。
 放射線の生物に与える影響はまだ未知数で分からない部分は多いが、ラブロックは強引に低く見積って、多くの文面を割いてあらゆる数字を駆使して可能な限り矮小化している印象を受ける。
 たとえば広島で被爆して生き延びた人が、癌の発生率が7%高いのを「癌の増加はあまりに小さい」としている等、原子力や放射線に関する発言には過激な部分が多い。
 これは邦訳が2006年に出た本なので仕方無い部分はあるかもしれないが、原発は事故をしていない健全炉でも熱交換する際に出るトリチウム入りの温廃水が、地球温暖化に与える影響はどうかということについてはこの本では全く触れられていない。

*またラブロックは「モンラートやアイオナ島やリンディスファーンのような人里はなれた修道院で重要な目的のために働く修道士たちのことを思い浮かべるべきだ」と言い、彼らからも地球から過剰に搾取しない生活を学べるとしている。


#エコロジー #地球温暖化

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