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📗【文曞版】⭐ 瀌拝メッセヌゞ『皮を蒔く人ず土地の芋た倢』 2025幎2月9日新玄聖曞 マタむの犏音曞第13ç« 123節

📗昚日の瀌拝メッセヌゞのテキスト版もここに掲茉いたしたす⬇
📗瀌拝メッセヌゞ『皮を蒔く人ず土地の芋た倢』 2023幎7月16日
新玄聖曞 マタむの犏音曞第13ç« 123節

1その日、む゚スは家を出お、湖のほずりに座っおおられた。
2するず倧勢の矀衆がみもずに集たっお来たので、む゚スは舟に乗っお腰を䞋ろされた。矀衆はみな岞蟺に立っおいた。
3む゚スは圌らに、倚くのこずをたずえで語られた。「芋よ。皮を蒔く人が皮蒔きに出かけた。
4蒔いおいるず、皮がいく぀か道端に萜ちた。するず鳥が来お食べおしたった。
5たた、別の皮は土の薄い岩地に萜ちた。土が深くなかったので、すぐに芜を出した。
6しかし、日が昇るず焌けお、根がないために枯れおしたった。
7たた、別の皮は茚の間に萜ちたが、茚が䌞びおふさいでしたった。
8たた、別の皮は良い地に萜ちお実を結び、あるものは癟倍、あるものは六十倍、あるものは䞉十倍になった。
9耳のある者は聞きなさい。」
10 するず、匟子たちが近寄っお来お、む゚スに「なぜ、圌らにたずえでお話しになるのですか」ず蚀った。
11む゚スは答えられた。「あなたがたには倩の埡囜の奥矩を知るこずが蚱されおいたすが、あの人たちには蚱されおいたせん。
12持っおいる人は䞎えられおもっず豊かになり、持っおいない人は持っおいるものたで取り䞊げられるのです。
13わたしが圌らにたずえで話すのは、圌らが芋おはいるが芋ず、聞いおはいるが聞かず、悟るこずもしないからです。
14こうしおむザダの告げた預蚀が、圌らにおいお実珟したのです。
『あなたがたは聞くには聞くが、
決しお悟るこずはない。
芋るには芋るが、決しお知るこずはない。
15 この民の心は鈍くなり、
耳は遠くなり、目は閉じおいるからである。
圌らがその目で芋るこずも、耳で聞くこずも、
心で悟るこずも、立ち返るこずもないように。
そしお、わたしが癒やすこずもないように。』
16しかし、あなたがたの目は芋おいるから幞いです。たた、あなたがたの耳は聞いおいるから幞いです。
17たこずに、あなたがたに蚀いたす。倚くの預蚀者や矩人たちが、あなたがたが芋おいるものを芋たいず切に願ったのに、芋られず、あなたがたが聞いおいるこずを聞きたいず切に願ったのに、聞けたせんでした。
18 ですから、皮を蒔く人のたずえを聞きなさい。
19だれでも埡囜のこずばを聞いお悟らないず、悪い者が来お、その人の心に蒔かれたものを奪いたす。道端に蒔かれたものずは、このような人のこずです。
20たた岩地に蒔かれたものずは、みこずばを聞くず、すぐに喜んで受け入れる人のこずです。
21しかし自分の䞭に根がなく、しばらく続くだけで、みこずばのために困難や迫害が起こるず、すぐに぀たずいおしたいたす。
22茚の䞭に蒔かれたものずは、みこずばを聞くが、この䞖の思い煩いず富の誘惑がみこずばをふさぐため、実を結ばない人のこずです。
23良い地に蒔かれたものずは、みこずばを聞いお悟る人のこずです。本圓に実を結び、あるものは癟倍、あるものは六十倍、あるものは䞉十倍の実を結びたす。」

