100億分の1、光 (日記)
最近直接会った方にはもしかして、と察してもらっているかもしれませんが、こどもができました。来月会う人にはもう隠しようがなくなっているだろう、いま20週です。順調にいけば6月に生まれます。
ここで順調にいけば、とつけてしまうのが、あまり大っぴらに言う踏ん切りがつかない理由のひとつです。以下は延々と、うだうだと、誰にも何も言ってもらわなくていいんだけど誰かには知ってほしい…みたいな気持ちを吐き出すだけの文章です。全然ハッピーじゃないです。こどもが好きでたまらないひと、ほしい/ほしかったひとが読むといやな気持になるとおもいます。
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いわゆる安定期に入って1か月経つのに、おなかも大きくなってきているのに、未だに無事に生まれる自信がなにひとつない。ここまで全部の経過が教科書通りで、健診で何か言われたこともなければもともと体質的なリスクがあるわけでもない。でもまだ本当に産まれるのかな、そこまでたどり着けるのかなという気持ちが消えない。
誰かにこどもができたと言えば、第一声で大抵おめでとうと言われるだろう。わたしだってたぶん人から言われたらまずおめでとうって言う。
それがいやなわけではないけれど、まだおめでたいか分からないのに、と心の何処かでおもってしまう。おめでたくなくなったらどうしよう、その時もまた報告しなきゃいけない、そしたらすごく気を遣わせるだろうな…などとおもってしまう。
(推しには自分の親に言うのと同じタイミングで報告しました。どうなったとしてもどうせ全部報告するだろうから)
第一、無事に生まれたとして障害や病気があったら?後からわかったら?ちゃんと喜べる?それでもおめでたい?
出生前診断的なものは考えた末しなかった。昔は「障害があったら育てられないから絶対検査する」と言っていたけど、実際できてしまったらおろすことは考えられなかった。もし何かあって、知ってしまってもどうしようもないなら知らないままでいようとおもった。(知った上で準備しよう、という考え方があることに気付いたのは検査できる時期を過ぎてからだった)
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そもそもこどもが欲しいかどうか、わからないままできてしまった。
もともと仕事が辞めたくて、年齢も中途半端だし辞めるならこどもができて産休育休使ってから…と周りに言われるのはごもっともで、でもいつできるかわからないのにそれまで辞められないの?できて辞めてそこから転職する頃いくつになってるの?その頃転職できるの?いっそ今辞めて転職してからそっちで…でも1年以上経ってからじゃないと休めないか…それでこどもができなかったら?というか仕事をどうにかしたくて、人生に何か区切りが欲しくてこどもができることに頼ってるだけじゃない?純粋にほしいんだっけ?後から、手遅れになってからほしかったっておもうのがこわいだけじゃない?
……人生をどうしていいか、どうしたいのかわからなくて、毎日通勤時間にそんなことばかり考えて泣きながら行き来して(後からおもえばこの時すでにホルモンバランスが変わっていたんだろう)、もう全部天に任せよう、とおもった矢先に発覚した。
こどもができるなんておもってなかった。というとすごく馬鹿みたいだけど。結婚して1年足らずでできるなんて、そんな傍から見て順調そのものみたいなシナリオが自分に用意されるわけがないとおもっていた。今もおもっている。
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明後日の健診で性別がわかるかもしれないし、わからないかもしれない。どちらでもいいと言ってはみるけど、本当は女の子だったら少しこわい。男の子は未知の生き物だから、あまりどうなってほしいとかいうイメージがない。女の子は同性の分、どうなってほしい、というよりどうはなってほしくない、という気持ちがどうしても出てしまいそう。自分が苦手なタイプの人間を思い浮かべては、自分のこどもがそうなっても愛せるだろうかと考えてしまう。でも自分に似てほしくもない。頭の良さだけは父親似であればいい、あとはどちらにも似なくていい。
まっとうな親をできる自信が欠片もないのに、まっとうな親に育てられたからといってこどもがまっとうに育つとも限らない。非行に走るかもしれないし犯罪者になるかもしれない。誰にも危害を与えなくても、引きこもりになるかもしれない。親ガチャとかいうけどこっちだってガチャだよ。生まれてしまったら手放せない。逃げられない。こわい。
(投稿せずにいる間に健診も終わり、無事育っていて性別もわかりました。それでもまだ何もピンときません)
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これだけ当たり前のように子育てしてる人たちがいるんだから、たぶんなんとかなるよ。ヤンキーみたいでもお金がなくても親やってる人なんていくらでもいるじゃん、必要に迫られたらどうにかなるものだよ。
という気持ちと同じくらい、人が当たり前にやっている(ように見える)ことを自分が同じようにできるわけじゃない、という気持ちがある。
そしてまた、すべてが平凡な自分には特別なことは起こらない、だから特別悪いことや乗り越えないといけないことも起こらないはずだ、という気持ちもある。いろんな気持ちが順繰りに前に出てきて、なんとか誤魔化し誤魔化し生活している。
ふつうに暮らしていて、目を離さないことができるだろうか。ついうっかり怪我させたり、しなせたりしないだろうか。
地震が来たら、飛行機事故にあったら、歩いていて車が突っ込んできたら、通り魔が出たら、ちゃんと守れるだろうか。別に母になったって強くなんかならない。自分の判断や行動でしぬかもしれない命なんて預かる自信がない。
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こどもができてから、いろんな人が優しい。自分も自分に優しい。だから自分がただのこどもの器になったような気になる。身体から出ていったら、今度は母親でしかなくなるだろうか。それともなんでもなくなるのか。
わたしの母は、ほとんど母親でしかなかったし今もそう。自分たちのせいで、あの人から母親以外の人生を奪ったように長らく感じていた。今でこそ向こうが選択してそうしたのだと、知ったこっちゃないと割り切れるけど、20代の頃はもどかしさ余って憎くすらあった。自分はそうはならない、とおもうけど、その血だって引いてる。
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アプリに「音が聞こえるようになったから話しかけよう」と言われたけど、全然そんな気になれない。今日のエコーではひさしぶりに動いている姿を見られた。前はかわいいとおもった、動いているのが見たいとおもった。今日は安心はしたけどよくわからなかった。帰って会社の手続き関連の資料や、前に市役所でもらった情報誌などを読んでいたら、情報が多すぎて何をどうしていいか途方に暮れてしまった。やっぱりみんながふつうにしてることはわたしには無理かもしれない。
わたしはだめかもしれないけど、あの人はちゃんとしてるから、わたしよりきっとかわいがってあげられるだろう。上手に世話できるだろう。性別どっちでもいいって言ってた。恵まれてる、わかってる。こんなに恵まれてるのに不安しかない。
この先急にお花畑になるかもしれない。全部どうにかなるかもしれない。たぶんどうにかなるだろう。明るく締める方法がわからないけど、出てきて大丈夫だからね、ごめんね。