【雑記】各国の『統一戦線の歌』を聴く「労働者統一戦線へ、きみの居場所へ」
『統一戦線の歌(Einheitsfrontlied)』はバリバリの左翼思想の歌です。これは間違いない。
2023年現在の世界において、とりわけ極左に値する思想について、作家のジャン=ピエール・ファイユが提唱した「蹄鉄理論」を思い起こす方も多いでしょう。この理論では、極左と極右は相似した傾向を持つと位置づけられています。
なるほど、例えばWW2における独ソ戦などは、全体主義の極致たる2つの国家が選んだ"絶滅戦争の一端"を明らかにしました。
さて……こういった堅苦しい話は、可能な限り抜きにしましょう。ここからは歴史の話を軸としつつも、どんどん砕けていきます。
【注記:以下は記事を書き終えてからの追記】
冒頭長いなこれ。分けました。おすすめ項目は……。
■序章(ドイツ語版):この記事の主題1
■日本語版:この記事の主題2
■韓国語版:この記事の"翻訳の妙"と"歴史的事情"
■フランス語版:長谷川哲也先生の『ナポレオン 獅子の時代/覇道進撃』からの「ワーテルローの戦い」および映画『ワーテルロー』語りになってて草
です。直下の目次をご活用ください。また、「この単語のアレ興味あるな」に対応できるよう、可能な限りWikipedia等へのリンクを設定しています。
序章(ドイツ語版)
お ま た せ
や っ ぱ こ れ だ ね
親 の 歌 よ り 聴 い た 歌
も っ と 親 の 歌 を 聴 け
元祖ドイツ語版です。これを聴いただけで「あぁ~統一戦線の音~!」と興奮する……いや、この深刻な背景を持つ歌で興奮するのはリベラルではなく限界世界史民なのでは?
私が思うに、この歌曲は良いものです。好みの問題ですが。
世界各国で翻訳され、それぞれの国や地域に独自のアレンジされるパターンも複数。「統一(団結)して立ち向かおう」というメッセージ性の強さが惹きつけるものもあるのでしょうが、ベルトルト・ブレヒトによる作詞、ハンス・アイスラーによる作曲、いずれもピカイチの出来だったからこそでしょう。
ブレヒトは、ユダヤ人の妻を持つドイツの劇作家。アイスラーはユダヤ人でドイツの作曲家。2人ともドイツ生まれ。『統一戦線の歌』ができたのは1933年。
もう嫌な予感しかしませんね?
幸いにも、ブレヒトもアイスラーも、戦前にアメリカに亡命できました。
ですが、お忘れなく。2人は「社会民主主義者」や「共産主義者」といった、細分化されてしまった左翼に対し、統一戦線による団結を呼びかける歌をつくったわけです。
不幸にも、ブレヒトもアイスラーも戦後の「赤狩り」でアメリカを追放されました。正確には、ブレヒトは逃亡ですが。
というわけで、YouTubeには実際に多くの言語での『統一戦線の歌(Einheitsfrontlied)』がアップされています。なかでもIngenさんのアップしている動画はレアなものも多く、英訳つきで読みやすい。
で、8月の半分以上を「なんか死ぬかも」と思うような高熱のなか、何がしかの音曲を流しながら乗り越えてきたわけですが、そのひとつが『統一戦線の歌』めぐりだったわけです。この記事ができた動機説明終わり。やったぜ。
"Drum links, zwei, drei!"
「だから左へ、二、三!」
特に印象的な"サビ"にして"ルフラン"の部分。直訳するとこんな感じですが……もっと気の利いた翻訳があるので、そちらをすぐに紹介します。
何より、この歌がどういうものか。上記の「元ネタ」をご把握のうえで、「こんなにも各国でニュアンスが変わるものなの?」とお楽しみください。
これをね、「お楽しみください」で紹介できるのがね、平和ってものだと思いますよ。
問題は、本当に今の世界が平和なのかと、時として思うことはあるわけです。
2023年8月現在、東欧では主権国家の侵略、アフリカでは内戦祭りに加えて"追い戦争"の危機、西アジアは言うに及ばず、南アジアも内部の闘争が激化、北米と南米は麻薬戦争が激化。
そもそもの話、東アジアには「休戦してるだけで、もう70年以上も戦争状態が続いている2つの国家がある」、ならびに「もっと面倒な"2つの国家"もある」という現実があるので……。
ああ、この件は深入りしません。パッシェンデールの底なし沼みてえだ!
日本語版
さっそくですが、Ingenさんは日本語版をアップしていません。というか、公的に広く知られた日本語版ってあるのかしら。
そんな状態で、安定しているのはこちらの動画でしょうか。とても忠実な翻訳で、かつこの歌が作られた背景がよくわかる解説つきです。
ただ、個人的に好きなのが、「シレト」さん作の上記の動画。東北きりたんを始め、NEUTRINOの子たちを用いて歌唱させているのですが、翻訳がとてもいい!