䞻の恵みず平安が皆さんの䞊に豊かにありたすように。この日も皆さんずご䞀緒に䞻の日の瀌拝にあずかれたすこずを心から感謝いたしたす。

䜜家の村䞊春暹さんの本で、「みみずくは黄昏に飛び立぀」ずいう本がありたす。これは小説ではなくお、同じく䜜家である川䞊未映子さんが村䞊春暹さんに創䜜に぀いおむンタビュヌしたむンタビュヌ集なんですね。
私は村䞊春暹さんの小説はですね、物語途䞭の女性に察するミ゜ゞニヌ的な―特に性に関する描写ですね―これがちょっず嫌いでしお、途䞭で読むのをやめおしたうこずも倚くお、その点に぀いお指摘する人も倚いんですけれども、それはそれずしおも、䞖界的に倧倉高い評䟡を受けおいる方なだけあっお、たぐいたれなる才胜を持っおいらっしゃるわけですね。
村䞊春暹さんは、その創䜜に぀いおのむンタビュヌを受ける䞭で、凄い深いこずをおっしゃっおいるんですね。創䜜の時に、人の無意識の地䞋二階たで降りお行くんだ、ず蚀うんですね。
 なんのこっちゃず思われた方もいらっしゃるかもしれたせんけれども、その状態になるず、こういうようなこずがあるそうです。
「暗がりの䞭で話が自然に䌞びお行く」
「物語の䞭の人物が自然に動き出しおいく」
「そこで曞かれたものは囜や民族を超えおいく」
「自身の䞭の解消しきれない䜕かが癒される」
 そういう状態になっお曞かれた物語なので、おそらく人の心の奥深い䜍のずころを揺さぶる物語になっおいるのではないかず思うんですね。私はこれは凄くよく分かる気がしたす。
 ちなみに、人の無意識の地䞋1階ずは䜕かずいうず、人が実は無意識のもうちょっず浅い郚分で聞きたいず思っおいる蚀葉、この地䞋1階を煜るのは危険だっおいうんですね。その地䞋1階は憎しみずか恐れずかそういうドロドロした郚分です。
 そのドロドロした郚分に、たずえば、「あい぀らが敵だ」「あい぀らを叩け」ずいうようなメッセヌゞを届けるず、人の心の無意識の地䞋1階で実は倚くの人が聞きたいず思っおいる蚀葉なので、人々に匷く蚎えかけるんですね。そしお人々は容易く扇動される。぀たり犬笛を吹くずバズる・぀たりどんどん拡散されるっおいうこずなんですね。これで熱狂を生み出すわけですけれども、その蚀葉には、地䞊1階の蚀葉、぀たり理屈の蚀葉では勝おないわけですね。

 でも村䞊春暹さんが蚀う地䞋二階に語りかける蚀葉ずいうのは、「そういう業や因瞁のドロドロした郚分に満ちた地䞋䞀階ではなくお、地䞋二階はもっず深い静かな堎所」だず蚀っおいたすので、これは人間が人間であれば誰もが必ず共通しお持っおいる心の堎所なのでしょう。

 その心の奥深くに語りかけるのに、おそらく有効なのは、文孊のこずば、詩のこずば、むメヌゞのこずば、物語のこずば、なのだず思うんですね。

 で、それは、今日のむ゚ス様のたずえ話ず深く繋がっおいる話ですし、同時に、先週話したした、瀌拝説教に぀いおの話ずも深く繋がっおいるので、先週に続いお瀌拝説教に぀いおもう少し話したいず思いたす。


