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私の東方はここから!

はじめましての人ははじめまして。最近秘封ばかり推しているけど東方民であり、他にも多彩な趣味があるまりさめきりさです。現在𝕏の本垢が凍ってちょっと萎えてます。

最近仲良くしている方の記事に触発されたので、深夜テンションで私も記しておこうと思います。そういえば以前「隙自語東方遍歴」ってものもありましたね。

若干リットリンクに重複する自己紹介要素を含むのは、触発元記事の方針を踏襲したからです。気になったらこっちも読んでください。



東方Projectに出逢うまで

生まれなど

生まれだけは宮崎、育ったのは愛媛。市街地と、海も川も山もある自然が程よく交ざった場所で育ちました。田舎と言えば田舎だけれど、クソデカイオンモールあるしな……。

一人っ子長男で甘やかされて育ちました。だいたいやりたいことはやらせてくれたし、資金や旅行の援助も万全……。もちろん不満点がないわけではないんですが、申し分ないくらい愛されていると思います。
とはいえゲームやスマホに初めて触れた時期は周りよりは遅いかもしれないし、マンガやアニメをほぼ通ってこなかったのは親の教育の結果かも……。

父の蔵書を読み漁る

さて、その代わり何があったかというと、大量の父の蔵書でした。しかもサブカル黎明期って言えそうな、『ソード・ワールド』や『ロードス島戦記』。ちょっと『マリーのアトリエ』『エリーのアトリエ』もかじりました。そんなあまり小学生が読みそうにない小説を読み漁りました。架空戦記や推理小説もたくさんあったのですが、そちらにはそんなに惹かれませんでした。
もちろん、一般的な小学生が読みそうな、『グリックの冒険』や『冒険者たち』、『マジック・ツリーハウス』にも多大な影響を受けました。『ハリー・ポッター』は母の影響もあったと思います。

様々な普通に大人が読むような小説に手を出していったので、漢字や語彙力の習得は比較的早かったのではないかと思っています。
あとから思えば、「ソード・ワールド短編集」等で行われていた「シェアード・ワールド」という共通の「フォーセリア」という世界観を共有して様々な人が様々な作品を制作していく、という文化に触れてきたことは、間違いなく東方Projectにハマる土壌を醸成していたにほかならないと思っています。

ちなみに、父がパソコンをよく使っていたので、実はスマホよりパソコンに触れたことの方が早いし、その結果スマホでもQWERTY配列を使う始末です。

東方Projectとの出逢い

小中の頃……

そういう読書多めの陰キャ寄りの小学生活を送っていたわけですが、いじめられることもありました。まあなんやかんやで乗り越えてきましたが、いくら友人が何人かいたとはいえ、ネットに居場所を求めていくわけで。とはいえ、本格的にネットに入ったのは中学生から。小学生までは本読んでちょっと3DSでゲームしたり習い事行ったりの健全な生活をしていたわけでした。
ようつべをよく見るようになって、ゲーム実況というものがあるのを知ったあたりで中学生になり、WiiUやSwitchが加わり……。マリカーやマイクラといった、ゆっくり実況や茶番から東方Projectに入りました。

たくっちやぽこにゃんを見ていたのは覚えています。特にたくっちに関しては、当初信者寄りだったけれど徐々にちょっとしたアンチに傾倒しました()。Twitterを始めたのもゆっくり実況者の普段の生活が知りたいと思って、素直にEDとかで言ってるフォローしてねに従ってみたってのが最初。結局その垢は誕生日設定を律儀に変えてしまったことで凍ってしまい、同時期に見ていたたくアン動画から、Google+(ぐぐたす)という過疎ってて結局滅亡するSNSに流れました。1年半くらいの短い期間でしたが、ぐぐたすでの経験が私を東方好きたらしめ、このようなネットに入り浸るきっかけになりました。

ぐぐたすにて

というのも、ぐぐたすではコミュニティだったり、今は亡きTwitterサークルに相当する投稿の公開設定だったりが存在しており、ユーザーとの狭めで深い交流が充実して行えました。もちろん、その中には東方好きが交流するコミュニティも多く存在し、様々な絵師さんが東方のイラストを自由に描いていて、それがpixivなどに上がっているということなどを知ったのもここでした。他にも様々なことを知りました。たいへんクローズドな環境で、やらかしもしつつ、ネットリテラシーをある程度学べたのは大きかったと思います。ちょっと東方イラストを模写して上げてみたりもしました。
まあ、そんなうちにサービス終了してしまい、同時期にTwitterのアカウントが復活したことで、強制的にみんなでTwitterに移住するんですけど!

