日と々のあわいで (子育て記録:〜5ヶ月)
あまりにも毎日が溶けていく。
11/6、晴れ。今日の予定、朝のうちに洗濯掃除機お風呂洗いを済ませ、子の相手をし、午後は池の周りを散歩して大きめのCanDoに行き、クリスマスのオーナメントを買ってメリーに取り付ける。晩ごはんは中華丼を作る。以上。
こんなことばかりだ。散歩をするとか、病院に行くとか、赤ちゃん広場に行くとか、そういうちょっとしたことがその日の予定の軸となって、あとはひたすらミルクを飲ませ授乳しおむつを替え抱っこしあやし…ていたら1日が終わる。
これが無為とはおもわない。
仕事をしていた時だって、毎日会社に行き仕事をするだけだった。その仕事があまりに空虚で耐えられず、辞めたくて仕方なかったくらいだ。それに比べて今のほうがどうこうとは言えない。
それでも毎日、子がかわいくて仕方ない気持ちの底で、澱のような孤独や焦燥が見え隠れしているのを感じる。
子はもう満5ヶ月になろうかというところまで育った。
3ヶ月くらいまでは、まだ新生児を引きずっているような感じというか、特別な祝福に包まれている感があって、わたしも至るところで「お母さんも大変でしょう、休んでね」という扱いを受けた。
でも多くの産後ケアサービスが4ヶ月未満を対象にしていることもあるかもしれない。4ヶ月からは(誰もそんなことは言わないけれど)もうさすがに産後じゃないと突き放されているような感じがして、自分でもいい加減これを新たな日常として受け入れなければとおもい、未だ上手くいっているのか分からない。
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1ヶ月目、ひたすらに満身創痍だった。乳も痛いし切って縫ったところも痛い、寝不足で頭も割れそうに痛い、抱っこする腕が痛い。ホルモンバランスに影響を受けやすいタイプだから覚悟はしていたけど、3週間くらいはメンタルがおかしくなり泣き暮らしていた。毎日乳のことばかり考えていた。出ない痛いあげなきゃやめたい。
退院から1週間後の検診にタクシーで向かいながら、ほんの数週間前はここを電車に乗って歩いて向かったのに、とおもった。もう一生どこにも行けない気がした。自由に出かけられるのは何年後だろう、途方もなく感じた。
子はふにゃふにゃで、すぐ折れそうでこわかった。いまここで手を離してしまったらしぬ、あの角にぶつけてしまったらしぬ、わたしがこのまま1日目を覚まさなかったら飢えてしぬ…そんな想像ばかり頭から離れなかった。
新生児はみんな猿みたいなものかと思いきや、うちの子はかわいいな、とその頃はおもっていたけど、数ヶ月後に見返したら全然猿だった。
1ヶ月検診が終わり、ベビーカーでお宮参りに行けたことで、少し気が大きくなった。行こうとおもえばどこにでも行けるかも、とおもった。この頃家でどんな風に過ごしていたか、あまり記憶がない。子が寝ている間は一瞬家事をして、あとはひたすら寝て、子が起きて泣けばひたすら抱いて、泣いていない間はどうしていいか分からず、見つめて話しかけたりしていただろうか。そんな気もする。
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2ヶ月目、一歩間違えれば鬱…みたいな状態は脱したものの別の満身創痍が襲い、子はミルクをあまり飲まなくなった。
とにかく反り返る子で腕と手首が死んだ。抱っこ紐に入れるまでもない短時間の抱っこすら厳しく、一時は腱鞘炎でドアの開け閉めすらやっとだった。頻繁な立ち座りで背中も腰も膝も死んだ。
3ヶ月頃から始まるという遊び飲みを1ヶ月半くらいで始め、ミルクを飲む量が一気に減った。お腹が空かないはずないのに飲まない。夜はどうやっても起きず飲まない。
「100日くらいは1日8回以上授乳をしないと母乳が出なくなる」「ミルクは3時間おき、4時間以上は空けない」「3ヶ月までは夜は起こして飲ませる」「寝すぎて飲まないと脱水になる」……
いろんな情報に囚われ、昼も夜も飲ませることに躍起になった。夜は数十分かけて起こして授乳し、また寝てしまうのを起こしてなんとかミルクを少しでも飲ませ、3時間おきといいつつ合間で寝られるのは1.5-2時間ほどだった。すぐ限界が来た。