この歌の良いところは「各自の解釈が許される土壌ができている」点で、そんな事情を包含しつつもなお「納得できる内容」として整えられています。
例えば、先に示した動画では「人間は人間であるからして、食べ物を必要とし、希うのである!」と時代性や力強さや文語調を感じさせますが、こちらでは「人間であるなら 食べ物が必要だ」とシンプルゆえに可読性と伝達性を高めています。
より比較が伝わるように、それぞれの2番の部分をすべて引用してみましょう。
こちらが先の動画。
こちらがきりたんのほう。かなり違いますが、ニュアンスは同じ。あとは好き好きですね。
本来の『統一戦線の歌』の硬質感、時代や課題の深刻さを伝えるのは先の動画でしょう。他方、シレトさんのきりたんのほうは、より受け入れられるマイルドさがあります。
特に「労働者統一戦線へ、君の居場所へ!」の部分が好きなので、今回の記事の副題にまでしちゃいました。ひらがなの「きみ」にしたのは、単純な私の好みの問題です。
なお「つまらん無駄話で人間を温めない、そして宣伝の太鼓だって人間を温めない」。
および「話じゃ暖はとれない、太鼓叩こうと」。
ここの話を、門外漢ながら少しだけ触れますと……。同じ部分について、原語では以下のとおり。
機械翻訳に放り込んでみていただくと、「ホンマや」という顔になります。なるほど、そう唄っているのです。
さて、時代背景を思い出してみましょう。
この歌曲ができた1933年は、あの「名前を言ってはいけないあの人inドイツ」がついに政権を獲得。全権委任法の成立、「国民啓蒙・宣伝省」の設置とヨーゼフ・ゲッベルスの大臣就任、指導者原理に基づいた強制的同一化の加速、例の党以外のすべての政党解散……と、地獄へ突うずるっ込んだ年です。もう世界中、絶望まみれや。
よって、"話"はあの"指導者の演説"、"太鼓"は国家による宣伝や軍鼓(戦鼓)を指していると考えられています。
「至急メーメルくれやおじさん」の話、終わり。ここからは"ドイツ語"と"日本語"以外の言語のものも見ていきます。とりわけこの曲の「見せ場」ともいえる"Drum links, zwei, drei!"の部分はかなり違ったりするので、そこを簡単に紹介しましょう。
韓国語版
韓国語版の表題は「통일 전선의 노래」。読みは「トンイル・チョンソンウィ・ヌレ」になりますかしら。一時期、文字の学習にハマった時に、ハングルも読める(文字だけ)ようになったんですけど、翻訳エンジンで発音を確認したら「聞き取れねえなこれ」という顔になってます。
「『통일(トンイル/統一)』……『テコンダー朴』で見たやつだ!」という方がいるくらい、この記事が読まれるといいですね。
この韓国語版における"Drum links, zwei, drei!"は、"전진(전진), 전진(전진)!"です。意味は「前進(前進!)」。いきなりだいぶ違うのが来ましたが、もうお察しの方もいると思います。
反共が国是の韓国で、「左」へは行けない。
じゃあ、「そもそも左翼思想自体が国家の敵とされる国情なのに、なぜ韓国で『統一戦線の歌』が歌われているのか?」という話。
今のタイトルはシンプルになっていますが、以前は副題に「Anti-dictatorship song」とついていました。
反独裁。この単語は、韓国史にとっては非常に重い響きです。
「5共」を貼ればいいと思っている。そんな時代が、私にもありました。今でもそうです。
ただ、やはり光州事件には触れておきましょう。暗殺によって急死した朴正煕大統領。全斗煥陸軍少将は粛軍クーデターによって実権を掌握する一方、経済発展を大義として民主主義や人権弾圧を容認する「維新体制(유신체제/ユシンチェジェ)」の継続を志向。
民主化運動は全国で起きていましたが、とりわけ全羅南道の光州市では戒厳令への抗議が激化していて、大規模なデモが道全体に拡大しつつありました。
その価値、その意味については、個々で考えるものと思います。
結果的に、怒りに満ちた市民によって暴動にまで発展したこの事件ですが……。「"北"がデモを引き起こし、"南"の崩壊を狙っている」という軍の発表。その場にいたならば、きっと育ってきた環境で大きく判断を変えたことでしょう。
数多の流血を経て教訓は受け継がれ、全斗煥政権に終焉をもたらす「6月民主抗争」へ続いたことを思いつつ。
かくて民主化した韓国において、キム・ヨンハ統括Pやそのスタッフの皆さんが力を尽くすことで、『ブルーアーカイブ』の透き通った世界は生まれている。その雄大さに感じ入り、清渓川のピラニアと戯れるのです。
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世界の抑圧を壊すため
闘うことをやめない
我々が真の人生を
人間性ある世界を構築する
━━━━
上記は韓国語版『統一戦線の歌』の3番の日本語訳。かなり色合いが違う歌詞ですが、ちょっとブルアカ最終編を思い起こしてしまいますね。ただし、「どれを想起するか」。
そこにまた、"多様性"の面白みがあるものと思っております。
ロシア語版
Q. よりによって、こんな早めに
「最近の世界情勢的にいろいろ言われそうなロシア語版」
を持ってくるんですか?
A. つづきまして、"一撃ネタ命"の覚悟を持つ一般人
鉄宝流空手最高指導者木村大観十段
このロシア語版の特徴は、ドイツ語版へのリスペクトが深い点です。
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Drum links, zwei, drei!
Drum links, zwei, drei!
Wo dein Platz, Genosse, ist!
Reih dich ein in die Arbeitereinheitsfront
Weil du auch ein Arbeiter bist.
Марш левой! Два! Три!
Марш левой! Два! Три!
Встань в ряды, товарищ, к нам!
Ты войдёшь в наш единый рабочий фронт,
Потому что рабочий ты сам!
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つまり、上記のとおりに、リピート部分にドイツ語とロシア語が交互にきて、最後はそれらを順番に歌い上げるという流れがあるのです。
共産主義という思想の源流にあるカール・マルクスに始まり、ウラジーミル・レーニンが封印列車で帰国したのもドイツのはからいで、世界革命論に最も期待を抱かせたのもロシア10月革命に続いたドイツ革命で……と考えると、ドイツとソ連の関係は案外近いものがあったことを感じさせます。
「もう二度と見たくないし、その後の過程も繰り返してほしくない"絶滅戦争"」をやった両国ですが、この翻訳は1978年になされたもの。
ソ連の詩人タチアナ・セルゲイヴナ・シコルスカヤ、同じく詩人でその夫のサムイル・ボリソヴィチ・ボロティン。この2人によって作られました。
ともに1901年のロシア帝国生まれ。シコルスカヤはヴャトカ(現・キーロフ)、ボロティンは当時トルキスタン軍管区のタシケント(現・ウズベキスタンの首都)ですね。
2人は共作で多くの翻訳を実施。中国の『義勇軍行進曲』のような共産国家の曲のみならず、アメリカの南北戦争の南軍で愛唱された軍歌『ディキシーランド(Dixie / Dixie's Land / I Wish I Was in Dixie Land)』なども訳しています。
そして、サビの"Марш левой! Два! Три!"は、そのままドイツ語版と同じ。"Левой!"は、マヤコフスキーの『左翼行進曲』で好きなだけ聴ける単語ですね。左へ、左へ、左へ!