東方の話だった!!

話が逸れました。東方の話でしたね。ゆっくり茶番のコメント欄から、幻想万華鏡というアニメがあるということを知りました。そのまま、幽閉サテライトなどの音楽サークル、アレンジ楽曲の存在、原作・原曲の存在を知っていきました。ピクシブ百科事典やニコニコ大百科からひと通りの原作のキャラやストーリーを把握し、だいたい原曲を聴いてしまうまでさほど時間は掛かりませんでした。その頃初めて、母に連れてってもらいカラオケに行ってたわけですが、当時、カラオケで歌える東方楽曲をまとめた動画が存在しており、そこでTUMENECOと凋叶棕に出逢ってしまったことで、私の音サー方面の趣味がだいたい定まってしまい、音サーどころか同人活動の全体までその影響を受けていくことになるのです……。お察しの通り、「まりさめきりさ」という名前は凋叶棕由来ですもん。
キャラの趣味はゆっくりの動画から作られた面も大きいので、霧雨魔理沙、というかマリアリや、さとこいが好きなのはその辺の二次創作の影響が大いにあるような気はしますね。

コロナ禍以前

東方いよしこく祭

2018年から19年にかけて、つまり先述した中学時代と重なりますが、盛んに東方いよしこく祭というイベントが地元で行われていました。年1回ではなかったので、期間内に5回行ってます。今でもこのイベントはやっていますが、地方イベントなので露骨に強制イベントたるコロナ禍の影響を受け、商業施設の一角でやる程度になってしまうわけですが、当時はちゃんとしたイベント会場でやっていただけでなく、東方せとうち音楽祭というライブも併催していたのです。その存在をピクシブ百科かどっかの一覧記事から知り、これは行ってみるしかない!!となりました。しかもそのライブに、TUMENECOや確か森羅万象が来ていたのです!ハマり始めてすぐに、生演奏生歌唱を聴いてしまったわけで、もう戻れなくなりました。
果たしてTUMENECOに出逢っていなければ秘封倶楽部に沼ることがあっただろうか?
色紙やイラスト集も買うことがありましたが、基本は缶バッジなどグッズ面やCDが多く、同人誌を精力的に買うようになるのはもっと後のことになります。

例大祭、公式書籍収集

例大祭にも15・16に参戦しています。初めていよしこく祭に参加した次が例大祭です。凄いね。その後も例大祭にはコロナ禍を挟んで19から毎回参加しています。
幽サテやTUMENECOのCDだけでなく、公式書籍の収集・履修も精力的に始めました。茨歌仙やグリマリが最初のターゲットだったと思います。
Liz Triangleや森羅万象など、色々なサークルも好きになっていきました。
ちなみに19年の前半には、東方好きな彼女がいて、一度一緒にいよしこく祭に行くなどしたのですが……。

コロナ禍の中で

生活習慣の崩壊

20年に始まったコロナ禍を、私は最悪のタイミングで迎えました。卒業式は慌ただしく規模縮小した中で終わり、なんと入学式がないまま、夏休みが終わるまで遠隔授業になるという形で高専生活が幕を開けました。
遠隔授業で家にいる時間が増えるとどうなるか?パソコンやスマホしか触らないし、Twitter上での人間関係がめっちゃ増えるのです。ぐぐたす民の繋がりだけでなく、東方好きの知り合いも徐々に増えていってました。
アズレンやガルパなどのソシャゲをこの頃に始めてしまい、中学時代からその兆候はあったものの、完全に読書という趣味がネットサーフィンとゲームに置き換わるという、あまりよろしくない事態が発生しました。

新たな趣味の芽生え

もちろん、ただ家に籠っていただけではなく、サイクリング(一応ロードバイク持ってるんです)やツーリング(スーパーカブC125)をして、外に出ることもありました。
FFさんがやっていたことから、女装をしてみたくなり、どうせならコスプレも兼ねようと、メルカリなどを駆使して蓮子(概念)コスをすべて揃えるなどしました。細身の体型が活かせています。
ようやく登校できるようになり、部活は元々なんとなく写真が好きだったこともあり、写真部を選びました。これが大きく人生を変えるきっかけになろうとは。