子の体重増加は一気に緩やかになった。いろんなところに相談に行ったが、「成長曲線内だし本人が元気そうだから様子見で大丈夫」ばかりだった。その場では安心しても、帰ってからやっぱり飲んでほしくて格闘してしまう。
子は元気。2ヶ月と思えないくらいよく動き、よく声を出し、よく笑う。遊び飲みしているときがいちばんかわいい。憎たらしいくらいかわいい。子は何も問題なくて、全部わたしの気持ちの問題と言われているようで、実際たぶんそうで、だからこそどうにもならなかった。
子はご機嫌で、クーイングをしだしよく声を出し、かわいさが増す一方だった。飲まない問題さえ除けば、ほんとうに育てやすい子だった。配偶者の育休が2週間あったり、友達に家に来てもらって少し外界と触れたりして、メンタルは落ち着いてきた。
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3ヶ月目、飲まない問題を吹っ切ったり、やっぱりとらわれたりを繰り返しつつ、夜間に無理やり起こすのをやめたり、時間が空いても許容範囲を広げたことで少し楽になった。まだ猛暑だったけど、少しずつ外に出るようになった。一人で行けるのはスーパーの買い物か、近所の小さい商業ビルくらいだったけど、それでも外に出られることが気晴らしになった。
子が産まれてから初めてライブに行った。一人でそんなに長く子と離れるのも初めてで、いろいろ気が気じゃなかった。照明が落ちる直前までずっとミルクの心配をしていたけど、きっちりライブの間だけは考えないようにした。数カ月ぶりのライブ、数カ月ぶりに会う人たち。自分が何も変わらなくていい場所があることがありがたかった。
子はうつ伏せできれいに首を持ち上げるようになった。相変わらずよく声を出し、メリーを見ると大興奮で足を激しくバタつかせた。
新生児のときの短肌着はおなかが出てしまい着られなくなった。お昼寝用のコンパクトベッドがミチミチになってきた。そろそろ赤ちゃんスペースを広げないと、コンパクトベッドも見納めかな、と考え淋しくなった。
ボロボロだった1ヶ月目の頃、「3ヶ月経てば少し楽になる」というネットの言葉に縋りつつ、3ヶ月という期間を耐えられない長さのように感じていた。過ぎてみればあっという間で、成長する分だけ見られなくなってしまった姿があって、使わなくなっていく物があって、こんなことが何年続くんだろうと、分かりきっていたことなのに時々胸が潰れそうになった。
わたしはどうしてこう、なくなってしまうもののほうを向いてしまうんだろう。どうしてなくなる前からなくなる心配をしてしまうんだろう。せっかく成長しているのに、待ったをかけたくなってしまう。
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4ヶ月目、9月になってもまだまだ暑く、思ったほど外出できるようにはならなかった。それでも満3ヶ月というと、大手を振って自治体の子育てサロンや赤ちゃん広場のような場所に行けるような気がして、いくつか行ってみた。他人と話すことに飢えていたので、乳児の親という共通点だけで知らない人と話せるのはありがたかった。
休みの日にベビーカーを連れて、短時間だけど電車を乗り継いで出かけられるようになった。少しずつ行動範囲が広がることに安心した。
夜間授乳は1回だけで、ずいぶん眠れるようになったのに、疲労が蓄積した身体は休めればよくなるというものでもないみたいだった。3カ月以上経っても未だ骨盤ベルト無しに歩けないことに焦った。いい加減どうにかしなければと整体に通いだして、骨盤ベルトをようやく外せた。元気になるぞ、という気持ちが湧いてきた。現実問題、育休中に産む前より元気になっておかないと復職なんてできないのだ。
子は一瞬たりとも仰向けでいたくないとばかりに寝返りまくり、自分の足の存在に気付いて掴み、驚くほど大きな声でご機嫌に叫び、自分達の遺伝要素がどこにあるのかというほどエネルギーに満ちていた。その分泣きやまないときのパワーもすごかった。時々疲れきって呆然とした。
保育園の申込みをした。迷いに迷って希望順を決めた。4月に入れて翌月復帰するのを当たり前とおもい、完全に思考停止していた。後になって、育休は6月までなのだし、6月に入れなければ(まず入れない)育休延長という手もあったと気付いた。
働きたいのかどうか、自分でもよくわからない。夕方公園でこどもと遊ぶ親を見ると、復帰したらこんな時間には帰れないから平日の公園なんて無理だなぁと申し訳ない気持ちになる。
