騎士道と愛とキリスト教とー「結婚商売」にまつわる雑学④
人類の文化は往々にして信仰と結びついて発展するものであり、今回のテーマである騎士道と愛も根の深いところでキリスト教の教義と繋がっています。
ザカリーのビアンカへの愛もまた、図らずもそうでした。
カトリックを中世の絶対的存在にしたガリア史
キリスト教はローマ帝国の属州ユダヤで成立したものの、長らく激しい迫害を受けました。しかし313年に西の皇帝コンスタンティヌスが発布したミラノ勅令(いわば宗教寛容令)によって解放され、380年に国教、392年には他教禁止となったため、属州ガリアにも伝播しました。ただしゲルマン民族に広まったのはローマ・カトリックであるアタナシウス派ではなく、土着信仰と親和性があったアリウス派(異端キリスト教のひとつ)です。
そんな時期にメロヴィング朝を興したのがフランク人のクローヴィスです。彼らの信仰は古来からの多神教でしたが、熱心なアタナシウス派信者だった王妃クロティルド(のちに聖人)の勧めもありクローヴィスはアタナシウス派に改宗します。
クローヴィスは他のゲルマン民族の征服戦争に「異端アリウス派への聖戦」という大義名分をつけてガリアを平定し、ローマ・カトリック教会はクローヴィスをコンスル(執政者)として認める代わりに、帝国の分裂と消滅によって不安定だった教会の後ろ盾を求めたのです。
(本稿のタイトル画像はクローヴィスの結婚式と改宗を描いたレリーフです)
▼カール大帝と教皇レオ3世も数百年後に似たことをやります
キリスト教が縛った「生」と「性」
ところでローマ帝国が弱体化して以降のガリアは長らく荒れました。裏切り、貪欲、略奪、強姦、残虐行為の数々…まるで「北斗の拳」みたいな明日をも知れぬ世界です。
人々は救済を信仰に求めます。教会は「小さき者(子どもや弱者)にこそ力を貸すべき」という教えに基づき、彼らを慰め、保護しました。すると何が起きるか。皮肉にも教会はナザレのイエスが嫌ったはずの権威を持つようになり、「教義を守れば救われる、教義に背けば地獄に落ちる。教会がよしとする生き方こそ正義」という社会通念が発生するのです。
一方、教会が民衆を指導するにあたって悩んだのが「原罪」の概念と密接に結びつく性の問題です。
かつて「人」は、エヴァ(女性)が賢しい動物に唆されて林檎を食べ、アダムにも勧めた(男性を誘惑した)ことから神の怒りを買いました。羞恥や欲を知らない純真な存在ではなくなった「人」は楽園から追放され、永遠の命を失った―性交をしないと絶滅してしまう存在になった―のです。
そして、ふたりを唆した狡猾な動物は四足を奪われ地面を這いつくばることになりました。そう、蛇です。ザカリーとビアンカの宿敵ジャコブを象徴する動物でもあります。
しかし生殖活動は生命の根源であり本能を止められるものではありません。また修羅の国状態ですし、土着の思想もあって性は乱れていました。なんとかしなければ面目が立たないのです。結局、この矛盾に対処するために教会が編み出したのが「性交は子孫を残すためにする行為であり、神の御前で合意した成人(現代の中学生くらい以上)の男女のみに許される」という婚姻ルールで、婚前交渉や婚外交渉は断罪対象となりました。
ここが「結婚商売」としては大事ですね。ビアンカが結婚した年齢は、教義としては許されないのです。
騎士道と愛と高潔な不倫
こうして作り上げられた中世のさまざまなルールの影響は、貴族の道徳にも及びました。フランス語の騎士(chevalier)を語源とする騎士道(chivalry)と女性崇拝、そして宮廷風恋愛です。
騎士の名誉とは何か
【貴族=騎士】だった時代、彼らは人々の模範たることを求められました。中世前期の騎士道は「戦士の心構え」でしたが、中世盛期にキリスト教の教義や十字軍遠征、愛国心といった要素が加わって【神への献身】【異教徒や侵略者と戦う勇気】【弱者の保護】という高潔な精神性を問うものになりました。実際はともかく、騎士はこうした規範を遵守することが名誉とされたのです。
また、テンプル騎士団、ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団といった宗教騎士団が登場するのも十字軍遠征が始まった頃です。宗教騎士団は、弱肉強食の封建制から足を洗いたかった一部の騎士と、戦力を必要としていた教会の思惑が一致したような存在で、彼らは修道請願した上で聖地や巡礼の保護にあたりました。もちろん十字軍遠征は最たる活躍の場でありました。
「結婚商売」原作5巻のアラゴン掃討戦に現れる聖騎士団もおそらくこうした集団であり、ザカリーもこのときばかりは将軍として「神の御意思は我々にある!セブランよ!神に捧げる勝利のために進撃せよ!」と檄を飛ばしました。
(めちゃくちゃカッコよくて早くマンガ版で拝みたいシーンです)
神の名のもとに戦うことは騎士の名誉のひとつだったのです。