英語版
英語に翻訳されたバージョンです。1900年、ドイツ帝国のキールで生まれた俳優、フリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト・ブッシュがよく知られているとのこと。
このエルンスト・ブッシュ。ドイツ時代からベルトルト・ブレヒトと交流があり、彼の制作した映画に出演したのみならず、生涯を共産主義者として過ごしたために「名前を言ってはいけないあのミュンヘン一揆の人」に追い立てられた1人です。
1933年にゲシュタポから逃れてオランダへ移住。ここで妻との仲が悪化し、単身ソ連に移住。1937年には、スペイン内戦において国際旅団に参加します。アーネスト・ヘミングウェイ、アンドレ・マルロー、ヨシップ・ブロズ・チトーといった、国も職業も問わない、そして「様々な分野で有名になった人々」が参加したこの義勇軍団に身を投じていました。
もっとも、国際旅団で有名になれたのは「生き残った人間」であり、しかもその凶悪な内情がシモーヌ・ヴェイユによって暴露されたことも、あわせて知っておくべきでしょう。
こちらの英語版も"So, left, two, three!"と、非常にわかりやすいサビ。全体的にドイツ語版に忠実な翻訳なのは、とりわけアメリカにおける労農革命を惹起させる目的、英語とドイツ語の親和性の高さからくる翻訳の容易さ、といったあたりを感じさせます。
フィンランド語版
じゃあ、ドイツ語から離れた言語ならどうなのか。ヨーロッパの人たちが多言語学習に挑む際、同じ欧州圏内で戦慄する言語の代表格。「悪魔だって読めないバスク語」と同等とされているのが、フィンランド語です。
聴いてみていただいたらわかるのですが……。
テンポを落とすことで、「響きが良い感じにクセになるけど、なんかどの単語も長くないっすか?」なフィンランド語に対応しています。
サビ部分も"Siis vasen, yks, kaks."。意味は「さあ左へ、1、2」といった感じ。ステップ数が2・3ではなく1・2になってるのが細かな違いなくらいで、ニュアンスはそのままに残ってますね。
ただ、フィンランド語版はサビ部分の後半が少し独特。
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missä paikkasi tiedätkö sen?
Tänne päin, täällä marssivat työläiset,
sinä myös olet työläinen.
━━━━
上記の動画なども含めて簡単に調べたところ……。
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あなたの居場所はどこか、知っているか?
こちらだ、ここで労働者たちが行進している
あなたもまた労働者なのだから
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最後の一節は『統一戦線の歌』らしさがありますが、上の2行は寒さに震える人を優しく出迎える感じになっています。あらためて日本語版の項目でその内容を確認すると、曲のテンポが変わっているのも含めて、柔和な印象が強まりますね。
スペイン語版
スペイン語版……というより、動画の画面を見てもわかるとおり、壮絶に歴史的背景が関わっています。明らかに、現在使われているスペイン王国の国旗でないことから見ても、「これは容易ではない」と直感されることでしょう。
これは表題を見ればわかります。「統一戦線の歌」ではありません。「Canción del Frente Popular(人民戦線の歌)」なのです。
1936年2月。総選挙において左派が勝利。これらの勢力は連立し、左翼共和党(IR)のマヌエル・アサーニャを首班とする内閣を成立させました。これが「スペイン人民戦線」です。同年には隣国にてフランス社会党(SFIO)のレオン・ブルムを首班とする、フランス人民戦線内閣が成立。コミンテルンを通じたソ連の働きかけが、立て続けに成功したのです。
そして、これに危機感を抱いたのは右派勢力だけではありません。軍部、地主、旧貴族層、カトリック教会。いわゆる保守勢力もまた団結し、7月にはモロッコで駐留軍が蜂起。フランシスコ・フランコ将軍が指揮権を掌握し、共和派スペインに対する国粋派スペイン(反乱軍/ナショナリスト)として、スペイン内戦へと突入します。
そもそも、モロッコのメリリャで反乱が起きる契機となったのが……。
ファランジスト(ファランヘ党員/スペインのファシスト)が共和派軍人を暗殺
報復として、現体制側の共和派軍人がスペイン保守派の元財務大臣を暗殺
1に対して2の報復。しかも、2は「ワイは民警やで」「ほな、ついていくわ」と、このホセ・カルボ・ソテロ氏を車に導き、後部座席から出し抜けに発砲し即死させたという、アウトレイジすぎる事態。なお悪いことに、彼らは1で殺された軍人と同じ「突撃警備隊」のメンバーで、銃撃したのはマドリード市内で"無差別かつ超法規的な弾圧"を起こしまくっていた民兵組織「ラ・モトリザーダ」の構成員でもあり……もうメチャクチャや。気が狂う。
そんなわけで、フランコ将軍は激動の時代を生き抜いた独裁者と知られていますが、人民戦線のアサーニャ大統領も「マドリードのすべての修道院は、1人の共和党員の命に値するものではない」「スペインはもはやカトリックではない」という宗教勢力への強い発言が知られており、激発すべくして激発した内戦なのかもしれません。
もっとも、その前史としてミゲル・プリモ・デ・リベラ首相とアルフォンソ13世の独裁的かつ高圧的な政治があったこと、アサーニャはむしろ穏健かつ知的な存在として、当時から今日までの評価が続いていること、思想が目的化したときに左右関係なく起こり得ること。これらを念頭に置きたいものです。
━━━━
スペインが聖火となる
それはプロレタリア世界を照らしだし
そしてその赤い炎の中で
ファシズムは燃え上がるだろう
━━━━
上記は、スペイン語版『統一戦線の歌』の3番の日本語訳。日本語版、および韓国語版の項目と照らし合わせると、また違った「後戻りのできない死の烈風」を感じさせます。
時節は1936年。『統一戦線の歌』が諸外国に広がるのは主に戦後ながら、このスペイン内戦が知名度を上げる大きな要因となった点は、"WW2の前哨戦"としての存在意義をも証明しているかのようです。
カタルーニャ語版
さあ、問題をさらに複雑にしましょう。今度も舞台はスペインです。
といっても、言語はスペイン語ではなく、バルセロナを中心としたカタルーニャ地方で主に使われているカタルーニャ語。バルセロナは内戦後期に共和派の首都が置かれ、1939年1月の陥落まで戦い続けました。マドリードだけが3月まで固守を続けていましたが、前年の「エブロ川の戦い」が敗北に終わったとき、共和派の命運は尽きていたといえるでしょう。
このカタルーニャ地方、もともとスペインがアラゴン王国とカスティーリャ王国の同君連合であること、さらにその前史としてアラゴン王国もまたバルセロナ伯領にしてカタルーニャ君主国との同君連合で生まれたこと。そういった1000年以上の歴史を経て、21世紀に入ってからカタルーニャ独立運動の萌芽という現状に至っています。