京都秘封、幻想入り展との出逢い

京都秘封

22年1月、その少し前に存在に気づいたイベント、あの幻と京都秘封に参加し、秘封界隈の熱量を目の当たりにしつつ、古くからのFFさんと会いました。この頃にはTUMENECOの2人と仲良く会話できるようになっていたように思います。
それから、とある2人の同年代のFFさんと、スペースで通話したことなどで仲良くなり、彼女らをきっかけに、秘封好きな同人誌を書くことがある人たちとの交流が一気に増えていきました。これもTUMENECOや凋叶棕が繋げてくれた出逢いだったりするんですよね。共通の推しサーの存在はデカい。

幻想入り展との出逢い

一方、私が写真好きで、神社などの風景を投稿していたことが主催さんの目に留まったらしく、幻想入り展という展覧会のお誘いを受けました。
幻想郷や秘封倶楽部を感じる風景を、直接的なキャラの描写、つまりコスプレや人形とかではなく、純粋に風景写真とそれに添えたキャプションテキストだけで表現するというものです。

願ってもない機会だったので飛びつき、スマホ写真ではありましたが、地元の風景などから選りすぐりのものを4枚選び、それを出展しただけでなく、新潟へ飛び在廊さえしました。このときの経験と、次の京都秘封で同人誌を作る皆様と知り合ったことが、私が同人誌を作るきっかけになりました。
ちなみに、その後愛知で開催されたものにも、在廊はできませんでしたが出展しています。

京都秘封2・紅楼夢

この9月の京都秘封で、全てが変わりました。合計17名ものFFさん。元々知り合いだった人と、新たに会った人がほぼ同数。もちろんその中には秘封などで同人誌を作っている人がいる。FFさんの作品?面白そう!買おう!っていうのが、この時と10月の紅楼夢で一気に発露しました。幻想入り展で知り合った人もいい影響を与えてくれました。

ちなみに、その頃勉強が振るわずに結果留年することになるわけですが、それについてはまたの機会に……。

北斗秘封、例大祭、そして……

北斗秘封

23年の例大祭前、プラネタリウムで開かれたライブイベント、北斗秘封にて、私は『鉄塔』――『Mary had a little love』という古の作品を知り、すっかり脳を焼かれてしまいました。他にも色々な演目がありましたが、どれも素晴らしいものでした。

サークル参加、気になる!

さて、サークル参加したいという漠然とした思いはありました。作るなら写真でだろうという思いもありました。ただ、何をやればいいのかわからない。そんな状態で迎えた例大祭20で、本格的に作品を創り、世に出す決心を固める、作家さん及び写真集との出逢いがあったのです。写真と文章を組み合わせて、秘封倶楽部の世界観に基づいた解釈を添えれば本が創れるということ、そしてそれは幻想入り展への出展作品をベースにすれば容易に行えるだろうこと。それに気付いた私はもう止まってなどいられなかったのです。

初サークル参加は京都秘封でした

作品制作

ネット上で印刷所に依頼し、入稿したら本が送られてくるという形が一般的なのは気づいていました。ですが、自分で紙を触って選びたいということ、なんでもすぐにわからないことが質問できた方がいいということから、私は地元の印刷所を探して依頼することを選びました。まだどういうデータで作ればいいかわからない段階でお盆休みに入ってしまったこともあり、ひやひやする展開もありましたが、なんとか制作は締切内に完成したのでした。

『幻想を切り撮って』

そうして生まれた作品が『幻想を切り撮って』です。幻想入り展に出展した作品を収録し、それに似たテーマの写真を新たに合わせ、2人のFFさんに小説やイラストを書いて描いてもらい、ポストカードもセットにしたという豪華仕様でした。実は横長本の予定でしたが、すり合わせが上手くできずに天綴じになりました。この本の写真はカメラで撮ったものとスマホで撮ったものが半々くらいでした。22年春以降にカメラを使い始め、本格的には23年からなので、それ以前の写真を使いたいものも多かったのです。

京都秘封にて

うち1人のFFさんに売り子をしてもらうだけでなく、もう1人のFFさんにメイクしてもらうといった形で、なんと蓮子コスもして、京都秘封に臨みました。どうやらあの幻やシンポも含むとはいえ、合計26人と会っているようです。半分くらいはお世話になっているFFさんに配ったとはいえ、まさかの初参加50部完売を遂げました。なんか初めての参加なのにお隣さんが誰とは言わんが凄い作家さんでした。ちなみに、このあたりから関西圏のイベントへは車で行くようになっています。

