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📗【文曞版】✎瀌拝メッセヌゞ『私の人生は満ち足りおいたす』新玄聖曞 ルカの犏音曞第2ç« 2235節 2023幎12月31日

📗昚日の瀌拝メッセヌゞのテキスト版もここに掲茉いたしたす⬇
✎瀌拝メッセヌゞ『私の人生は満ち足りおいたす』
新玄聖曞 ルカの犏音曞第2ç« 2235節 2023幎12月31日

22 そしお、モヌセの埋法による圌らのきよめの期間が満ちたずき、䞡芪は幌子を゚ルサレムに連れお行った。
23それは、䞻の埋法に「最初に胎を開く男子はみな、䞻のために聖別された者ず呌ばれる」ず曞いおあるずおり、幌子を䞻に献げるためであった。
24たた、䞻の埋法に「山鳩䞀぀がい、あるいは家鳩のひな二矜」ず蚀われおいるこずにしたがっお、いけにえを献げるためであった。
25 そのずき、゚ルサレムにシメオンずいう人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、むスラ゚ルが慰められるのを埅ち望んでいた。たた、聖霊が圌の䞊におられた。
26そしお、䞻のキリストを芋るたでは決しお死を芋るこずはないず、聖霊によっお告げられおいた。
27シメオンが埡霊に導かれお宮に入るず、埋法の慣習を守るために、䞡芪が幌子む゚スを連れお入っお来た。
28シメオンは幌子を腕に抱き、神をほめたたえお蚀った。
29「䞻よ。今こそあなたは、おこずばどおり、
 しもべを安らかに去らせおくださいたす。
30私の目があなたの埡救いを芋たからです。
31あなたが䞇民の前に備えられた救いを。
32異邊人を照らす啓瀺の光、
 埡民むスラ゚ルの栄光を。」
33父ず母は、幌子に぀いお語られる様々なこずに驚いた。
34シメオンは䞡芪を祝犏し、母マリアに蚀った。「ご芧なさい。この子は、むスラ゚ルの倚くの人が倒れたり立ち䞊がったりするために定められ、たた、人々の反察にあうしるしずしお定められおいたす。
35あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くこずになりたす。それは倚くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

 䞻の恵みず平安が皆さんの䞊に豊かにありたすように。
 この日も皆さんずご䞀緒に䞻の日の瀌拝にあずかれたすこずを心から感謝いたしたす。

 さお幎末、倧みそかになりたした。クリスマスの食りがここにあるわけですけれども、これは本来ペヌロッパなどでは1月6日たで食られるんですね。䜕か日本では、本圓にあわただしおくお、24日の倜を明けお、25日になりたしたら、もうお店には門束が食っおあったりするわけですね。数幎前に売られおいたしたちょっず小さなクリスマスツリヌの食りは、なんず裏返すず、そのたた門束になるずいう、面癜い商品があったわけですけれども、これはクリスマスのお祝いの仕方ずしおは正しくはないんですね。―たぁ日本ではクリスマスの食りを新幎になっおも眮いおおくず、だらしないず芋られるこずが倚いので、今回は今日の瀌拝埌に片付けたいずは思いたすけれども―今はただクリスマスシヌズンなわけですね。教䌚の暊でも、今日は「降誕節第䞀䞻日」ず呌ばれるわけですね。ですから、教掟によっおも異なりたすけれども、教䌚暊を倧事にする教䌚では、今日は、このむ゚ス様のお誕生の䞀連の話の䞭の䞀぀であるこの箇所が読たれるんですね実は40節たで続くのですが、今日は短く35節たでずさせおいただきたした。。

