リアルのきっかけとしての夢
わたしはよく夢をみます。
起きたら忘れていることが多かった昔とくらべて、最近は、起きた後も記憶している量が増えました。
もう昔の事ですが、 一晩に3本も4本も(映画みたいに)覚えていた経験があります。そのときに 「こんな夢を見たの!!」と いま見た夢の話を、夢の中で喋っていて、それが夢だと気がつきました。それで 「夢の中なのに、夢を見たって話をしちゃったよ!」と、これまた夢の中で語っているという経験をしてしまったのです。
∞ 夢から覚めない 無限ループ ∞
(||゚Д゚) おそろしやァ...
1回ループなら、マトリックスみたいで面白いんですけどね。 まだ眠っているということに気づかない×2回。目覚めたつもりが夢だった。それが1回ならまだしも、ループで繰り返したという体験は、かなり衝撃的でした。
あのとき、夢の中でわたしは夢かリアルか、と疑って、手のひらをみたり、体の感覚も確かめてみた(あった気がした)のですが。結局わからなかったのです。夢だ、と思ったと同時に次の意識が夢を成立させ、目が覚めたと思えるくらいの世界を展開していたのです。
つまり 夢を見たという夢が成立する世界では 夢とリアルを区別する方法は存在しないとおもいます。もっと言うと、夢のわたしが過去のわたしだという根拠も無いし、今のわたしが過去の記憶の延長だという証明もできないのです。
つまり 現実(リアル)とは それほど危うい、ということ。 映画を観てるのと変わらないということです。
自分が自分と思っている自分がいまの自分として一定の時間に存続している。しかしそれが、現実だと十分に言える幻想だと言われても、理論的には反論できないのです。そこにあるのは、リアルだという感覚だけです。
この体験をきっかけに私は、「現実」を、「現実と呼ぶに値する幻想」と捉えるようになりました。
そうすると 現実も夢も、そんなには違わない、って気がついてきます。