その後

見送る予定だった紅楼夢に結局リア友を連れて行ったり、徳島でライブがあると聞いて別のリア友と一緒に行った後インフルに罹ったりしてその年は終わりました。

2作品目、そして現在へ

名古屋

例大祭で何度も新幹線で東に行く際、いつもスルーしていた場所、それが名古屋でした。年末年始にFFさんの家にお泊まりしたときが初訪問。そのときにいい街だと思っており、3月は春休みだったので、観光を多めに含めた日程で、車で名古屋へ行きました。なんか前日に諏訪大社御朱印全部回収して洩矢神社も見て来てます。

『ふたりの旅路』

2作品目、『ふたりの旅路』は、以前からよく可愛がっていた蓮メリフェルト人形を主体に、文章は微妙に前作の小説を引き継ぎつつ、自分の手だけで創り上げることを目標として制作しました。ちゃんと横長本にもできました。こちらも50部刷っています。

名華祭

そして迎えた名華祭。またコスプレ参加しつつのサークル参加でした。新刊と同時に、既刊の重版も再び50部行ったことから、いくら売り子がいたとはいえハードでした。こちらでも新たな出会いがありました。隣のスペースの人がかなり精力的に旅行したり作品制作したりしている人で、すぐ打ち解けました。

例大祭・秘封蓮花蝶

新刊は創らず、在庫を捌きつつみんなに会いつつ色んな新作を手に入れよう!と挑みました。例大祭21では別のFFさんに売り子を頼みつつ、私的には画期的な、n時50分~(n+1)時10分までサークルにいて、他はその辺うろついて作品買ってるよ!(売り子さんは私がいる間に動いてね!)っていうことを公言し、実際その通りに動きました。その結果ほとんど悔いなくチェックしたサークルをすべて回り切れ、売り子は秘封新作たる七夕坂を入手できたという、どちらもWin-Winな結果で終えられたと思います。ポストカードを数枚渡し忘れるハプニングはあったのですが……

秘封珈琲店というコラボカフェにて、この記事の触発元の人に出逢うなどしました。

秘封蓮花蝶では、のんびりとサークルの人、一般の人ともに仲良く、秘封好きしかいない空間を満喫しました。以前のシンポでお話されていた、丹波山村の方ともお話しできました。そしてなんとそこで蓮子ふもが売られているのを見かけ、これはお迎えするしかない!!となりお迎えしました。メリーもほしくなるじゃないか……

気づいたら遠野いるんだが

ただの土曜日だから、寸前まで行けない気でいた遠野秘封。よく見たら前日学校休みだし、よくよく検討してみたら、夜行バスで渋谷に出て、そっから東北新幹線を使えばどうにか間に合うことが発覚。さらに、当時岩手にFFさんがおり、車で送迎していただけ一緒に参加してくれることにまで。今までの人脈作りが功を奏し、遠野で幸せなひと時を過ごすことができました。

FFさんの売り子として委託頒布したこと……結局前々から話したかった作家さんに渡したり、新たに知り合った人に渡したりしたことで、ついに在庫をすべて捌ききったのでした。本当に割と有名なサークルの方ともゆっくりお話しすることができる、またとない機会でした。

長旅で疲れたので翌日ろくに観光できなかったのですが、イベント終わりにみんなでデンデラ野に行き、マップに「混んでいます」表示を残せたのでよしとしましょう。絶対また行きたい場所でした。
帰りは新幹線乗り継ぎと特急で8時間くらいで帰り着いたような。それって名古屋に車で行くときの休憩込みの時間とほぼ変わらんのだが……

現在

なんか2作品で写真集はだいたいやり切った感があること、そもそも新たな写真を撮る余裕がないこと、資金が尽きてきたこと、高専4年生としての生活がかなり忙しいことなどから、24年中の作品制作はしないつもり。
しかし、TUMENECOライブの年であることや、相変わらず会いたい人がたくさんいることから、京都秘封と紅楼夢へは一般か売り子での参加を予定している。また、今までの恋愛経験を活かした小説を、来年の秘封蓮花蝶辺りで出せたらいいなと目論んでおり……といった感じです。

まじで長文になってて笑った。これ読めば私の東方遍歴や活動歴がだいたいわかるぞ。
とりあえず、秘封に沼ってから原作ゲームの履修を辞めてしまったため、鬼形獣がギリギリわかるかな……で知識が途絶えており、虹龍洞とか全然わからんが??なままになっていることを謝罪しつつ、本記事を締めようと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。






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