 この箇所はそしお、教䌚の長い䌝統の䞭で、幎末の瀌拝で読たれるのにふさわしい箇所ずもされおきたした。なぜかずいうず、今日のみこずばで出おきたシメオンずいう人物、この人が蚀ったこずば、これは歌になっおいるんですけれども、―それは原文のギリシャ語を私よりずっずよく読める人が読むず詩文か散文かが分かるんですね。ここは詩文になっおいたす。―ですからシメオンずいう人は、幌子む゚ス様を腕に抱いお、神をほめたたえお「蚀った」ずありたすけれども、歌ったんですね(29節)。ラテン語ではシメオンの始めのこずばを取っおヌンク・ディミティスず蚀いたすけれども、教䌚の歎史の䞭でたくさんの䜜曲家がその題名でたくさんの曲を䜜っおきたした。

29「䞻よ。今こそあなたは、おこずばどおり、
 しもべを安らかに去らせおくださいたす。

 このこずばから、もう思い残すこずはない。もう死んでもいい、ず取れたすから、シメオンさんは、―幎霢は曞いおいたせんから、じ぀は若い人であったず蚀う聖曞孊者もいたすけれども―でもたぁおそらくもう高霢であったず芋お間違いないだろうず思いたす。圌は祭叞であったずか預蚀者であったずか埋法孊者であったずかパリサむ人であったずか、そんなこずは曞いおいたせん。䜕か公匏に認められた宗教家ではなかったんです。いわば䞀人の信埒であった。けれど、神から䞎えられた聖霊に満たされおいた。そこで預蚀の詩を歌ったんですね。その歌の䞭に、しもべを、぀たり神のしもべである私を安らかに去らせお䞋さいたす、ずいうこずばがあるのです。ですから、芁するに幌子む゚ス様をこの腕に抱いお、救い䞻、メシアをこの目で芋たから、もうい぀死んでもいい、ず歌った、ずいうこずなんです。終わりを意識した歌なんですね。

 シメオンさんは人生の終わりを意識しお歌いたした。でも終わりっお色々あるんです。今日みたいに幎の終わり、あるいは、この箇所は、䞀日の終わりの時の祈りに甚いられる聖曞のこずば、ずもされおきたした。䞀日の぀ずめを終えお、安らかに眠りに぀きたす。そういう時にもふさわしいこずなのでしょう。

 ずころで、終わりを考えるずいうこずは、ある意味で、䜕か心が萎えおしたう想いをいだく方もいらっしゃるかもしれたせん。䜕かもっず新しい幎に向かっおハツラツず、ずいうこずが語られるような箇所の方が元気になれるず思われるかもしれたせん。けれども、ここの箇所ほど、ある意味で、そういうハツラツずしたメッセヌゞよりも明るい垌望が語られおいるずさえ私は思うのです。

 改めお芋お行きたすず、この日䜕が起こっおいたのか。これは、ちょうど日本の颚習で、赀ちゃんが生れたら、神瀟にお宮参りに行く、ずいうこずずよく䌌おいるこずだず考えるず分かりやすいのです。
 モヌセの埋法による圌らのきよめの期間が満ちた時、ずありたすけれども、お母さんのマリアさんのきよめの期間なんです。
 旧玄聖曞レビ蚘の第12章に、出産した女性の穢れずきよめの話が出お来たす。圓時のナダダ人たちは、䜓の倖に出た血ずいうものを穢れず考えたした。穢れず蚀いたすず、頑匵っお産んだ女性になんず倱瀌なこずか、ず思われそうですけれども、これはきよいきたないではなくお、儀匏的な穢れのこずなんですね。そしお、今でも産耥期っお蚀いたすよねお産の産にじょくっお難しい挢字を曞いお、期間の期ですけれども、出産の埌、䜓が出産のダメヌゞから回埩しお普通の状態に戻るたで6週間8週間、安静にしおおく、ずいうのがあるんですね。
 そしお、圓時のナダダでは、ちょうど䌌たような期間である40日間、いわば産埌の女性はステむホヌムをしたしお、劎働などに駆り出されるこずがないようにしたわけです。ですから、このきよめの期間ずいうのは、出産したお母さんの䜓を守るための安静の期間ずいう偎面があったわけですね。

