それはインスタントな祈りです(3年目の推したちへ)

(8月ごろから10月頭にかけて眠っていた下書きに加筆しました)

すきなひとがいる。年下の女の子で、アイドルで、同じグループに二人いる。二人いて、脳みその違うところや時々同じところで、同じだけ大事におもっている。毎日おもっている。
空が青くて、花の香りがして、すれちがった犬が可愛くて、暑くて、涼しくなって、ごはんがおいしくて、電車に変な人がいて、会社がクソで、上司がむかついて、疲れて、どうでもよくなって、泣いたり笑ったりして、心のなかで話しかける。
1年目には何も答えてくれなかったイマジナリー彼女らは、2年目には現実で話した数だけ答えてくれるようになった。

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この夏から、すきな女の子のひとりがお化粧を頑張りだした。どこからどう見てもかわいいわたしのすきな女の子は、容姿にコンプレックスがあるという。でも頑張りたいのだと、お化粧を頑張ることは自分を丁寧に扱うことだと言っていた。
ごくありふれた言葉だ。そんなの今まで目に入るたびに別人種の話として流してきたのに。その子の言葉で急に視界が開けてしまったわたしは、それから三十路にしてお化粧1年生みたいなことをしている。
ブルベとかイエベとかストレートとかウェーブとか、なんでみんな知ってるんだろうとおもっていた。街ですれ違う人たちは、どうしてこんなに「ちゃんと」しているんだろうとおもっていた。自分だけみすぼらしくヨレヨレしていた。でもそういうものだとおもっていた。
余計な意地だった。
今まで無関係と切り捨ててきたことが、その子がお化粧を頑張ると言っただけのことで急激に自分の世界に入ってきた。

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そんな自分なのに、もうひとりのすきな女の子は、会うたびにかわいいかわいいと言ってくれる。わたしがかわいいと言いに行っているのに。
わかってる。皆に言ってる。大好きって、皆じゃないとしてもたくさん言ってる。でもそれは全然どうでもいい。その瞬間わたしに向かって言ってくれた、そのことがすべて。
昔、「恋愛は自己肯定感を上げるのにいいよ」と言ってきた人がいた。その感覚はついぞわからなかったけれど、そしてその子に抱いているのは恋愛感情とは少しちがうけれど、自己肯定感というのは最近少しわかるようになったかもしれない。自分はその子にとっての大事なひとなんだとおもえるから。
馬鹿みたいだな。知らない人から見れば滑稽だろうとおもう。でもそうなんです。だってわたしはその子の人間性を信じているから。わたしは全然ダメダメだけど、その子はほんとうに優しくていい子だから。こんな素晴らしい笑顔を向けてもらえるわたしは、きっと特別な存在なのだと感じました。

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なにがこんなにもすきなのか、3年目になってもまだ明確な理由を言葉にするのは難しい。
たぶんと言わず、あの子たちより一般的に綺麗と言われる人も、歌やダンスがうまい人も、特別な才能を持った人もいるだろう。話してみたら上手に釣ってくるような人もいるだろう。
でもあの子の小動物みたいなかわいい顔も、コロコロ変わる表情も、すぐにふざけるところも、不器用でひたむきで頑張り屋さんなところも、寄り添うような包み込むようなあの子の全部が詰まったような歌声も、心の底からひとつひとつ探して大事に伝えてくれる言葉も、どうしようもなく特別で。
あの子のお人形みたいに整った顔も、顔全体からニコーっと音がしそうなくらいまあるい雰囲気になる笑顔も、ライブ中の鋭い目線も、ストイックでサービス精神に溢れたところも、誰より現実や将来を見て戦っているところも、まっすぐ目を見て頷きながらいつも肯定してくれる言葉も、やっぱりどうしようもなく特別で。
すきなところをいくつ挙げても、どれもそうだけどそれだけじゃないという気になる。たぶん何年経ってもそんなものだろう。

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ライブハウスでペンライトを掲げるときに考えていることを一言で表すと、すきでもだいすきでも超愛してるでもなく、「無病息災」だ。
無病息災ってなんだよ、と自分でもおもう。実際は無病息災っていうか、無病息災から始まるありとあらゆる願いの塊みたいなものをぶつけている。いうなれば無病息災ビームだ。
わたしの大好きで大事な子たちが、心身ともに元気でありますように。あらゆる苦しみや悲しみから守られますように。この子達を傷つける人がいませんように。世の中の汚いことと無縁で生きられますように。ずっと笑っていられますように。自分のやりたいことを叶えられますように。みたい景色がみられますように。この子達が幸せでありますように。アンドモア。