バスク地方もバスク語が残り、流血を伴う武力闘争が続けられたように、カタルーニャ地方もまたホッカホカの火薬庫。
Q. じゃあ、そんなカタルーニャ独立運動に際して翻訳されたんですか?
A. どうやら、そうじゃないらしい。
Q. えっ、何それは。
A. 解説してるサイトも「カタルーニャ語の翻訳なんて誰がやってくれたんだこれ」と困惑してて……。
しかも、作られた時期もやはりWW2より前の可能性がある一方、録音品質の良さから戦後の良い環境で収録されたのではないかと考えられる様子。
それで、動画にも出ている旗は、「イベリア・アナーキスト連盟(Federación Anarquista Ibérica)」の党旗。名前のとおり、カタルーニャのみならず、スペインおよびポルトガルのアナーキストの連帯を目指す"戦闘組織"です。また、同連盟が黒側にある"FAI"であり、赤側にある"CNT"は関連組織の「全国労働者組合(全国連合総同盟/Confederación Nacional del Trabajo)」のこと。
党の旗はアナルコ・サンディカリスム(無政府組合主義)のそれですが、スペイン内戦期にはサンディカリストを追放してアナーキスト・コミュニズム(無政府共産主義)が支配的になったようで、それも戦後は合流したと見られているものの……。過激派であった歴史から現在も高い秘密性を保持しており、実態がよくわかっていないようです。
まとめブログみたいな中身の無さになってしまった。ナムサン!
って、『統一戦線の歌』の話を全然してないじゃないすか!
このカタルーニャ語版。先のスペイン内戦の話や、共和派の東部戦線において主力を務めたFAIという前提を考えると、また違った趣の歌詞となっています。
━━━━
戦争中の奴隷たちよ、
我々に共通する抑圧者と戦おう!
我々は新しい平和と愛の絆で
世界を照らしだす
━━━━
1番の出だしの日本語訳はこんな感じ。
━━━━
我々は終わりなき戦いへ、
連帯への道を切り開く
意気揚々と掲げよう
輝かしき人民戦線の旗を
━━━━
サビはこう。歌詞だけを見ると、やはりバルセロナで主力となった時期のFAIがつくった感がありますね。本来は"Drum links, zwei, drei!"を2回言う部分がかなり改変されていて、"Lluitem sens fi,"および"tot fent camí"(上の翻訳の"我々は終わりなき戦いへ"と"切り開く"が対応)と違うフレーズ。実に独特なので、一度は聴き比べてほしいと思います。
フランス語版
「権力に抵抗する」歌をつくる、翻訳する。その才覚において、近現代フランスは抜きん出ています。もちろん、個人の感想です。
これにはマクシミリアン・ロベスピエールさんも太鼓判。もっとも……。
マクシミリアン・ロベスピエールが革命の破壊性と暴力性を賛美し、
フランソワ・ノエル・バブーフが革命家による権力奪取と革命独裁を謳い上げ、
ウラジーミル・レーニンがそれらを地上に出現させた。
という「ありがたくない暴力革命天下餅」のできあがり。そう表現できるかもしれません。なお、もちろん合間に賛否もろもろでマルクスとかエンゲルスとかバクーニンとかブランキとかプルードンとかヴァイトリングとかソレルとかいっぱいおっぱい。
端的に、物事語れば、即お陀仏。これにはトロツキーさんもおかんむり。
私も――
真面目な解説を捨て革命となれ!
「逆だ、逆」というツッコミが聞こえてきそうですが、フランス語版なので、そこはやっぱり長谷川先生のナポレオンネタ満載で行きたいわけです。
「褒められたい……です」
「おっ! あれもしかして、下ネタ動画を投稿してた真里谷……」
「本物の真里谷? 最近の記事はネタがなさすぎて信じられない~」
「真里谷さん、あなたの記事を読みましたよ。養生してください」
「……って言われたいんです」
ドゼーくんも、こんな改変されるとは思わんかったやろなあ。
でも、未来の皇帝陛下にこう認識を改めさせる生き方をしてみたいっすね。
そんなわけで、長谷川哲也先生の『ナポレオン 獅子の時代/覇道進撃』ネタ多めになりそうですが、『統一戦線の歌』の話に軌道修正していきましょう。
出だしが"L'homme veut manger du pain, oui,"ともう小気味良いフランス語のテンポになっていて、ドイツ語版との差異が表れています。そこから1番すべてを見ると、雰囲気がもう全然違う。
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男(人間)はパンを食べたい、そうだ、
彼(人間)は毎日パンを食べたい
パンだ、御大層な言葉じゃない
パンだ、演説じゃない
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暴君を打ち倒し、敵対者を討ち滅ぼし、「Liberté, Égalité, Fraternité(自由、平等、友愛)」のもとに歴史を積み上げてきた。
それは時として熱狂的な共和政として、時としてカリスマのもとでの帝政として、時として復讐に燃える体制として。
しかし、そこには常に飢えの恐怖があった。
そんな叙情的に思いつつ、やはり人間の恐怖の根源は「飢餓」だろうと感ずるものです。古今東西、飢えほどに人を悩ませたものもありません。それは現代でも同じです。飢餓は欲望を生み、その生存欲求はとてつもない凶暴性も伴います。
━━━━
歩調をあわせ、行進せよ!
