地に足をつけて飛び降りたいの(日記 断片)

大学生の時何度も繰り返し観た映画で、主人公が最後に言っていた「幸や不幸はもういい。どちらにも等しく価値がある」という台詞に、若い自分はそうだよね、そうおもえるように生きたいとおもった。
端から見ればゴミみたいだけど自分の中で大事なもの、を大事にできることに憧れた。
年をとるにつれて、もうそういうのはいいとおもった。明らかな、絵に描いたような幸せがいい。ふつうの幸せがほしい。

そうじゃないなら不幸ぶっても許されるような不幸になりたい。今が変わるならどっちでもいい。
頭の中で何人か何度か、殺したり死んでもらったりした。天変地異でも起きて全部無茶苦茶になればいいとおもった。ドサクサに紛れて自分だけは生き延びるつもりだった。

不幸にもなれなかった。なんにもない。退屈だけがあった。たぶんそれがひとつの幸福だということは知っていた。知っていて、そんなのは小学生の頃から知っていて、ずっと根底でじんわり死にたかった。

『わたしなんか死ねばいいと想ってた でもどこかでわたしだけが生きのびることだけ信じてきた』

中高生のときにこれだとおもった歌詞にまだこれだとおもってしまう。どれだけ武装しても擬態しても根底は変われない。

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傷付けた原因に対して、怒るどころかわたし傷付けられたのと甘えたくなる。
怒らないから悪いんだと、付け入られるんだと、友達のような人達は一部を聞いたうちから当人を差し置いて怒る。そんなこと言われてもな。
そんなだからこうなんだよ、とはおもっている。

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親の老いがこわい。20年後、まだ生きているだろうか。姉妹はどうなっているのか。
そもそも10年後、自分ももう40だ。ずっと精神が19から24くらいをうろうろしているのに。人生がこわい。
この先の人生で今がいちばん若いという。これまでの人生で今がいちばん老いているとおもってしまう。

内省なんて暇な人のすることだ。子どもの保育園問題なんかに頭を悩ませてるほうがよほど年相応で健全だ。毎日さほど飲みたいわけでもないお酒を手癖で飲んで死にたくなって、何をしているんだろう。

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以前、大好きなアイドルの子にお手紙を書いた。わたしはよくない人間で人に言えないことがあると書いた。そんなこと書くべきじゃないしそんな相手でもないのに。
特典会でその子はわざわざ「言いたかったことがあるの」と切り出し、「何かは分からないけど大丈夫だよ」と言ってくれた。
何が変わるわけでもないし、その言葉ひとつで大丈夫になるわけではないけど、何度も取り出して恐る恐る手触りを確かめたりする。今まで誰からももらったことがない、あるいはもらっていたのに受け取れなかった言葉をあの子はくれて、その時のわたしは受け取った。

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失踪したい。ひとりになりたい。
自分がいなくなって傷つく人なんていなくていい。疲れた。しにたい。しにたくない。疲れた。生きても生きてもなんにもない。 

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少し零したことを、自分以上の温度で相手が怒り始めたときの気まずさ。はしごを外すわけにもいかないが、そこまでの温度感ではないので同調もしたくない。じゃあ最初から何も言わなきゃいいのに。

あなたたちと傷を舐め合いたいわけじゃないし、仲間と思われても困ります。きっと相手もどこかでそう思ってるんだろう。
おおよそで同情して、ところどころ見下しあっている。そんなもの。

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会社を辞められないまま31歳と数ヶ月経った。
何度も辞めようとして、ジョブカフェに通って職務経歴書まで用意したこともあったけど、家庭や当時の交際相手や仕事の事情などでついぞ叶わなかった。
兎にも角にも間が悪い。意志が弱い。反対を押し切って説き伏せるだけの自我がない。
どうしたってもうプロジェクトが落ち着くまでは辞められない。プロジェクトは永遠に沈没してる。

辞めたところで年齢的に警戒される。転職できたところで数年しないと子どもは持てない。30代なかば。そもそも望んだときにできるものでもない。
今の会社で恩恵を受けてから辞めればいいと言われる。それはそう。でも残る気もないのに、お金のために嫌いな会社に籍を置き続ける不誠実はできればしたくない。

綺麗事言ったって身体にも職にも期限がある。
大学を出て就職もせず結婚し相手の家の仕事をしている人、職場結婚から退職、こどもはいらないと言って数年夫婦で趣味を楽しみ結局こどもを産んだ人。うまいことやっていいなとおもう。当人にはいろいろあるだろう。そりゃあ誰にでもあるだろう、そんなことはわかってる。

自業自得。嫌いな言葉だけど。
どこからやり直したらいいですか。なにかをサボったわけじゃない、とおもう。その時々仕方ないとおもってきたことは仕方なくなかったのかもしれない。
でもその選択をしてしまったのが結局自分で、別の選択ができたなら自分ではないのだ、と開き直るしかないんだもう。いろんなことに疲れてしまいました。

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駅の階段でおばあさんに呼び止められた。「困っていて、2-300円でよいので頂けませんか」
どっちだろう。本当に困っているのか、騙しているのか、お弁当屋さんが閉まってしまう、荷物を持ってあげなくてよいのか、本当に困っているなら2-300円渡してどうなるというのか。
迷いに迷ってお財布にあった200円を渡して逃げるように去った。悪いことをした気になった。

いいことがあればいいなとおもう。

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この時のおばあさんを何週間後かに見かけた。
同じように一人の女性に声をかけ、恐らく断られていた。見てはいけないものを見た気になって、足早に通り過ぎた。
それ以来同じ場所を通るたび胸がざわざわする。
おばあさんが悪い人でなければよいとおもうし、だからといって困っていなければよいとおもう。だからもう遭遇したくない。

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3月くらいからの、そういう気持ちだったときの断片で、別に今しにたいとかいうわけではないです。
暗いまま終わらせないことができる、ほどの元気もないというだけで。飽き性なので暗いのに飽きたら元気になります。

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