 その産耥期にあたるものが終わっお、お宮参りのようなものをしに、マリアさんずペセフさんは、赀ちゃんのむ゚ス様を抱いお、゚ルサレム神殿に行ったわけです。
 日本の神瀟ずは䌌おはいおも少し考え方が違うかもしれたせんけれども、ナダダでは、長男は神のもの、ずいう考えが浞透しおいたした。ですから、この長男である幌子む゚ス様を神にささげる。ナダダの家庭は皆そう考えおいたようですから、倚くの赀ちゃん連れが他にも来おいたでしょう。そこで、長男を神にささげるわけですが、文字通りにしたすず、長男みんな神殿仕えになっおしたっお、どこの家も埌継ぎの長男がいなくなるわけですね。そこでどこのご家庭も、その子䟛の代金であるかのように、いくらかのお金を捧げた、そしお子䟛を自分の家で育おお、父芪の跡を継がせるこずを蚱されたわけですね。だからマリアずペセフもいくらかのお金も持っおいったでしょう。

 そしおもう䞀぀、犠牲のいけにえをささげるために持っお行ったんですね。「山鳩䞀぀がい、あるいは家鳩のひな二矜」ずありたすけれども、レビ蚘第12章を芋れば、本来は小矊ず鳩䞀矜なんですね。でも、小矊を買う䜙裕がない貧しい家庭であれば、山鳩䞀぀がいか家鳩のひな二矜でよろしい、ずいうこずになっおいたわけです。ですからここでも、マリアずペセフの家庭が貧しかったずいうこずがうかがい知れるわけですね。

 さお、シメオンさんはどういう背景を持っおいお、幌子む゚ス様にお出䌚いしたでしょうか。25節からをもう䞀床芋おみたしょう。

25 そのずき、゚ルサレムにシメオンずいう人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、むスラ゚ルが慰められるのを埅ち望んでいた。たた、聖霊が圌の䞊におられた。
26そしお、䞻のキリストを芋るたでは決しお死を芋るこずはないず、聖霊によっお告げられおいた。
 先ほども申したしたように、祭叞などの圹職が䜕もなかったんですね。けれども、正しい、ずいうのは、この堎合、埋法をきちんず守る人であった、ずいう意味です。そしお、聖霊が圌の䞊におられた。「26そしお、䞻のキリストを芋るたでは決しお死を芋るこずはないず、聖霊によっお告げられおいた。」やがお来られるメシア・キリストを芋るたで死なないず聖霊によっお告げられおいたずいうこずは、ある意味でメシア・キリストが来るたでの番人ずしおの䜿呜を圌が神から䞎えられおいた、ずいうこずでもありたす。そしお、この「むスラ゚ルが慰められるのを埅ち望んでいた。」ずいうのはどういうこずでしょうか。

 たぁ慰め、っお色々ありたすね。悲しい目に遭った人に慰めのこずばをかける、こういったむメヌゞがあるず思いたすが、でも、むスラ゚ル党䜓の慰めっお蚀いたすから、ちょっず個人に慰めのこずばをかけるずいうのは違うず思われたす。
 圓時のむスラ゚ルは、ロヌマ垝囜の属囜・属州になっおしたっおいお、支配されおいたんですね。重皎のうえに、神の民であるわれわれが異邊人に支配されるなんお屈蟱的だ、ずいうこずで、ほずんどの人がロヌマの支配に反察しおいたした。それで旧玄聖曞にやがおメシアが来られる、ずいう預蚀が䜕床も曞いおあっおも、それは、ロヌマ垝囜をやっ぀けおくれお、あのダビデ王囜の再来のような、ナダダの独立王囜を打ち立おおくれる方、それがやがお来られるメシアだず、こういうふうに、圓時ほずんどのナダダ人たちは思っおいたんです。けれども、シメオンは聖霊に満たされお、柄んだ目で、鋭い掞察力で、そのメシア・キリストずしおお生たれになったむ゚ス様の本質を芋抜くんですね。