歩調をあわせ、行進せよ!
同志諸君、前へ!
世界の兄弟とともに、すべての労働者で戦線を組むのだ
━━━━
サビはこう。「戦線」よりも「戦列」のほうが"cool"かもしれませんが、『統一戦線の歌』ですからね。そこはそれ。
フランスは、まさしく「コミューン」の始祖とも言えるお国柄。先に挙げたレオン・ブルムの人民戦線内閣しかり、セダンにおけるナポレオン3世の虜囚および普仏戦争の敗北に始まるパリ・コミューンの興亡しかり、『レ・ミゼラブル』で有名な6月暴動しかり、そして本項目で挙げたロベスピエールしかり。
長谷川先生の『ナポレオン 獅子の時代』は、まだナポレオンが長じる前、すなわちロベスピエールらジャコバン派による権力奪取、そこからの恐怖政治が序盤の主題でもあり、「国民軍の編成」や「敵性イデオロギーに対する撃滅思想」に加え、「国家総力戦の扉を開いた恐るべき主役」とも表現できるのかもしれません。
国民、当時における第三身分の切実な願いと団結の精神が、フランス語版の『統一戦線の歌』にも表れている感触を受けます。したがって、"Drum links, zwei, drei!"の部分も、同じく左派の垣根を超えて人民戦線内閣を達成した国でありながら、"Marchons, au pas!"となっています。
この部分は「歩調をあわせ、行進せよ!」と訳してみましたが、前段は「足並みをそろえ」や「力をあわせ」、「心をひとつに」などの意訳や超訳のほうがきれいかもしれませんね。
また、"Marchons"は、かの『ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)』のサビ部分で目立つ部分です。これは「進め!」と、より明快に翻訳されていることも多いので、"Marchons, au pas!"も「ともに進もう!」のほうがいいのかもしれません。後ろも「力を合わせる」部分を受けたら、「進め」よりは「進もう」ですね。このルフラン部分の締めも「世界の同志たちと団結する」ことを示しているわけですから。
ですが、団結の元祖ともいえるフランス革命政府は恐怖政治と無数の殺戮によって潰え、やがてナポレオンという「実行の人」がつくりあげたフランス帝国もまた、ワーテルローでその天命を失いました。
『ナポレオン 覇道進撃』でも、ピエール・ジャック・エティエンヌ・カンブロンヌ将軍による「くそったれ(Merde!)」の絶叫が印象的なシーンが描かれていますが、これは間違いなく史実における"伝説"のひとつです。もうひとつは「近衛隊は死すとも降らず!(La garde meurt mais ne se rend pas!)」と答えたという伝説。
第二次世界大戦の欧州戦線、バストーニュの戦いにおけるアンソニー・マコーリフ准将が"NUTS!!"と降伏勧告を拒絶したのと同根の、「現実は決してきれいな言葉ではないかもしれない。だが、それゆえに生命の咆哮がある」ものを感じます。
長くなりますが、ここでカンブロンヌ将軍の話をしましょう。思い入れと、再学習も兼ねてです。もう、ほとんどこの記事の主題とはかけ離れますので、そこはご了承を。
1770年生まれのカンブロンヌは、1791年に志願兵となって各地を転戦。デュムーリエ、オッシュ、マッセナと名だたる将軍のもとで経験を積み、1806年にはイエナの戦いの活躍で大佐に昇進。1810年には、ついに皇帝近衛隊第3師団の指揮官に就任します。そう、誉れも高き「古参近衛隊(La Vieille Garde/The Old Guard/老親衛隊)」を率いる身となったのです。
カンブロンヌは地獄のロシア遠征を生き残り、リュッツェン(グロースゲルシェン)、バウツェン、ドレスデンでの勝利ののち、最大の戦いとなった「ライプツィヒ(諸国民の戦い)」からも生還しました。
しかしながら、まだまだ戦いは終わらない。
ライプツィヒの少し前のこと。ロシア遠征の折にはフランス軍とともに地獄を見たバイエルン王国が、今度はリート条約を締結して第六次対仏大同盟に参加。ナポレオン本隊を壊滅させんと追撃してきます。引き続きナポレオンの近衛隊の将官として、カンブロンヌはカール・フィリップ・フォン・ヴレーデ元帥率いるバイエルン軍とのハーナウの戦いへ。
"倍以上の数を擁する敵"に対し、なぜか"相手に倍以上の損害を与えて勝つ"ナポレオンと、まだまだ生き残るカンブロンヌ。激戦を生き残り続けてきた、ジェネリック異能生存体の群れです。
ヴレーデ元帥はナポレオン本隊に戦意が残っていることを認め、それ以上は「死物狂いの敵」を相手にする愚を犯さず、落伍者を的確に捕虜にする戦術に切り替えます。
その後、半年以上も「ナポレオンが強すぎるせいで折れる場面がない」状況を経て、ついにマルモン元帥の"寝返り"によるパリ開城で、ナポレオンは失脚。エルバ島へ流されることになりました。
かくて、『ナポレオン 覇道進撃』でも描かれたように、生き残った皇帝近衛隊のなかでもベテラン中のベテランである「古参近衛隊」とともに、カンブロンヌはナポレオンに従う象徴となりました。
一方、本来のパリ防衛の象徴であるナポレオンの兄、ジョゼフ・ボナパルトが降伏の許可を与え、調整をすべて押し付けて逃亡したとはいえ……。マルモン元帥は「偉大な皇帝を裏切った」という烙印に死後に至るまで押された点、それを対比した画は実に何かを感じさせます。
ただ、ジョゼフ・ボナパルトが「どこまでも普通の人、温和で謙虚で弟に比べて接しやすい人、"権力で酔っ払って"欲望を無為に育てた人、王たりえない才覚の人」であること、それを多くの逸話や発言が示していることが、また歴史の悲哀かもしれません。
カンブロンヌ将軍は容姿端麗。軍歴はここまで述べ得たとおり。何より、皇帝近衛隊として最もふさわしい大柄な体格の持ち主で、皇帝への忠節を守り通しました。エルバ島を脱出し、訪れた運命のワーテルロー。
たとえ、もたらされるのが「死」であろうとも、近衛兵としての彼が選んだ回答は「くそったれ(Merde!)」。
包囲した英国軍の「最後の後始末」によって、彼は「額に銃弾が命中にしたにもかかわらず、遠距離の流れ弾だったために一命をとりとめ、意識を失ったまま捕虜になる」。
しかも、「護送されたイギリスで同地の女性と恋仲になって結婚、最後まで勇気を示したことを称えられ、王政復古によって返り咲いたルイ18世から"初代カンブロンヌ子爵"の爵位を与えられ、帰国許可どころか都市の司令官に任命される」という結末。
死を覚悟した人間のハッピーエンドを見たい時は、カンブロンヌ将軍の生涯を追いかけると、きっと心地よくなれます。
なお、映画『ワーテルロー』でも「Merde!(メルド!)」と叫ぶシーン、それからレッドコートによる最後の"攻撃"にして"虐殺"が描かれるわけですが……。
おや、イギリス軍の様子が?