 先週は、こういう瀌拝説教吊定論のようなこずを語る前埌線の動画を芖聎した話をいたしたした。

これらのこずは、党郚実は誀りでしお、むしろ良き説教が継続されればされるほど解消しおいく問題だず申し䞊げたした。良き説教は人を胜動的にし、実践的に倉えたす。
 それは皆さんもよく知っおいらっしゃるず思いたす。それこそ、双方向的に、察話匏に、講壇から降りおいっお、皆さん䞀人䞀人にむンタビュヌしお語っおもらいたいくらいです。今たでに聞いた説教で、「この説教が私を倉えた」ずいう説教䜓隓を、皆さんそれぞれ、思い出しにくい方もいらっしゃるかもしれたせんけれども、きっず䞀人䞀人お持ちだず思うんですね。「䜕幎前の、あの教䌚での、あの箇所の説教だった。あれが私を倉えおくれた」そういうのがきっずいく぀かおありだず思いたす。私もありたす。あの説教が、私を䌝道者にした、ずいうのがありたす。他にもいく぀もありたす。人の人生を倉えちゃうんですからね。これは物凄いこずだず思いたす。歎史の䞭で数限りなくそういうこずが起こっお来たし、珟代でも、起こり続けおいるわけです。

 でそういう説教䜓隓ずいうのは、激しく熱く倉えられるずいうよりは、静かに、たずえお蚀うなら、たるでその説教䞭に、む゚ス様が䌚堂の䞭を静かに歩かれお、そっず私の肩に觊れおくれたような、あるいは抱きしめおくれたような、そんな感芚に、説教のこずばに觊れおいる途䞭になる、時には涙を流す、時には自分の䞭の解消されおいない䜕かが癒されるずか、そういう経隓ですね。その「聖なるものに觊れる経隓」ずいうのが、神の臚圚ず蚀ったり、神の珟臚ず蚀ったりしたすが、そこが、蚀っおみれば、瀌拝が目指すものなんです。説教も含めた瀌拝プログラムの党おが、その神の珟臚が立ち珟われるのを目指しお、有機的に぀ながっお組み䞊げられおいく、ずいうこずです。瀌拝ずは、お話を聞きに行くこずではなくお、たさに今生きおおられる神に出䌚いに行くこずなんです。その点私の説教者ずしおの力量䞍足が吊めないずころがあるんですけれども、ぜひ良い説教ができるように毎週私のために祈っおください。

 すぐれた説教者のこずばが、そういう説教になる堎合は、そのこずばが、おそらく人の心の地䞋二階なのかずもかく䞀番深いずころたで緎られ、線たれおいるこずから来おいるのでしょう。そのために説教䜜成の時に、原皿もしっかり䜜りたす。それはギリシャ語などの原語でも読んでずか、泚解曞などもいっぱい読んで、ずいうのももちろんありたすけれども、それよりも倚分倧事なこずは、その黙想の段階で、いかにみこずばず栌闘しながら、自分の無意識の地䞋に降りお行っお、その地䞋からこずばを獲埗しおきおそれを線むか、ずいうこずでしょう。ずいうよりも、む゚ス様のこずば自䜓が、聖なる皮ずしお、人の心の地䞋深くに語りかけおくれるこずばなので、それに觊れ、それをいかに「通り良き管くだ」ずしお薄めるこずなく届けるか、ずいうこずになるず思うんですね。

 少し原皿に぀いおの話が出たした。その説教に぀いおの動画でも、原皿なしの説教が良いずいうようなこずをチラっず話しおいたしたけれども、原皿あり無しに぀いおもちょっず話しおおきたす。
 確かに、原皿を党く䜜らない説教者ずいうのがたたにいらっしゃっお、その説教は倚くの堎合ずおも魅力がありたす。けれども、逆に、たずえば、オックスフォヌド倧孊のゞョン・ヘンリヌ・ニュヌマンずいう説教者は、完党原皿を䜜っお、䞀蚀䞀句(いちごんいっく)その原皿を読むずいうタむプの説教者だったんですけれども、その倧孊の1000人入るホヌルの、䞀番隅っこにいる人の心のひだの䞀぀䞀぀に沁み蟌むような説教をした、ず蚀われおいたす。名説教者。
 ぀たり、「あらかじめ甚意された話ほど぀たらないものはない」ず蚀っおいた人もいたすけれども、それは違う。確かにラむブ感がいい。ラむブ感があるのが面癜い、っおいうのはもちろんあるんですけれども、原皿を䜜るか䜜らないかによらず、いかにその蚀葉が、地䞋深くたで降りた、存圚がかかったこずばになっおいるかずいうこずだし、蚀葉を䞁寧に線むずいうこずをしない怠慢の蚀い蚳に、安易に、原皿を䜜らないずいう方法を説教者は取っおはならないずいうこずですね。

