スクリーンショット_2018-05-29_5

第五回メメントモリフォーラム 佐々木淳先生

佐々木淳先生がフェイスブックに投稿された記事です。

そのまま転載させていただきました。

当日の熱感が伝わってきます。


日本メメント・モリ協会が主宰する「緩和ケアを考える」フォーラムに登壇させていただいた。以前からブログを通じて存じ上げていた幡野広志さんと直接お話をすることができた。そして、在宅医療を含むがんを取り巻く医療の現状を改めて考える機会となった。
幡野さんは多発性骨髄腫。
昨年の暮、診断時に「助からない」と主治医から余命宣告された後も、もしかしたら、とさらなる治療を勧める腫瘍内科医。一方で「死んだほうがまし」と思うほどの強い痛みに対しても、なかなか適切な緩和医療が提供されないという現状。そしてがん患者になった幡野さんに対する親族や友人たちの対応。がん患者は治療以外にも多くの負担を強いられている。
幡野さんの現状をどこか客観視した発言にはとても説得力があった。
ここ10年でがん治療を取り巻く状況は大きく改善してきているように感じていた。しかし、幡野さんのお話をおうかがいして、まだまだ課題が多く存在するのだということを改めて知らされた。
在宅でがんの患者さんの看取りにかかわりながら、穏やかな看取りをするためには、満たすべき3つの条件があると僕は考えてきた。今回のフォーラムでは、幡野さんや池上本門寺の野坂法行和尚とも対話させていただきながら、その3つの条件について改めて考えた。
①「治らない」という現実を受容できている。
主治医はもう治療法はないというが、本当に方法はないのか? ウェブ上には藁にも縋る本人や家族の思いに応えてくれる魅力的な情報があふれている。そして、善意の友人知人たちがさまざまな情報を持ってきてくれる。
本人は家族や友人たちの期待に応えようと、再び闘病を始める。家族としては、少しでも治る可能性があるのなら、できることは何でもやってあげたいと思うだろう。しかし、そんな家族や友人たちの願いが、勝てる見込みのない戦いに駆り立て、本人を苦しめることもあるかもしれない。
治らないという事実を受け入れることは決して容易ではない。しかし、この事実から目をそらし続けても、受け入れざるを得ない時が必ず訪れる。
幡野さんは「現実を受容できないと損をする」と断言する。野坂和尚は、自分の意思で生まれてきた人はいない、つまり「与えられた命」である。それは大いなる意思から「使命」をもって送り出されたということ。そして安らかな死は、使命を果たすことで訪れると言う。
残された時間と体力を有意義に過ごすためにも、本人と家族が現実を受け入れるための努力と支援を惜しむべきではないと思う。
②最期まで生活や人生を諦めない。
幡野さんは、がんとともに生きることを写真や文章とともに発信し、がん治療の現状を少しでも良くするために精力的に活動している。体力的な厳しさはあっても、いまは幸せ、生まれ変わってもこの人生を生きたいと言う。
生病老死という言葉がある。病も老も死も、生がなければ存在しない苦しみ。生きることとは、この苦しみをネガティブに、ではなくポジティブに受け入れ、乗り越えていくことである。「治らない。だから、どうするのか?」、死を受け入れた上で今を生きることが大切、と野坂和尚もおっしゃる。
「治らない」という現実を受容することは、人生を諦めることと同義ではない。生きている限り、人生は続く。死を待つのではなく、死ぬまでをどう生きるか、を一緒に考えていくことが大切だと思う。
③支持療法・緩和医療を確実に提供できる。
病気の進行に伴い、さまざまな苦痛が出現する。身体的症状に対する緩和医療がきちんと提供できることは前提として非常に重要だ。そして医師としてのコア業務は実はここにしかない。しかし、幡野さんが経験されたように、医師に苦痛を訴えられない人、苦痛を訴えても適切に対処されていない人はまだまだ少なくない。
そして、おそらくそれよりも重要なスピリチュアルケアを含むサポーティブケアが提供できる場所は、現状、日本にはほとんど存在しない。
幡野さんは、医療者とじっくりと話ができる場がとても大切だと言う。病院のがん治療外来ではそれが満たされない。そして治療中の人をサポートする緩和ケアの仕組みが病院にはない。幡野さんは話を聞いてもらうために、近くの精神科のクリニックを訪問したこともあるという。
小澤先生たちはエンドオブライフケア協会を通じて人材育成に取り組んでいる。秋山さんたちはマギーズセンターを日本でもスタートさせた。そして、マギーズにインスパイアされた取り組みが各地に広がりつつある。しかし、日本人の2人に1人が罹患するといわれるがんに対し、その絶対量は明らかに少ない。
がん当事者、宗教家、そして医師という三者での対話を通じて、改めてがんを取り巻く課題が明瞭になったように思う。そして、それを解決できるのは、実は医療ではないのかもしれない、とも感じた。
人はいつか死ぬということ。そして、誰もがいつかがん患者になる、あるいはがん患者になった家族や友人と向き合うことになるのだということ。
がん患者になって初めて受容するのではなく、人間がこういう運命に上に生きているのだということをあらかじめ理解しておくことが、とても大切なのだと思う。病気になってからの患者教育ではなく、学校教育・住民教育の中にこのことを含んでおいたほうがよいように思う。
フォーラムには多数の医療者が参加されていた。幡野さんの表現力豊かな発信を以前からフォローしていた人が多く、3時間を過ぎても質疑が続くほどの白熱した対談となった。その後の懇親会も、店を追い出されてからも対話が続き、延べ7時間は話していただろうか。個人的にもとても有意義な時間となった。
貴重な機会を頂戴しました日本メメント・モリ協会の占部理事長、そしてご一緒させていただいた幡野さん、野坂さん、佐藤由美子さん、会場のみなさんに心より感謝申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?