そうです。銃撃ではありません。「砲撃」で完全に片を付けます。
フランス革命勃発から26年。そして、当時27歳のナポレオンが、総裁政府によってイタリア方面軍の司令官に抜擢されてから19年。革命前から戦い続けてきた、文字通りの「The Old Guard(古き護り手)」たちは、皇帝と家族以上の絆で結ばれ、そしてその皇帝がすべての栄光を失うのとともに、殉死とも言える不屈の死を迎える。
イギリス軍の司令官であった、初代ウェリントン公アーサー・ウェルズリー。この戦いでは英国軍も多くの死者を出し、プロイセン軍と合計すれば、連合軍はフランス軍とほぼ同数が死亡。この壮大な最後の戦いで5万人弱が死亡し、また数えきれない負傷者が出た……。
その事実に関して、ウェリントン公は「敗戦のときの気持ちは私には分からないが、これほど多くの戦友を失って得た勝利ほど悲しいことはない」と語ったという逸話がありますが、映画の同場面では「好敵手の壮絶な死」にひどく思うところがあるような表情を見せています。
「おそらく撮影時に多くの人、何より多くの馬が死んでいる、現代では二度と撮れようはずもない最大規模の戦争映画」という意味でも、『ワーテルロー』はおすすめです。
しかし、かくのごとき勇気があまりにも強烈な暴虐への渇望、ひいては復讐への動機となったとき、世界は劇的な破滅を迎えてきた歴史があることも、あわせて忘れてはならないでしょう。
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Marchons, au pas,
marchons, au pas!
Camarades, vers notre front!
Range toi dans le front de tous les ouvriers,
avec tous vos frères étrangers.
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ええ。この歌詞の精神は、少なくともその一端は悪くないものだと思っています。これをもっと別の何かと結合させることは、きっと新しい思考への"橋頭堡"となるでしょう。
だけど、こんなしんみりで終わるのは、何やら暗澹としたものが大きいですね。というわけで、『ナポレオン 覇道進撃』のミハイル・ボグダノヴィチ・バルクライ・ド・トーリ将軍。「日本の漫画だからできる"緩急"の付け方」をご覧ください。このテンポの付け方が良いんですねえ、実に良い……。ユーモアです、ユーモア。
スウェーデン語版
このスウェーデン語版、女性ボーカルがえらくかっこいいです。私はスウェーデンのウォーメタルバンドであるSabatonが大好きですが、いやはや、この歌唱もビシバシに決まっていますね。
調べてみたら、どうやら"Stockholms Anarkafeministkör"の歌唱。「ストックホルム・アナルカ・フェミニスト合唱団」……?
あえて和語に翻訳するなら、「ストックホルム無政府男女同権主義合唱団」でしょうか。何しろ「フェミニズム(feminism)」とその担い手である「フェミニスト(feminist)」の解釈自体、もう時代でも地域でも、言ってしまえば個人でさえも違うので、ひとまずはオーソドックスな読み解きをしておきます。
ええ、この歌唱は良い。グッとくる。力ある歌曲にあっている。プリミティブな感想のほうが大切ですね。
非常に興味深いのが、出だしから「Och mänskan hon är mänska」という点。ほどよく語順並べ替えで意訳すると、「彼女は人間、人間なのだ」となるでしょうか。
「黙れ小僧!」という声が聴こえそうなサムシング。
スウェーデン語では、"Hon(She/彼女)"と"Han(He/彼)"なのです。動画ではさらに意訳して、"And the human is a human"と「人間」全体に拡大していますね。実際、そちらのほうが良いでしょう。
それでも、先ほどのフランス語版では1番の2フレーズ目が"Il veut pouvoir manger tous les jours."でした。"Il(He/彼)"であり、「最前線で戦うのは男である」という点に立脚している……というのは先走りすぎながらも、少なくとも「代名詞使用の悩ましいポイント、および西洋における女権の歴史」が関わってくるので、センシティブなところが絡みます。
例えば、1789年に国民議会によって採択された「フランス人権宣言(人間と市民の権利の宣言)」において、その人権が保証される範囲は「市民権を持つ白人の男性」に限られていました。ゆえにこそ、フェミニストの概念の先駆者たるオランプ・ド・グージュが、「女性および女性市民の権利宣言」を作成したわけです。
「実際に男女同権であったかどうか」という点については……。
「生活においては対等であっただろうが、マリア・アンナ・モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの姉)が才能豊かと見られながら、『女性は科学や芸術ではなく、家庭に奉仕すべきである』という考えのもと、その才を発揮することを認められなかった事実」を思い起こさざるを得ません。
他方、文化圏によっては男女同権に程近い、場合によっては絶対的な女権、女尊男卑とも呼べる階層構造が構築されているケースもあるので、歴史を学ぶならば文化人類学などもセットで学ぶと、非常に面白いものがあります。世界各地の神話学も、これらの結ぶものとしての効果を発揮してくれますからね。
さて、フランスの"Il"から話がそのようになりましたが、このフランスをライプツィヒで打ち破ったスウェーデンは、20世紀の終盤に「フェミニスト政府」を宣言し、男女同権の分野における先進的な取り組みを続けています。
その一方で、「あと数十年したら北のムスリム国家になってるかもよ」と揶揄されるくらいに移民問題がホカホカで、先日にはついに「コーラン焼却デモが"自由"の面から認可されてしまう」という問題も起きています。
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加わろう、同志、加わろう、我らに!