 (ちょっず脇道にそれたかもしれたせんので元に戻しお)そしおそうやっお蒔かれたむ゚ス様のみこずば、聖曞のみこずばは、歎史の䞭で、䞖界䞭のどんな文孊よりも、ダむナミックに人を良き方向に䜜り倉えお、瀟䌚を良き方向に倉革しお来た―いやむしろ倚くの文孊のもずずなっおきた―ので、もしかしたら、ちょっずこのぞんの領域になるず私もよく分からなくなっおくるんですけれども地䞋二階を超える深い堎所に語りかけおいるこずばかもしれない、ずも思いたす。そしお、

 そういうむ゚ス様のこずばが、ここでは「皮を蒔く人のたずえ」ずいう、たずえ話で語られおいたす。これは倩の埡囜を衚すたずえ話です。そしお倩の埡囜のたずえは、この「皮を蒔く人のたずえ」から始たっおここから7぀続きたす。む゚ス様はたずえ話の名人です。たぶん、たずえ話をなさるの、お奜きだったのではないかず思いたす。
 でそれで、む゚ス様がここだけではなくお、色んな堎面で、たずえ話をなさる理由ずしお、おそらくお聞きになったこずがあるだろうず思われる説明ずしおは、理解をしやすくするため、理解を助けるためなんだ、ず。
 倩の埡囜ずいう、新しいもの、新しい抂念に぀いお、理屈で説明しおも分かりにくいから、たずえばね、ず蚀っお、生掻に密着した身近なものを暪に眮いおみお説明するず、そうするず、完党ではないけれども、盞手はある皋床分かる、ずいうこういう説明ですね。
 それも、もちろんあるんでしょうけれども、それだず、でも【地䞊】䞀階なんですよね。他にも、盎接的に蚀うず反察者からの攻撃に遭うので、それをお避けになるために、たずえ話でお話になった、ずいう人もありたすけれども、それもあるかも知れたせんが、それらはメむンでは無いでしょう。
 たずえばむ゚ス様の、「攟蕩息子の垰郷」ず呌ばれるこずの倚いたずえ話を思い出しおみたしょう。本圓は倱われおいた息子は兄息子もそうなので、「二人の倱われた息子の物語」ずいうのが本圓なんですけれども、たぁそれは眮いおおいお、もう読むだけで感動したすよね。心の奥底のどこか深い郚分を激しく揺さぶるんですね。だからこのむ゚ス様のたずえ話を、歌にした方もたくさんいらっしゃいたす。今でもギタヌで曲を぀けたりしおですね。
 そこに、心の奥深くに語りかけるためにたずえ話をしおいらっしゃる。それがメむンなんだず思いたす。む゚ス様はある意味で文孊者でもあり、むメヌゞのこずばが人に䞎える力を、圓然のこずながら、よく知っおいらっしゃるのです。

 たずえずは、絵画的なこずばです。むメヌゞのこずばです。むメヌゞが脳裏にわヌっず広がるんです。だから、む゚ス様のたずえ話は、絵本や玙芝居の題材になっおいたす。
 だから教䌚孊校・こどもの教䌚などでは、昔から、このむ゚ス様の皮を蒔く人のたずえ話が栌奜の題材になっおいたす。

 その意味は、む゚ス様が解説たで語っおくださっおいたすので、長い説明はいらないでしょう。圓時の蟲業のこずが描かれおいたす。皮を蒔く人が皮を蒔く、その皮が四皮類の地に萜ちた。䞉皮類の地に萜ちた皮は実を結ばなかったけれども、最埌の1皮類の地に萜ちた皮は豊かに、100倍、60倍、30倍の実を結んだ。これを面癜おかしく教䌚孊校の先生たちが玙芝居なんかを䜿っお子䟛たちに語るんです。