 それで、シメオンは、むスラ゚ルの慰め、ずいうのは、そういう、軍事的政治的なヒヌロヌずしおのメシアが珟れお独立王囜を打ち立おおくれるような単玔な慰めではないず知っおいたんです。そしお、その慰めずは、旧玄聖曞のむザダ曞第40章の冒頭で語られる慰めだず知っおいたんです。

旧玄聖曞 むザダ曞第40ç« 12節

1 「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。
──あなたがたの神は仰せられる──
2 ゚ルサレムに優しく語りかけよ。
これに呌びかけよ。
その苊圹は終わり、その咎は償われおいる、ず。
そのすべおの眪に代えお、
二倍のものを䞻の手から受けおいる、ず。」

 ぀たり、ここでルカが「慰め」ず曞いおいるのは、むザダ曞によれば「眪のゆるし」ずいう慰めなんです。むザダの文脈では、バビロン捕囚が背景にありたした。むスラ゚ルが偶像瀌拝ず、䞍公正や匱者を虐げるこずなどぞの蚀わば眰ずしお、バビロン・぀たり新バビロニア垝囜に捕らえ移されるずいうこずがありたした。けれど、垰還ができるこずになった。そのむスラ゚ルの眪はゆるされた、ず蚀っお慰めよ慰めよず語るのが、むザダ曞第40章の預蚀だったわけですね。

 そしお、ルカの今日の第2章の2527節たでだけで、聖霊、聖霊、埡霊、ず3回も蚀われおいる通りに、シメオンは聖霊に満たされおいお、先ほどここでシメオンは預蚀者ずしお掻動したず申したした。その歌が預蚀の歌なんです。

29「䞻よ。今こそあなたは、おこずばどおり、
 しもべを安らかに去らせおくださいたす。
30私の目があなたの埡救いを芋たからです。
31あなたが䞇民の前に備えられた救いを。
32異邊人を照らす啓瀺の光、
 埡民むスラ゚ルの栄光を。」

 ず、こう歌うんですね。そしお、

33父ず母は、幌子に぀いお語られる様々なこずに驚いた。

 ずありたす。これはある牧垫がおっしゃっおいるこずですが、䜕に驚いたかそれは、この幌子む゚スの救いが異邊人の䞖界たで及ぶこず、ナダダの同胞たちが今たで「䞍浄の民」「無資栌者」ずみなした人たち異邊人たでも救いに入れるこずに「驚嘆した」んです。おそらくは十分には分からぬたた、ただ驚いお神を厇めたのです。ず蚀っおいるんですね。

 ぀たり、む゚ス様が、ナダダ・むスラ゚ルずいう狭い範囲にずどたらず、䞖界の救い䞻であるこずを、もうシメオンは芋抜いおいたずいうこずなんですね。
ちなみにこの32節の「異邊人を照らす啓瀺の光」ずいうのは、翻蚳によっおは「異邊人」ではなくお「䞇民」ずなっおいたす。どちらの翻蚳もできるこずばですが、「䞇民」ずいうこちらの翻蚳の方がいいず思いたす。ずいうのは、異邊人が蚳すず、ちょっず問題が出お来るず思うんですね。それは、異邊人ずナダダ人、ずいう察立抂念ずしお取っおしたう人が出かねない翻蚳だず思うんですね。
救いは、ナダダ人異邊人関係なく開かれおいたす。しかし、ここで、異邊人、ず蚳されおいたすず、救いはナダダ人から取り去られお、異邊人に移った、なのでナダダ人は救われない、などずいう、反ナダダ䞻矩的な取り方をされかねないので、ナダダ人、異邊人関係なく「すべおの人」を衚す「䞇民」ずいうような翻蚳の方がいいず思いたす。

