断片と概観
(全然げんきだし落ち着いているけど、心のメモが溜まっていたので吐きだし)
去年の夏、電車でおしゃべりする女子高生を見て、ふと(あぁ、主人公だ)とおもった。
あの子たちは社会の主人公。これからの人たち。
わたしはあの子たちが生きる社会を支えなければいけない立場なんだと、なぜか急におもった。
でも、社会のなんでもない、なんの歯車にすらならない仕事をしてる。
きちんと税金を納めて年金を払って投票をする。それくらいで。社会に出てずっと、何をしているんだろう。
この車両にいる何人が、社会を支える側の人間なんだろうとおもった。
小学生の頃だったか、たまたま見たドラマのセリフを、うろ覚えだけど未だに時々思い出す。
「仕事帰り、綺麗な夕焼けを見て『生きててよかった』とおもう人もいる。私はそうはなれない。」
というようなことを、大学生のヒロインが主人公に言っていた。
夕焼け、夜の生温い風、朝のしんとした空気。
おかしなくらい、心が凪ぐことがある。生きとし生けるものすべてを肯定したいような気持ちになる。
なんにもないのに。
なんにもなくてもいいや、とその時はおもう。
なんにもないことを受け入れてからのほうが人生は長いから、うまくやっていく方法を見つけなきゃいけない。
「自分の人生なんだから」と、なんの衒いもなく言えるひとが苦手だった。
その人は誰かの人生に組み込まれていないのだろうか。
自分の失敗が誰かの失敗になるかもしれなくても、同じことが言えるのだろうか。
今はだいぶ、どうでもよくなった。もし自分にこどもができたら、お互いすきにやろうぜ、というスタンスでいきたい。
たぶんわたしも似ているから、意識しないと同じことをしてしまいそうだけど。
仕事中、唯一仲のいい同期から「生きるのがつらい(´;ω;`)」とチャットがきた。
わかる~とおもって返信しかけたら「最近食べたおいしいものや楽しいことの話ない?」と訊かれたので、
セブンのお芋のアイスがおいしいよと返した。PARMのお芋のやつもおいしいらしいよ、と加えたら、そういう話を待ってたと言われた。
機嫌をとったり諦めたり開き直ったり、するしかないものね。お芋でもなんでも。スーパーでPARMのお芋のやつを見かけたけど、箱が冷凍庫に入らなそうでやめた。1本で売っていたら買いたい。
ささやかなことで大丈夫になる日がある。
大丈夫じゃない日は、「明けない夜はない」とか「やまない雨はない」とかいう言葉をわざと浮かべて、わざと怒ったりする。
明けるとかやむとかじゃなくて、今この夜と雨が耐え難いんですけど?傍にいるわけでもないくせに。と、架空の相手に反論したりする。
そういうことをわざと何千回も繰り返して、どうせ生きてるしな、とおもって明け渡す。丸腰だ。