同志、あなたの居場所はここにある
労働者統一戦線へ
あなたもまた、労働者なのだから!
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そんなスウェーデン語版のサビはこう。ドイツ語版に忠実ですね。というのも、翻訳前は以下のような感じ。
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Slut upp, kamrat, slut upp, med oss!
Kamrat, din plats är här!
Slut upp i vår arbetarenhetsfront
du som också är proletär!
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有名な話として、「ドイツ語がわかれば、スウェーデン語などの北欧言語はだいぶわかる(インド・ヨーロッパ語族ではないフィンランド語は除く)」というのがなんとなくわかる程度に、語法などが似通っています。
歴史的経緯もあって、英語やドイツ語とは特に交流が大きく、言語的にも近似するところがあるわけですね。
して、ドイツ語の「労働者統一戦線」の単語は、日本語と同じで全部くっつけたもので。スウェーデン語も同じ法則。
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"Arbeitereinheitsfront"
Arbeiter 労働者
einheit(s) 統一
front 戦線
"Arbetarenhetsfront"
Arbetare 労働者
enhet(s) 統一
front 戦線
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いずれも、"統一"の部分は「団結」の意味合いが強い単語です。これは他の言語でも「各勢力の団結」というニュアンスが多いところ。"戦線"も同じく「前面」から転じて、軍事用語での「前線」や「戦線」になり、転じて労働問題での連帯を示すものになりました。
これ、最初に持ってくるべきだった案件なのではと今さら気づきましたが、ママエーワ。
イタリア語版
フランスの「圧政への抵抗」、スペインの「統一への意志」。これらを併せ持つのがイタリア語版です……とは言うものの、歌詞の内容はほぼほぼフランス語版ですね。男性代名詞(Lui/He/彼)が使われているのも同じです。
ただ、"Drum links, zwei, drei!"の部分は、少し変形タイプですね。これは2番をフルで見てみましょう。それも、まずは原語から紹介します。実はこれまでの言語でもちょいちょい「動画と各ウェブサイトで全部コンマの位置が違う」という面白みがあったんですが、イタリア語版ではそれが顕著です。個人的には、動画版が最も特徴的で好きですね。
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Poichè un uomo è proprio un uomo,
lui vuole stare al caldo tutti i giorni;
lui vuole scarpe, e non parole,
scarpe di qualità.
La sazietà, la qualità,
chi gli schiavi libererà
è il fronte unito del lavor,
dunque vieni insieme a noi.
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というわけで、こう。なんと2番のメロディ部分で一文、ルフラン部分で一文と、ずっと途切れずに文章が続いています。歌曲の歌詞は、たとえコンマがなくても一行ずつで区切った判定にして、冒頭を大文字にしていることも多いんですが……ここはずっと「呼びかけ」を感じさせる一行の押し通し。それが女性ボーカルにあっていて、実に良いんです。
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男(人間)は男(人間)だから、毎日暖かくありたい。
彼(人間)は言葉ではなく、高品質の靴を望む。
満腹感、品質、奴隷を解放するもの、
それこそが労働者統一戦線、
さあ我らの仲間に。
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拙い和訳をしておいて何なんですが、イタリア、ひいてはイタリア語はシンプルでありながら詩的な言語の風格があるものだと思っています。
これはイタリア語が現在の形になる前、すなわちラテン語を使う西ローマ帝国が滅んで以降。外部勢力の影響がありながらも、特に現代標準イタリア語の原型となったトスカナ語については、詩作の伝統が息づいている。そう言えるでしょう。
最も有名な例をあげるなら、ダンテ・アリギエーリと彼の代表作である『神曲』を挙げねばなりません。トスカーナ地方の中心都市であるフィレンツェで生まれたダンテは、当時の教養言語であるラテン語ではなく、トスカナ語(トスカーナ方言)によって口述筆記を行ったと伝わります。
さて、そうした上で、最も意味が通じやすい2番を選びました。20世紀になっても、イタリアは飢えていました。19世紀中葉のイタリア統一戦争によって、サルデーニャ王国(サルデーニャ・ピエモンテ)が見事に統一を達成。数多の有為の人材を引き立て、「リソルジメント」を成功へと導いたサヴォイア王家のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、その魁偉な風貌もあって、「国父」として非常に人気があったようです
そして、2代後のヴィットーリオ・エマヌエーレ3世でびっくりするくらいに人気が急落して、最後は国民投票によって王政廃止が決定してしまったのでした。へ、ヘイトスピーチ……。
イタリア王国がファシスト党の権力掌握後に辿った歴史は、まさしく「ファシズム」の元祖たる部分があったのは間違いありません。
しかしながら、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は土壇場でベニート・ムッソリーニを解任し、あいさつに訪れた彼を冷淡に扱い、戦争継続と休戦交渉を同時に行って枢軸と連合を両天秤にかけます。
さらに、いくつかの行き違いもありつつ、彼は事態が落ち着く前に国民を見捨ててローマを脱出し、イタリア半島の「ヒールのかかと部分」にあるブリンディジへ逃亡してしまいました。結果として、残された人々は「北の枢軸に託すのか、南の連合に頼るのか」を選択せざるを得ず、また著名な2人の元帥も南北に分かたれました。
