20220309 どう思われてもいい、と思えるまで
2014年の6月に行きはじめた、アシュタンガヨガのマイソール(というスタイルの毎朝の練習)に行くのをやめてみている。「やめた」でもなく「やめようと思っている」でもなく、いまは文字どおり「やめてみている」という感じ。
きっかけはほんのささいなことで、いままでだったらむっとしつつも「まあこんなこと言われるのはじめてじゃないし」となんとか流してきたこと。でも、今回はもうどうにもカチンと来て我慢がならず、その場で言い返したあげくに練習に行くのを放棄している。
たぶん、アレルギーが発症するときみたいなものだ。それまでは自覚していなかったけれどモヤモヤが溜まっていて、それがあるひとことで決壊してあふれ出しただけ。
これまでよく我慢したなーじぶん、とも思う。
好きで続けていたことだけれど、マイソールに行くためにこれまで断念してきたことや犠牲にしてきたことはいくつもあって、その最たるものが睡眠だ。夫の出勤時間に間に合うように帰ってくるためには、逆算すると4時には練習を始めなければならず、そのためには3時に目覚ましをかけて3時半前には起きないと間に合わない。前日夜はどうがんばっても21時にしか寝られないので、睡眠時間は毎日6時間。わたしはもともとロングスリーパー傾向にあって、人よりも長く寝ないと体がもたないのに、それをわかったうえで6時間しか寝ていなかった。すべてはヨガのためだった。ヨガが好きで、アシュタンガをやりたかったからこそ、6時間でもいいとなんとか自身を叱咤してきた。
でもいざこうやって練習をやめてみて、毎日7時間~7時間半寝られる生活に戻ってみると、体がほんとうに楽だ。いままでどれだけじぶんに負荷をかけてきたのだろう。睡眠は健康への第一歩だとしみじみ感じる。
アシュタンガヨガは週6日の練習が基本だ。わたしが通っているスタジオでは、練習生は毎朝スタジオに来て練習する。Zoomも併用しているけれど、スタジオに来るのがあたりまえ、毎日の練習に来なければ一喝される、そんな環境で練習してきた。
いろいろな事情が重なり、最近平日朝に練習に行けることが少なくなっているのは自覚していた。でも、そこで事情を聞かれもせずに怒られたこと、昨年先生とあるスタッフのあいだで交わされていたわたしの家族に関する会話を聞いて、怒りを覚えるのと同時に心が折れた。「心が折れる」という表現はあまり好きではなかったのに、ああ、これが心が折れるということなんだな、と実感した。
そして、その次の日から練習に行くのをやめてみているというわけだ。
たぶん、先生はわたしのことを練習に来ないという一点で見損なっているだろう。でも、わたしだって先生のことを見損なった。怒られるのが嫌で怖かったけれど、もうどう思われてもいいや、と思ったのだ。
先日、仲良くしていたスタッフ兼友達からLINEが来た。きっと探りを入れてるんだろうな、と思う文面だったから、最初は建前で返事をした。けれど、開き直ったらどうでもよくなって、掛け値なしの本音で話をした。これまでの矛盾、不満、そんなものが溜まりに溜まって、結局いまの行動につながっているわけだから。
たぶん、彼女は理解してくれたと思う。
この先、スタジオに戻るかはわからない。ヨガじゃない、ほかにやってみたいことを調べはじめているから、もう戻らないかもしれない。
人にどう思われても、じぶんが大事にしたいことを大事にすることだけは曲げないでいたい。今回はそれが折り合わなかったんだ。
わたしの人生だ。じぶんのやりたいようにやってみる。どう思われても大丈夫という強さを、わたしはきちんと身につけたい。