でも、そんな教䌚孊校で、子䟛の頃から、䜕床もこの皮を蒔く人のたずえ話を聞き続けた経隓のある牧垫先生が、その頃の思い出を語っお䞋さっおいたした。小孊校1幎生の時、喜んで聞いおいる。3幎生くらいたでは、玠盎に聞いおいる。けれども、たいおいその教䌚孊校の話は、こんなふうに終わるんです。「良い地に萜ちた皮はぐんぐんぐんぐん育っお、100倍60倍30倍の実を結びたした。皆さんも、良い地になりたしょう。みこずばを玠盎に聞く、良い子になりたしょう。」こうなりたすずですね、予想できるず思いたす。小孊校5幎生か6幎生くらいになるずもう䜕だかちょっずシラケお聞いおいるんですね。はい。

実は子䟛向けの聖曞のおはなしだけではありたせん。皆さんの䞭で、このむ゚ス様の「皮を蒔く人」の話が、私の愛唱聖句だ、ずいう方はいらっしゃるでしょうかこのみこずばが奜きで奜きでたたらないずいう方は、おそらくあたりいらっしゃらない、ず思いたす。
それには、ちゃんず理由があるんです。倧人向けの説教であっおも、たいおいこんな颚に語られたす。皆さんは、どのタむプの土地でしょうか
Aタむプは、誘惑に匱いタむプです。䞖の誘惑、鳥ずいうのは悪魔・サタンですから、悪魔サタンの誘惑に流されお、みこずばが心に根付かない。これが道端タむプ。
Bタむプは、岩地タむプ、熱狂的に、あるいは䞀時の感情で信じるタむプ。すぐにむ゚ス様を信じるけれど、困難や迫害が起こったら、すぐに教䌚に来るのも聖曞を読むのもお祈りするのもやめおしたう、熱しやすく冷めやすい、根付きにくいタむプですね。
Cタむプは、いばらタむプ。みこずばを聞くけれども、この䞖の心遣い、生掻の心配がみこずばをふさいでしたう、それから、信仰よりも経枈を優先するので、心の䞭にみこずばが育たないタむプです。
Dタむプは、良い地タむプ、みこずばがすくすく育っお、皆さんの䞭に、埡霊の実、あるいは䌝道の実が、100倍60倍30倍ず育っおいきたす。
さあ皆さん、みこずばを玠盎に聞いお、みこずばに聎き埓う、良い地になっお歩んで行こうではありたせんか。お祈りをいたしたす。
―ずいうですね、そんな颚に結ばれる説教が語られるこずが倚いず思いたす。どうでしょう心が萎えたせんかそれですず、やっぱりけっきょく先に話した教䌚孊校の結論ず同じになっおしたいたしお、良い子になりたしょう、ずいうのず、倉わらないじゃないか。良い信仰者になりたしょう、ずいうメッセヌゞですず、おそらく人の心の地䞋二階の郚分が、深く慰められたり、癒されたり、いうのは、倚分ほずんど起こらないんです。

先ほどの、教䌚孊校で、5幎生6幎生になるず、シラケおきたずいうような䜓隓をお語りになった牧垫先生が、ご自身自戒を蟌めおず蚀いながらおっしゃっおいたんですけれども、退屈な説教ずいうのは、聖曞に察する最倧の冒涜だっお蚀うんですよ。―私も自戒を蟌めお蚀っおいたすけれども―その先生がおっしゃるには、䞀番退屈な説教は、聖曞のみこずばが道埳の話になっちゃう時なんだ、っおその先生はおっしゃるんですね。
でも、む゚ス様は道埳の話をなさっおいるんでしょうか退屈な話をなさっおいるんでしょうか絶察にそんなこずはありたせん。む゚ス様の話自䜓が、そういうこずを聞き手に、求めおいらっしゃらないからです。もっず別のできごずが、聞き手の心の地䞋2階の深いずころで起こるこずを期埅なさっおたずえ話を語っおいらっしゃるので、説教が道埳の話になっおしたったずしたら、それは地䞊1階の話であっお、もしくはせいぜい地䞋1階の話であっお、む゚ス様のこずば自䜓がそんなものを遥かに超えおいるからです。

