偶然と必然
photo by 深月(https://twitter.com/DeepMoon_0505)
私にとっての当たり前は
他人の当たり前ではないし
他人にとっての当たり前は
私にとっての当たり前ではない
そんな事は誰でも思う事だし
頭では理解しているつもりでも
いざそれと対面すると
ちゃんと分かっていなかったのだと
突き付けられるのだ
ずっとフリーで活動をしてきたから
組織という内側で仕事をするという
感覚がない
仕事は外とやるものだと思っているのだ
でも事務所とかなんかこう
そういう組織的なものでいうと
スクールビジネスとか
勿論、
それはそれで良いのだと思う
そのスクールビジネスも自分が納得して
組織に所属する分には構わないとも思っている
でも、本当にその仕組みの中で
スクールビジネスの内側で
お金を払ってやっている活動を
仕事として認識している事に
私は疑問を感じる
勿論、例えばステージに立つのに
出演者が
お金を払っていようが
もらっていようが
お客様には関係ないので
人に観せる仕事ではあるのだけれども
事務所という組織にいるのなら
内輪でお金をお互いに払いながら
回してる事には
疑問を持つべきだと思うし
外からお金を引っ張ってこれるようにする事が
仕事なんじゃないのかという
私の中での認識が1つあって
基本的に自分が企画をするものは
最終的に出演者にお金の負担をかけることで回すのではなく
出演者にはお金を支払って回せるようにしたいし
そうするための道のりを作る為の負担なら
私は負担して支払おうと思っている
ただ、あくまで支払うのは
道のりだからであって
最終的には回収するつもりである
でも、この道のりに疑問を持つ人もいる
どうしてそれをしてくれるのですか?
この疑問には何と答えるのが正解なのだろう
何かをしてあげているつもりなどない
私の自己満足か
君はただのコマなのだ、なのか
それとも私が君の才能に支払いたいからなのか
どれも違う気がする
たまたまそこで出会って
その道のりにいただけなのだ
それはただの偶然である
そこで出会ってたのが別の人なら
別の人と今、それをやってると思う
だからたまたま
偶然でしかない
しかし、その偶然というものは
日々の積み重ねで起きている
朝何時に起きて
何を食べて、家を出て
そしたら出会ったのだ
ということは、その偶然選んだ
起きた時間と
それを食べて家を出た
その積み重ねによって
必然的に出会っているのだ
だから、もし誰かに気が向いて
優しくなれたら
それは必然的にその人に優しくする運命なのだ
どうして、してくれるのですか?
私の答えをあの時キチンと伝えられたのだろうか
伝わった上で、意思がちがったのか
そもそも私の考えは理解されなかったのか
それは分からないけど
私の中での当たり前は
他人の当たり前ではない
でも私の中での答えを
私は大事にして生きていきたい