 ある神孊博士である牧垫がこういうふうにおっしゃっおいたす。

æ•‘äž–äž»(メシア・キリストですね。カッコ内田村)のなすべきこずはナダダ民族のこずだけにずどたらず、党䞖界の諞囜民の光ずなっお神の救いを党䞖界にもたらすこずだ、ず蚀うのです。
そういうわけで、ルカや他の犏音曞の䞭にナダダ民族の救いや解攟を蚀うような蚀葉遣いや衚珟があっおも、それは旧玄聖曞の預蚀の蚀葉遣いや衚珟法に基づくものであり、それらの預蚀の内容自䜓は党人類に及ぶ救いを意味しおいるこずに泚意しなければなりたせん。ナダダ人であるかその他の異邊人であるかに関係なく、救いを受け取る者が真のむスラ゚ルなのであり、氞遠の呜に䞎る者が迎え入れられる神の埡囜が「倩䞊の゚ルサレム」ず呌ばれるのです。

 だからこれは非垞に倧事なこずなんですね。

 それで、このこずに関連しお皆さんに泚意喚起をしおおきたいこずがありたす。
 それは、今むンタヌネットで、ナヌチュヌブや他の動画配信サヌビスなどで、ディスペンセヌション䞻矩に立぀牧垫先生たちや、䌝道者たちの動画が非垞に増えおいるんですね。
 ディスペンセヌション䞻矩は、終末論に非垞に特城がありたす。私は以前は、たぁちょっず特殊な䞻矩だけれど、異端じゃないし、幅広い終末論の説の䞭の䞀぀だよね、ずある意味軜く思っおいたし、批刀なんおしないでおこうず思っおいたんですね。
 ずころが、ここに来お、ちょっず問題だなず思っおいるんです。ディスペンセヌション䞻矩の終末論ですず、これは濃淡がありたすけれども、キリスト教シオニズムず芪和性が高い、芪和性が高いずいうのは、ずおも盞性がいいずいうこずになっおしたうんですね。シオニズムずいうのはシオンに垰ろう、シオンずぱルサレムのある䞘の名前ですが、ナダダ人がパレスチナの地に垰還するずいう䞻矩のこずですそしお、キリスト教シオニズムの䜕が問題かずいうず、「むスラ゚ルの回埩」ずいうのが、教えに入っおいる堎合が倚いんです。それは、むスラ゚ルの霊的回埩ずいうのを蚀うのは問題ないず思うんですけれども、【むスラ゚ルが地䞊の領土を回埩する】ずいうのも含たれるからなんですね。アブラハム契玄ずいうのがありたすが、それの土地の契玄が今も有効で、珟圚のむスラ゚ル囜家にそれが適甚されお、そしおあのパレスチナの地にむスラ゚ルが䜏み、そしおそのむスラ゚ルの祈りに答えお䞻む゚スの再臚が来るずいうような話になりがちな傟向があるんですねパレスチナ人が䜏んでいる土地を远い出されおもそれが正圓化されがちになる。
 そうなりたすず、ガザの䜏民・パレスチナ人の人暩は、無芖される方向になりがちになるわけですね。
 ディスペンセヌション䞻矩は、旧新玄党巻を通しお、ナダダ人の救いのドラマなので、安黒務先生ずいう方が蚀うには、民族的むスラ゚ル䞭心のドラマなんですね。
 こういった終末論は、黙瀺録の字矩的解釈などから導き出されやすい論なんですけれども、ディスペンセヌション、黙瀺録の字矩的解釈、キリスト教シオニズム、むスラ゚ルの回埩、アブラハム契玄に土地の契玄を含む論、こういったものがあったら、―別に芋るなずは蚀いたせん。䜕も犁止するものはありたせんので、批刀的思考力をもっお、本圓にそうかなず、少し譊戒しながら芋おいただいた方がいいず思うんですね。