じゃあ、道埳の話ではない、ずしたら、䜕なんでしょうか私たちはこれたで、このたずえ話に぀いお、ずっず思い違いをしおきおいたのかもしれたせん。私たちは䞀所懞呜、自分はどの土地だろうかず心配し、AやBやCの土地になっおいないだろうかず自己点怜し、私がDの良い土地になる確率を䞊げるために、信仰的努力を頑匵っおしおいこう、ず思うか、あるいは逆に「私はAでもBでもCでもない。私は良いDの土地だからオッケヌ」などず思っおAやBやCず思われる人を心の䞭で芋䞋すか、そうずしたら、やっぱりそれはパリサむ人の道なんですよね。道埳の話になっおしたうず、どこか埋法䞻矩になる、ずいうのはそういう理由です。

私たちはもしかしたらこれたで、む゚ス様のこのたずえ話の、読み違い、聞き違いをしおきおいたのかもしれたせん。ここ数幎、䜕人かの牧垫先生が指摘しおいらっしゃるのですが、このたずえ話は、「四぀の土地のたずえ話」ずは呌ばれない。そうではなくお、教䌚では、叀い叀い時代から、このたずえ話は、【皮を蒔く人のたずえ】ず呌ばれお来たんです。「四぀の土地のたずえ」では無いんです。む゚ス様ご自身が、18節で【皮を蒔く人のたずえ】っおおっしゃっおいるんです。ですから私たちは道埳的説教ずは逆の方向からこのたずえ話を捕らえる必芁があっお、む゚ス様はこのたずえ話を語られるこずによっお、そばで聞いおいる匟子たちに、自分が、道端タむプ、岩地タむプ、茚タむプ、良い地タむプのどのタむプの土地、あるいはどの皮か、自己チェックしおみなさいなんお、うながしおいらっしゃらないんです。それはこんにちの私たちに察しおも同じです。
自分の䞭をよく芋぀めおみなさい、ではなくお、別のこずにむ゚ス様は泚目させようずなさっおいたす。「皮を蒔く人」のたずえずむ゚ス様ご自身がおっしゃっおいたすから、この皮蒔く人に泚目しおみなさい。

 この皮蒔く人には、おかしなずころがありたす。あたりにも効率が悪く、無駄の倚い蒔き方をしおいるんです。コスパ・タむパが超絶に悪いです。む゚ス様はい぀もコスパ・タむパが悪いこずをなさる今の考えだったら、マヌケティング的に、良い地、を芋極めお、そこだけに集䞭しお蒔けばいいでしょう。いやいやこの圓時は、そういう蒔き方をしおいただけですよ、ず、この圓時のこの地方の蟲倫のやり方が説明されるこずもよくありたすが、たぶんむ゚ス様は、そんなこずじゃなくお、あたりにも豪快で、あたりにも寛倧で、あたりにも気前のよい蒔き方をする、この皮蒔く人に泚目しなさい。そうおっしゃっおいるんです。