働く理由はお金のため、親でもなんでもない自分でいるため、子の手が離れたとき空っぽにならないため…。いろいろあるけど、それが0才で預ける理由にはならないともおもう。本当ならもっと一緒にいたいんじゃないか。泣く子を預けて早々に嫌いな仕事に戻る必要があるのか。大体離乳食も順調なら3回食が定着してるかどうかという頃で、自分も子も生活を変えてやっていけるのか。分からない。その時になれば、一日中一緒にいることに疲れて早く入れたくなるかもしれない。なんにしても結果が出るのは2月頃なので、それまでやきもきする。
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5ヶ月目、10月後半になってようやく涼しくなってきた。相変わらずいろんな赤ちゃん広場のようなところに行ったり、整体に通ったり、平日大体4日間はちょっとした(ほんとにちょっとした)予定を入れて出かけるようにした。自分の心身を整えるため、毎日少しでも外に出て歩きたかったのと、出かけることで子に刺激を与えたかった…というのはついでで、子の起きている時間が長くなるにつれ、家にいるだけでは間がもたなくなっていた。
行動範囲はついに「徒歩15分→電車8分→電車40分」で実家に帰るまでに広がった。平日だったのも大きいけれど、意外となんとかなるもんだなとおもった。
オタクの人たちと推しに子を見せることができ、(誰も望んでないだろうに嫌なやつだな、浮かれてるな、絶対何人かからは調子乗りすぎとおもわれてるな…)などとおもいつつも正直嬉しかった。その日だけはもう調子に乗ることも迷惑をかけることも自分に許してしまった。
来月から離乳食を始めるつもりなのを見据え、生活リズムを整えたいと試行錯誤している。
3ヶ月目くらいから、乳とミルクを一度に飲めない上に、「3時間おきに授乳はしたい」「ミルクは4時間あけないと飲まない」という条件が絡み合って、授乳/ミルクをあげるタイミングがもうしっちゃかめっちゃかになっていた。このままでは離乳食を生活に組み込めない。
助産師外来で相談したら、普通できることじゃない、よく頑張りましたねと言われて少し報われた。
いろいろ考えて、離乳食の2回食が定着する頃には卒乳、というか断乳する方向で、徐々にいろいろ整えていくことに決めた。決めた、が、5ヶ月目が終わろうとする現在なにもうまくいっていない。ついでに断乳が惜しくて不安でまたメンタルが低調になってきている。いつかは来ることなのに。
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11/11、曇り。今日の予定。朝のうちに洗濯掃除機お風呂洗いを済ませ、子の相手をし、朝寝させ病院の予約をする。配偶者の妹さんが泊まりに来るのでお昼に駅まで迎えに行き、晩ごはんの買い物をする。晩ごはんはこたつでお鍋を食べる。以上。
冬服を揃えなければ。毎日調べているだけで時間が過ぎていく。今日こそは注文する。
着せる服さえ分からず何日も何日も迷っているのに、この先どれだけの選択や判断・決定を行わないといけないのだろうと気が重くなる。
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今がもしかしたら人生でいちばん穏やかで幸せな日々なのかもしれない、ということをできるだけ考えないようにする。
こんな風に1日中あの子の顔を見て過ごせる時間がどれだけあるのか、あと何回目が合うだけで満面の笑みを向けてくれるのか、あと何回授乳できるのか、あと何回わたしの手からごはんを食べてくれるのか、あと何回抱っこできるのか。
どんなふうにひとりで座れるようになって、立ち上がって、歩けるようになって、どんな話をしてくれるようになるのか。
今あることのカウントダウンばかりしてしまいそうになるけど、楽しみなこともちゃんとある。と言い聞かせる。目の前のちょっと規格外に可愛い寝顔を見つめる。どれだけ焼き付けても忘れてしまうけど、せめてちゃんと見つめる。
もうすぐ起きるだろうな。起きたらお風呂に入れなきゃ。また短い夜が来て、疲れがとれないまま朝が来て、ちょっとげんなりしながらもどうにかやっていく金曜日。日常というにはまだ浮足立って、特別というには変わり映えしない毎日。