そこへ、ドイツ軍がオットー・スコルツェニー親衛隊大尉らコマンド部隊による「グラン・サッソ襲撃(柏作戦)」によって、ムッソリーニの無傷救出に成功。北イタリアには一定の正統性と象徴性を備えたドイツの傀儡国家、「イタリア社会共和国(RSI)」が生まれることになりました。
「イタリア内戦」は、モンテ・カッシーノやアンツィオといったWW2でも有数の激戦を生んだのみならず、イタリア国民の分裂を引き起こし、同時にイタリア北部におけるパルチザン活動の象徴になった……わけですが。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ドイツによるムッソリーニ復権の動きがあったため、ローマを脱出をしなければならなかった。ムッソリーニへの信任も含めて、実際に責任を覚えていたため、王政維持のためにウンベルト王太子へ譲位を実施した。最後は国外追放によって、1947年末には失意のうちの死をエジプト王国で迎えることになった。
そういう面もあります。46年間の長きに渡る在位。WW2のみならず、WW1でも大権を行使して協商側での参戦を決定。複数次に渡るイゾンツォの戦いに代表されるアルプス戦線において、とてつもない犠牲を払うことになりつつも、最終的にはイタリアを戦勝国へと導いたことへの尊敬。
その相克が、「民衆が自ら勝ち取った平和、イタリアの再統一」という事実がありながらも、王政廃止にかかわる国民投票で「賛成54%・反対46%」という結果の一因になったのかもしれません。もちろん、サヴォイア王家、ひいてはサルデーニャ王国の影響が濃いイタリア南部での強い信任もあったでしょうし、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世自身もそれを頼みに早期の脱出に至った面もあるでしょう。
それでも、幕末の徳川慶喜公がそうであったように、「明確に擁護可能な事由がなく、それが客観的に見て『敵前逃亡』と疑われる行動をした場合、背負う兵士の命の数、統治する国民の数だけ恨まれることになる」。この原則からは、容易に逃れられないと感じます。
でも、ゆえにこそ、若ジョセフみたいな価値観もいいよネ!
セルビア語版
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国で作られた、セルビア語版。1分の短縮バージョンなんですが、男性ボーカルと女性ボーカルが交互に入るなど、フランス帝国の『門出の歌(Chant du Départ)』を思わせるギミックで、「統一」「団結」の精神を表現しています。
「暗殺者……全然あきらめないんスけど、НКГБにせよКГБにせよ、いいんスかこれで……」
「また暗殺未遂……スターリン、クソっスね」
「忌憚のない意見ってやつっス。それでも文句があるんならいつでも反撃暗殺上等っスよ」
と、鯱山チトー蔵さんの顔が浮かぶくらいに、整った翻訳と録音。短めなので、原文と私なりの訳を全文載せてみましょうか。
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И јер човек човек
ударцима он не стиче част.
Да буде роб не жели он,
нит бити туђа власт.
Хеј, раз, два, три!
Хеј, раз, два, три!
Са нама ступај, сад!
Сједињен бори се раднички фронт
гони беду, мржњу и глад.
Хеј, раз, два, три!
Хеј, раз, два, три!
Са нама ступај, сад!
Сједињен бори се раднички фронт
гони беду, мржњу и глад!
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1番、それからサビであるルフラン2回。わかりやすいですね。
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そして、人間は人間であるゆえに、
殴打では名誉を得られない。
人間は奴隷たることも、
誰かを支配することも望まないのだ。
さあ、1、2、3!
さあ、1、2、3!
今こそ、足並みをそろえよう!
労働者統一戦線は、
痛みを、苦しみを、飢えを克服するために闘う。
さあ、1、2、3!
さあ、1、2、3!
今こそ、足並みをそろえよう!
労働者統一戦線は、
痛みを、苦しみを、飢えを克服するために闘う!
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ここも代名詞は「彼」なんですが、あちらの言語および文化の特徴として、「別を問わずに"人間"を指し示すことが多い」というのを感じます。フランス語版でもイタリア語版でもそうでした。
もちろん、「そこに女性代名詞を使わないのは不公平ではないだろうか」というのも行き過ぎた言葉狩りの可能性を生みます。ゆえにこそ、スウェーデン語版では驚いたわけですが。
で、せっかくの混声合唱でもありますし、ここは「人間」を採用しています。混声合唱に弱いマン。
すると、日本語版で紹介したシレトさんの東北きりたん動画、あちらと同一のテンポおよび訳になりました。すごいわね。
終章
前進、じゃない全身がこんな感じで脳に訴えてくるので、病人らしく体をいたわろうと思います。
多くの場合、「前進」がキーワードになるのが『統一戦線の歌』ながら……。
それ以上に込められているのは、「連帯」の精神。とりわけ「歩調を合わせ」、「ともに並んで」といった部分。ひいては福澤諭吉が書いたような、「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』を達成するための"自己修養"」へと至る道。
それに思いを馳せつつ、今は"宿営"の時です。
「皇帝万歳!」
"Vive l'Empereur!"
「労働者統一戦線」
"Arbeitereinheitsfront"
どちらも硬質で、夢がある。ロマンがある。
その響きは、時として人生を酩酊と狂乱に突き落とす。
積み重なった血まみれの石塔を見ながら、なお何を求めるか。
人間があがきながら無数の選択の積み重ねを見るのは、たまらなく楽しく、同時にたまらなく苦しいものです。
でも、苦しいものを見るからこそ、楽しいものを知ることができる。歓喜を知ることができる。
そう、思います。
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