皮は「埡囜のこずば」、぀たり神のこずば、みこずばです。皮を蒔く人ずは、もちろんむ゚ス様です。神のこずば、神の囜の到来を告げる宣蚀のこずば、それを、地面がたずえ岩地であっおも、いばらがわんさか生えた土地であっおも、鳥がすぐやっおくるような道端であっおも、そんなこずは䞀切関係無しに、ただひたすらに気前よく皮をばらたく人の話ですこの皮を入れおいる袋は、䞍思議な袋です。蒔いお蒔いおも皮が枛るこずはない。いやむしろ、蒔くたびごずに、どんどん皮が増えお行っお、蒔いおも蒔いおも蒔き足りないそしお、やがお収穫の時が来るず、近所䞭の倉ずいう倉が、屋根いっぱいたで収穫であふれるずいうこずを倢芋お信じお疑うこずのない、そんな皮蒔く人の話ですむ゚ス様の心の䞭にはブワヌっず、倧きな倧きな絵が広がっおいる
そうしたすず、このたずえ話が、初めお聞いたかのように、党く新しいたずえ話のように私たちの耳に、心に聞こえ始めおきたす。ここで私たちが泚目させられるのは、私たちの内の足りない郚分ではなくお、私たちを造られた方の愚かしいほどの寛倧さです。それは、土地の状態にこだわらず、皮をケチらずに、良い土地、悪い土地のどこにでも蒔くお方です。良し悪しを簡単に決めず、氞遠から氞遠にわたっお、ご自分の皮袋に手を突っ蟌みながら、必ず豊䜜をもたらす神の囜の皮によっお、被造物を芆い尜くそうずしおおられる方なのです。

そうするず、10節から17節の、匟子たちがむ゚ス様に「矀衆にたずえで話すのはなぜか」を質問した時のやり取りも分かっおきたす。この問答は謎めいおいるように芋えたす。普通は、たずえ話は、分かりやすくするためにたずえるのだず申したした。けれども、

「あなたがたには倩の埡囜の奥矩を知るこずが蚱されおいたすが、あの人たちには蚱されおいたせん。(11節)

わたしが圌らにたずえで話すのは、圌らが芋おはいるが芋ず、聞いおはいるが聞かず、悟るこずもしないからです。(13節)

ずおっしゃっお、たずえ話によっおかえっおある人々にずっおはそれが謎のこずばずなり、ここでむ゚ス様が匕甚なさったむザダ曞の預蚀通りに、神のこずばを聞いた人々が、かえっお心をかたくなにする、っお蚀うんです。

それはよく分かるこずではないでしょうか今たでの流れを思い出しおいただきたいんです。む゚ス様が神の囜の皮をもっお、みこずばをどれだけお語りになっお奇跡たで起こされおも、パリサむ人埋法孊者たちは、それはベルれブルのしわざだ、ずむ゚ス様を悪魔の芪玉扱いしたした。せっかくのみこずばを鳥がやっおきお食べおしたったのです。

民衆たちもそうです。圌らはメシアを、むスラ゚ル独立王囜を打ち立おおくれる政治的なメシアだず勘違いし、それを期埅しおいたした。圌らは岩地やむバラの地にたずえるこずができるかもしれたせん。

そういう実を結ばないガリラダ呚蟺の町々は、ああコラゞン、ああベツサむダ、ああカペナりム、ず蚀っお、その真実の悔い改めの実を結ばないゆえに、滅がされる町であったにもかかわらず、

む゚ス様はそれらの町の人々を深くあわれんで、救う決意をしおおられたこずを忘れおはなりたせん。
ずいうのは、む゚ス様ご自身も、実はこの皮であった、ずいうこずが、ペハネの犏音曞第12ç« (24節)から、分かるのです。

䞀粒の麊は、地に萜ちお死ななければ、䞀粒のたたです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びたす。

 本圓にそうなのです。䞀粒の麊萜ちお死ぬずは、これは䞻む゚スの十字架での死を衚しおいたす。この私たちのすべおの眪をゆるす、身代わりの死が、私たちの心の地䞋の奥深くの傷を癒したす。そしお、100倍60倍30倍の実を結ぶずおっしゃった䞻む゚スは、その実った実の䞀぀ずしお、今ここに立぀この教䌚の姿、そしお皆さんお䞀人䞀人の姿をも、芋おおられたに違いないのです。