ペンライトを降る時間は流れ星が落ちる時間より長いから、これだけのことも願えてしまう。
もちろんステージを観ることに集中して、実際にこれだけ心のなかで唱えているわけではないけれど、そういう気持ちの塊を乗せているつもりでいる。

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ある曲の、すきな子の一人が歌うパートで、あまりにもその子の歌声が、気持ちが真っ直ぐすぎて、どこで見ていてもその子と自分の間に光の線がピンと張り詰めるような感覚に陥る。その曲はやっぱり特別だけれど、そうでなくても、どこで見ていてもあまり見えないときでも、自分とその子達の間、それだけだとおもうことがある。
気付かれなくても相手からは見えてなくても、勝手に心のリフトが上がってる。これもやっぱり妄言だ。

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すきな子のひとりがトークイベントで、10年後どうなっていたいかという質問に対し、一瞬何かを言いかけて「いや、夢を壊したくないからやめておこう」と軌道修正していた。
何を言いかけたかはわからないけど、若干と言わず年上の同性である身として、自分がまさにぶち当たっているようなことを含め、いろいろと現実を考えてしまう。
アイドルという職業。天秤の片方の重さはいろいろだとしても、何かしらは諦め捨てながら表に立ってくれているだろう。アイドルでなくても誰だって取捨選択しながら生きてる、それはそうだけど。
でもその子が言葉を選びながら言ったのは「アイドル以外にもやりたいことがいくつもある、その中のどれかをやっていたい」というようなことだったので、わたしはとても安心したし、なんというか希望を持ったのだ。
アイドルじゃなくなる日がきても、もし表に出ることがなくなってしまっても、どこかでやりたいことをやって幸せでいてくれるなら、寂しいけどそれでいい。きっとそれから先のほうが人生は長いから。

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推し活という言葉が一般的に使われるようになってきた。わたしは心が狭いので、外側にいる知らない人から十把一絡げにそう言われることに少し抵抗がある。
ライブに行ってチェキを撮って、推しが行ったところを訪れたり推しがすきなものを食べたりアクスタと写真を撮ったり…。そうした目に見える活動をもって「推し活してるんだね」みたいに言われると、なんだかパッケージ化された楽しみに沿ってるみたいで、そういうことじゃないですと言いたくなる。ただ生活をしていて、中心だったり片隅だったりはするけど、当たり前のように生活の中にあの子達がいるだけだ。
たぶん知らない誰かを好きな知らない人たちだってそうなんだろう。好きになったその日から、思考から行動から切り離せなくなってしまった。

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9月、何があったわけでもないけど、とても人生の迷子の気持ちでい続けている。こんなにもあの子たちのことがすきで、目の前で見て、お話して、幸せだとおもった1時間後にはもうしにたいとおもっている。それとこれとは別だ。根本的な解決なんてどこにもなくて、自分でどうにかするしかない、わかってる。

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わたしは変に図太いから、あなた達がいなくてもたぶん死んだ顔して生きられるし、死んだ顔とかいって全然ごはんとかおいしく食べるし、全然デザートまで食べたりするとおもうけど、生きてるっておもいながら生きる瞬間の多くは今もあなた達が与えてくれているよ。
それだけじゃだめだっておもうのも、おもうだけで何もどうしていいかわからないけど、おもうのも、あなた達が前を向いて必死に今輝いてる姿を見せてくれるからなんだよ。

…ほんとうにだめなときはどうにもならないし、とおもってたのに。10/3、離れたところで急にまんまと元気になってしまった。自分の単純さに笑える。違うかな、横浜からなにか送ってくれたの?

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1年目はあの子たちを中心に生活を成り立たせていた。2年目は引っ越しや仕事の変化などもあって、1年目ほど自由に会いに行けなくなった。3年目に入ったいま、現在進行形で全然会いに行けていなければ、配信すら見る元気が出ない日もある。これからどんどん会いづらくなることが決まっている。
あの子たちのいう「あなた達」にわたしは入る資格がない、とおもうこともある。
それでも見るたびにやっぱり唯一無二にすきだと実感するし、見るたび声を聴くたびこんなに心が動くのはあの子たちだけだと思い知る。まだすきでいて大丈夫だ、とおもう。この先もし会えないことが続いて、その間に今より遠くにいってしまったとしても、わたしにない思い出をほかの多くの人が持つようになっても、やっぱり大丈夫な気がする。
会えない間、これまでくれた言葉を何回でもしがみ続けて次会うまでのお守りにする。一生味がするよ。

(これだけ書いたけど全然19日前に会ったし31日後にまた会います)(締まらないね)


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