ザカリーが見た罪と欲と愛と
さて、弱者には女性(淑女)も含まれます。女性は騎士に守られる存在であると同時に、「結婚商売」の時代である中世後期に人気を博した「アーサー王物語」をはじめとする騎士道文学で騎士に異次元の力を与える崇高な存在として描かれたことから、この時代の騎士道には「女性崇拝」が追加されました。
女性蔑視のキリスト教社会で、いつの間にやら随分出世したものですが、もちろんプラトニックな愛でなくてはなりませんし、騎士は無償の愛と誠を淑女に献げるものとされました。
以前の投稿で筆者は『「結婚商売」は読めば読むほど「騎士」という存在が軸になっている物語だ』と書きました。その最大の理由は、ザカリーがビアンカを通して私たちに示し続ける彼の精神性です。
「結婚商売」前半の見せ場であるトーナメント(馬上槍試合)で、ビアンカからレースのハンカチを受け取ったことでザカリーが奮い立ち、彼女に跪いてその手に口づけながら「必ず君に優勝を捧げよう」と宣誓し、ビアンカが「あなたに祝福を、勝利を、栄光を」と答礼するのは騎士道文学を地で行く名シーンです。
また、準決勝直前のザカリーとジャコブの舌戦でも、ザカリーが如何に騎士道を重んじているかが象徴的に描かれています。ジャコブの耳元に叩きつけた最後のセリフとそのあとのモノローグは読み手がゾッとするほどの覚悟で、この下りが先にあったからこそ終盤の彼の決断には説得力があります。
さらにはザカリーがビアンカとの初夜を延ばしに延ばした理由です。原作2巻で「心身とも彼女が大人になり、合意の上で行うことで真実の愛を示したかった。少女はあっという間に成長し、ザカリーの欲に火をつけたが、彼は耐えられると信じていた。跡継ぎを産みたいという彼女の要求に今の段階で従ってしまったら、また結婚式の時と同じこと―恐れ、嫌悪される―が起こると思った」と書かれています。大人の都合で嫁いできたビアンカに、せめて「本当の結婚」では彼女自身が後悔しないようにと考えているのです。さすが、その存在を「結婚が商売だというのなら、自分と引き換えに得たものがあまりに貴重なものだったらどうすればよいのか。巨額の富を積んでもこの世のすべての金銀財宝を抱かせてもまだ足りないと言うのに、彼女から何かをもらうことなど考えられなかった」と表現する彼ならではの誠です。
ザカリーは修道士ではなく騎士の道を選んだ理由を「信心がないし、貴族としての名誉を守り、出世したかったから」と回想しました。しかし貴族の名誉とは騎士の名誉であり、それはここまで挙げたように根っこで教義と繋がっています。
幼いビアンカと結婚して<拭えぬ罪悪感>と<見返りを期待しない愛>の両方を抱えたことで、図らずも騎士道が示す愛に殉じる男になったのだろうと思います。
女性崇拝が生んだ謎文化
ところで、騎士にチートなパワーを与えてくれる乙女や貴婦人への愛は、あくまでも高潔なものでなければなりませんでした。翻って高潔な愛であれば、結婚が商売(愛なき結婚)だった時代、騎士が人妻を信奉(愛)することは許容され、夫もそれを見て見ぬ振りをすることで寛容さを示すという、現代の価値観からすると理解できないものが生まれました。いわゆる「宮廷風恋愛」です。
これは「どれだけ性愛に抗えるか」という騎士の試練であり、また「性交は結婚した男女以外してはならない」という教義に基づくものでもあります。
ちょうど31話でソヴールがジャコブの行動を推察する際に挙げた「未婚の騎士が…」というやつです。
(ジャコブは力づくでビアンカをザカリーと別れさせる気ですけど)
この宮廷風恋愛の枠に止まれなかったのが、回帰前のビアンカ、ジャコブの母と妻です。
まずジャコブの母は未婚の令嬢でありながらビクトル王に叶わぬ恋をし、酩酊した彼の寝所に忍んでジャコブを妊娠しました。「なんでそんなことが可能なんだ…」というのはさておき、この時代の社会通念上あり得ない行動です。そのためビクトルは妊娠した彼女を手頃な子爵家に押しつけ、不本意な恥と罪を隠したのでしょう。
また、回帰前のビアンカとフェルナンの不倫や、ジャコブがアラゴンから娶った王妃と護衛騎士の不倫が厳しく非難されたのは、性交を伴ったと見做されたためであることは言うまでもありません。
絶対王政期になるとディアーヌ・ド・ポワティエや、ポンパドゥール侯爵夫人、デュ・バリー伯爵夫人といった公妾が現れますが、公妾も既婚者であることが絶対条件でした(公費が支給されるなど制度に基づいた存在で、夫とは別居)。婚外子が跡継ぎとなることは許されないため、公妾が産んだ男児は臣籍降下するなどして王族にはならなかったのです。
今回触れた愛はある意味で非日常ですが、その愛を受ける貴婦人側の実生活はどのようなものなのでしょう?
いよいよ結婚商売の話になるかな…
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