―今䞀床、この「皮を蒔く人のたずえ話」を語り盎しおみたしょう―

ある日のこずです、皮を蒔く人が皮たきに出かけお行きたした。蒔いおいる間に、ある皮は道端に萜ち、鳥が来お食べおしたいたした。そこで、圌は皮袋を眮き、ホヌムセンタヌで鳥よけを買っおきたした。その鳥よけを、さっそくしかけお、あきらめずにもう䞀床その道端にも皮を蒔きたした。

それから、今床は蒔いた皮がいくらか石だらけの土地に萜ちたこずに気が付きたした。そこで、圌はたた皮袋を䞋に眮き、䞀茪車ずスコップを持っおきたした。䜕時間もかけお石ころを掘り出し、その石たちを䜕か別のこずに利甚できないかず考えながらも、もう䞀床その石が取り陀かれた土地に皮を蒔きたす。

次に目の前に珟れたのは、芜を出したばかりの小さな苗たちの成長を阻んでいるむバラの茂みでした。そこで圌は、たた皮袋をおいお、陀草剀を家じゅう捜し回りたしたが芋぀からず、ずうずう自分の手で、いばらを匕き抜くこずに決めたした。トゲでいっぱいのむバラを匕き抜いた手からは、血朮が滎り萜ちたした。けれども、その手から血朮が滎り萜ちるのも、いずうこずはありたせんでした。なぜなら、この皮蒔く人が、その䞀぀䞀぀の苗ず、その䞀぀䞀぀の土地をあたりにも愛しお愛しおやたなかったからです。

月日はめぐり、ある日のこず、皮蒔く人は驚きたした。あの鳥がやっおくる道端にも、石でいっぱいだった地面にも、むバラでいっぱいだった土地にも、誰もがこれは絶察だめだず思うようなひどかった地にも、実が実っおいるのを芋たした。良い地に負けないくらいに実っおいるのです。皮蒔く人は、嬉しさがこみあげおきお、笑い始めたした。初めはくすくす、くすくすず。次第に笑い声は倧っきくなっお、最埌には倩たで届くような倧笑いをするのです。
皮蒔く人は、どんどんどんどん楜しくなっおきたした。䞖界䞭を、この喜びで満たしたいず思いたした。

 皮蒔く人の流した血朮によっお深い所たで癒されたそれぞれの土地は、自分の䞊に金色の実が実っおいるのに気付いお信じられないくらいに感激したした。そしお、その土地は倢を芋るようになりたした。皮を蒔く人ず䞀緒に、䞖界を芆う矎しヌい䞀面の金色の麊畑の倢を芋るようになりたした。そしお、自分の䞊に実った実が、たた䞀粒、たた䞀粒、皮蒔く人ず䞀緒に蒔かれるこずで、隣の土地の䞀番深いずころをい぀の間にか癒しおいるこずに気が付いお、皮を蒔く人ず䞀緒に喜びたした。

お祈りをいたしたす。
恵みずあわれみに富みたもう、私たちの䞻む゚ス・キリストの父なる埡神。
あなた様は、皮蒔く人を遣わしおくださいたした。あなた様の囜の皮です。この䞍思議な皮を蒔くために、あなたの愛するひずり子は、十字架の䞊で呜をかけおくださいたした。あたりにも寛倧で、豪快で、非効率で、愚かしいほどに、皮も土地も愛されるのです。誰もが、こんなずころには䜜物は実らないず思った土地をも、あなたはほっおおかれたせん。皮は、そこにも蒔かれるのです。ご自身がいばらによっお裂かれ、血朮がしたたり萜ちおも、蒔き続けおくださいたす。そしお皮蒔く人の心ず土地の心には、おおヌきな絵が浮かびたす。倩の倉には、たばゆいばかりの黄金(きん)色の実が満ちおいるこずを。その䞭に、私たちもいるこずを。そしお、私たちの愛する人々もいるこずを。喜びにあふれお、䞻む゚ス・キリストの埡名によっお祈りたす。アヌメン。

いいなず思ったら応揎しよう