 たた忘れおはならないず思うこずは、

 先日玹介した山厎雅匘さんの、この停の䞭立ず真の䞭立の図のように、やはり匱者が虐げられおいたら、圌らを匁護するこずは、むザダ曞第1ç« 17節に匱い者を「匁護せよ」ず曞かれおあるこずであるず思いたす。

 さお、話をもずに戻したしお、シメオンは、幌子む゚ス様がもたらしおくださるのは、ナダダ人だけではなくお、党䞖界の人の救いだず気付いおいたず申し䞊げたした。
 そしおもう䞀぀、シメオンが気付いおいたこずがありたす。それは、このむ゚ス様がもたらしおくださる慰めずは、眪のゆるしの慰めだずいうこずですね。シメオンにそれが分かっおいた蚌拠に、圌がその埌にマリアに告げるセリフがありたす。

34シメオンは䞡芪を祝犏し、母マリアに蚀った。「ご芧なさい。この子は、むスラ゚ルの倚くの人が倒れたり立ち䞊がったりするために定められ、たた、人々の反察にあうしるしずしお定められおいたす。
35あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くこずになりたす。それは倚くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
 神瀟のお宮参りに行ったら神䞻さんがお祝いのこずばを蚀っおくれるかどうかは私は存じたせんけれども、シメオンさんのこずばはどうでしょうかおおよそお祝いのこずばではないずいうか、穏やかではないですよね。でもむ゚ス様の倧人になっおからのご生涯を、埌で犏音曞を読んで知っおいる私たちにずっおは、ああぎったり圓おはたるな、ず思うわけですね。
 人々の反察にあう、その通りですね。パリサむ人埋法孊者たちサドカむ人祭叞長民の長老たちから反察されたした。
 むスラ゚ルの倚くの人が倒れたり立ち䞊がったりする、これはいく぀かの解釈がありたすけれども、む゚ス様に敵察した人たちが最終的には倒れ、そしおむ゚ス様に付き埓った人たちは立ち䞊がる、そういったこずを指しおいるのでしょう。
 そしお35節の、倚くの人の心のうちの思いが、あらわになる。それはどういうこずでしょうか人の心の奥底にある眪の思いが、あらわになる、ずいうこずでしょう。そしお、「35あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くこずになりたす。」これは、じ぀は十字架の預蚀だず蚀われおいたす。
 どういうこずでしょうか母マリアは十字架のもずにいたした。先ほどマリアずペセフは鳩をささげたのですが、本来は小矊をささげなければならなかったず申したした。しかし、䞍思議な事に、このむ゚ス様は、倧人になり、十字架の䞊で、神の小矊ずしお、人々の、䞇人の眪に察する神の怒りを受けるいけにえの小矊ずしお十字架におかかりになったのです。自分の息子が、そのように悲惚な苊しみず死を経隓するこずで、マリアは心を剣で刺し貫かれる思いをするのです。シメオンはそれをどこたでハッキリず分かっおいたかは分かりたせんが、おがろげながらにでも感じ取っおいたのです。そしおそれが眪のゆるしの犏音だず信じたのです。そしお、その眪のゆるしの犏音は、私にもこの赀ちゃんである救い䞻から䞎えられおいるこずを知っお、心から魂から慰められお、神をほめたたえたのです。

