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おやすみ。だいすきちゃん。ママのだいじだいじ。

「ふあ」

誰かの声で目が覚めた。自分の寝言だった。
寝かしつけで、そのまま娘の隣で寝落ちしていたのだ。

娘の隣で寝落ちするのは、なんと心地よいのだろう。
もちろん「寝てしまった」という後悔に襲われることもあるが、あの幸福感は何ものにも代えがたい。

まるくて、やわらかくて、あたたかい。
汗ばんだおでこ。ひらいた小さなくち。しずかな寝息。

寝かしつけの時、私が娘に必ず言う言葉がある。
「おやすみ。だいすきちゃん。ママのだいじだいじ。」

不思議と、言うと自分もなぜか安心感を覚える。
何も言わないが、娘もそうなのかもしれない。

もちろん、心が波立って穏やかに言えない夜もある。
でも、とにかく毎晩、言える時はなるべく言うようにしている。

なぜなら、私には「言えなかった期間」があるからだ。

娘はあまり眠らない赤ちゃんだった。
0歳児期、私は常に娘に対してイライラしていた。
1分でも長く寝ていて欲しかった。1秒でも早く、寝ついてほしかった。

「大好き」という言葉を、かけてあげられなかった。

娘が寝てから1〜2時間程度の自由時間を得たところで、あの時の自分に何ができたというのだろう。

それより、娘が自分の横で丸くなって眠る可愛らしさを、自分も隣で穏やかに眠る幸福を、ゆっくりと味わえばよかったのに。

あの時の小さな娘は、もうどこにもいないのに。

これからあと何度、自分は「寝かしつけで一緒に寝落ちする」という幸福な眠りを体験できるのだろう。

私はずっと後悔している。
けれども、最近は、これ以上後悔し続けたくないとも思っている。

そのために、自分にできることは何なのか。
考え続けているけど答えはまだ見つからない。

でも、これだけは。
いつか言えなくなるその時まで、ずっと。

おやすみ。だいすきちゃん。ママのだいじだいじ。

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