 ある牧垫が、このシメオンに぀いお、この手の平ですね。この手のグヌをパヌにした、ず蚀いたした。
 面癜い衚珟だず思いたしたけれど、わかりやすくお、でも本質を぀いおいるず思いたした。
 私たちは、有圢のものでも無圢のものでも、䜕かを手攟すこずが難しいんです。い぀もグヌにしお䜕かを握っおいるような気がしたす。考えみれば赀ちゃんもたいおいそうですね。グヌにしおいるこずが倚いですよね。それは、生たれた時から、䜕かを埗お行く、䜕かを獲埗しおいく人生を象城しおいるかも知れたせん。
 䜕かを獲埗したいず思っおいた圓時のナダダの人たちにずっお、慰めずはロヌマからの独立だず信じお疑いたせんでした。
 想像するに、シメオンの人生は、長い幎月を重ねたけれど「そんな甘いこずじゃだめだね」っおずっず蚀われるような人生だったかもしれたせん。「あい぀ぱルサレム神殿でずうっず祈りよらぁ、信心深いがはえいがやけんどぉ、そんなこずしゆうヒマがあったら、どうやったらロヌマ軍を远い払えるか、あんたも革呜の蚈画に加わっお知恵を出したらどうぜ」ずか蚀われお、仲間や、友達、色んなものが手の平からこがれ萜ちるような生涯だったかもしれない。
 でも、その空っぜの手の平に、乗った暖かい重みがあったのです。幌子む゚ス様です。この眪からの救い䞻であるむ゚ス様をこの腕に抱いお、魂の慰めを䞎えられたシメオンは、歌ったのです。
 「䞻よ、今こそ去りたす。」それは、「もう人生ですべきこずは党郚枈んだので、あずはラクに(ぜっくり)死ねるこずだけが垌望です」ず蚀ったような悲芳的なものではありたせん。
 こう蚀ったのです。「私の人生はもう満ち足りおいたす」シメオンは、幌子む゚ス様を抱いた時に、その手の平も、その人生も充実しきっおいるこずを感じたにも違いありたせん。はっきりず自分の死を芋぀めながら、死を芋おいるにもかかわらず、ずいうよりむしろ、長い人生の経隓を経お、今、自分の死を目前に芋おいながらヌかえっお自分たちが救われるずいうこずはどういうこずかずいうこずを、よく芋抜くこずができたのです。
 䞻む゚スにお䌚いするこずができたシメオンは、それたで本圓の魂の慰めを埗おいなかった。けれど、それからの人生は、神の慰めが魂を満たしおいたので、実際に安らかに死ぬこずができたず思いたす。䞻む゚スにお䌚いするこずができた人間は、誰もが、安らかに死ぬこずができたす。生たれたばかりのこれから生きお行く䞻む゚スが、もうその人生の最埌に至っおいたこのシメオンに抱かれながら、このシメオンに安らかな死を䞎えおおられる。そしお倩の埡囜を䞎えおおられる。たこずにふしぎな、しかし䞻む゚スにお䌚いするこずがどういうこずかずいうこずを、たこずによく瀺す矎しい出䌚いの物語が、ここに語られおいたす。そしお、これがたさに瀌拝で起こる私たちの物語なのですきょう、瀌拝においお䞻む゚スにお䌚いするこずができた、こんなに人生が充実しおいるこずはない。私の人生は満たされおいたす老いも若きも、幟床も幟床もそのように告癜しながら、共に歩んで行きたいず思いたす。お祈りをいたしたす。

恵みずあわれみに富みたもう、私たちの䞻む゚ス・キリストの父なる埡神
あなた様は、埡子䞻む゚スを、赀ちゃんずしおこの䞖界にお送りくださいたした。䞍思議なこずです。シメオンはたた埡霊に満たされお、䞍思議なこずにその赀子の正䜓を芋抜きたした。そしお眪のゆるしの真実の慰めを䞎えられ、その人生は満たされたした。シメオンの物語は、私たちの物語です。眪の赊しず氞遠のいのちずいう魂の慰めを䞎えられお、瀌拝においお䞻む゚スに出䌚う、そしおその神の物語に、私たちの物語がよりあわされお行きたす。そしお私たちも告癜いたしたす。ヌンクディミティス。私の人生は満ち足りおいたすこの慰めが、䞖界䞭の人々の心を満たしたすように。䞻む゚ス・キリストの埡名によっお祈り願いたす。アヌメン。

#ヌンクディミティス #シメオンの讃歌

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