貴婦人はスーパーウーマン!?ー「結婚商売」にまつわる雑学⑤
雑学④でザカリーの愛と騎士道について真剣に考えすぎたせいか、軽く燃え尽き症候群になっていました。
「結婚商売」マンガ版の日本配信は12月からいよいよ馬上槍試合に突入しそうですが、その前に騎士と対となる存在、つまり貴婦人の人生とお金の問題を、ビアンカの人生を振り返りつつ見ていきたいと思います。
※というわけで今回も絶賛「ネタバレ注意」です※
結婚は本当に商売だったのか?
夫となる人が妻となる人の親に挨拶するときの定番のセリフ「お嬢さんを幸せにします」。
こんなセリフは「結婚商売」の時代には身分の貴賤を問わず存在しなかったでしょう。結婚の目的は幸せになることではなく、キリスト教の教義で言えば跡継ぎを残すこと以外になく、世俗としては生活していくための戦略に他ならなかったからです。
日本人もよく知るヨーロッパ王侯の結婚同盟といえば、18世紀半ばのオーストリア・ハプスブルク家の皇女マリア・アント―ニア(マリー・アントワネット)と、フランス・ブルボン家の王孫ルイ(のちのルイ16世)の結婚です。およそ100年後の子孫であるオーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と、母方の従妹であるバイエルン公女エリザベートも、ハプスブルク家の伝家の宝刀といえる「幸運なオーストリアは結婚を!」の号令のもとに結婚しています。ハプスブルク家は婚姻政策でヨーロッパ中の王家を席巻したようなものですからね。
「なんという時代か!」と思いますが、日本の武家だって同じことをしていました。もちろん公家も。中国や朝鮮の後宮に上がる有力な家の娘も。皆そのようにして家門のために嫁いでいきました。
そもそも英語の「ウェディング」の語源は、妻を貰う代わりに相手の親に支払った代価(当時は家畜や土地)のことだそうです。歴史を遡れば、古代バビロニアや古代アフリカの娘は親に連れられて文字通り「市場の競り」にかけられていました。娘もそれが当然と思っており、大した金額のつかなかった娘や恋愛結婚する娘を見ると「男ばかりが得をする」と憐れんだのだそうです。商売道具として自分を高く売り、実家に儲けさせることを考えていたのですね。ここまで来ると潔い…。
では、中世ヨーロッパの貴婦人はどのような生活をしていたのでしょう?
貴族男子が騎士そして領主としての勉強をしながら大人になるように、貴婦人も令嬢のうちに領主夫人となる教育を受けて14〜16歳ごろに巣立ち、婚家の領地を守るのが仕事でした。
娘のうちに叩き込まれる奥方教育
近世以降の令嬢の教育は系統だっています。現代で言えば幼稚園生くらいから修道院で寄宿生活をし、中卒で実家に戻って花嫁修業をして、17歳ごろに社交界デビューしました。
姫ともなると、その道のプロと呼べる学者や貴族夫人からあらゆる教育を受けます。「ベルサイユのばら」ではマリア・テレジアが娘のダメっぷりを嘆く姿が描かれていますし、ミュージカル「エリザベート」にもシシィが「フランス語なんて大嫌い!」と言いながらサーカスの綱渡りを真似るシーンがありますが、何しろ貴賤結婚が忌み嫌われる時代、自分が公女なら相手も公爵以上であり、王女であれば相手は他国の王族です。国を背負うことが決まっている以上、彼女たちの教育は疎かにできません。
しかし中世後期の貴族の教育はもうちょっと実生活に即しています。まだ首都の社交界が生活の中心というわけではないので、大河ドラマで見る武家の奥方の生活にイメージが近いですね。生活の面倒は乳母がみて、母親か両親の姉妹が教育係となって、家事の基本、刺繍、ラテン語の読み書き、詩作などを叩き込まれました。
この中で個人的に注目するのは家事とラテン語です。
まず家事の内容は使用人たちに掃除、洗濯、子育て、刺繍、機織りの指示を出すことです。特にアルノーのようなインカステラメントでは、城壁の中はひとつの国家であり、城は軍事施設であるとともに、行政、政治、裁判機能、領内の生活用品を製造する場でもありましたから、夫人は屋内の司令塔でなくてはならなかったのです。
特に機織り(おそらくは糸紡ぎも)は、古代ギリシアの時代から夫人が下女たちを取りまとめて行う集団仕事で、ときに女性の美徳や処女性の象徴ともされるものでした。
そしてラテン語。15世紀時点ではラテン語は重要だったと思います。まだ聖書も公文書もラテン語で記述されているからです。
公文書や聖書が各国の言語で記述されるようになるのは、「結婚商売」の時代より数十年後の16世紀前半です。フランスの公文書は1539年にフランソワ1世が「ヴィレール=コトレの勅令」で記述言語をフランス語に定めたことでラテン語から切り替わりました。また聖書の翻訳は、古くは14世紀末にイギリスでウィクリフが英語版を作っていますが、一般的な先鞭はルターが宗教改革の一環として1522年にドイツ語版を作ったこととされています。
余談ですが、筆者の「結婚商売」最大の疑問は「ビアンカの教育はいつ誰がしたのか?」です。これはTwitterのFFさんたちとも議論になりました。
ビアンカは母親が産褥死していますし、幼少で女っ気ゼロのアルノーに嫁がされていますから、他家や修道院に通わない限り、貴婦人教育が受けられないはずなのです。
ところが嫁いで以来ずっと引き籠もりだったのに、ビアンカは貴婦人としての立ち居振る舞いが完璧で、刺繍もできるしリュートも弾けるし、大司教宛の書簡(おそらくラテン語)も書けます。フィクションなので深く突っ込む必要もないのですが、ビアンカ超人伝説です。
子を産んで奥を取り仕切り、時には政治もするスーパーウーマン
こうして一通りの教育が終わると、令嬢は親が決めた相手のところへ嫁いでいきます。
中世の結婚は法律婚ではありませんから教会で挙式ですが、桐生操の著書(都市伝説の山みたいなやつ)によると、人の記憶が頼りなあまり、なるべく印象を残すべく無駄な殴り合いや大騒ぎが多かったとかなんとか…。
ザカリーとビアンカの結婚式も幼女(ビアンカ)のギャン泣きで終始したようなので、ある意味で記憶に残る式だったでしょう。
さて夫人の仕事は大変です。まずは子を産むこと。先述の家事の司令塔、そして夫の補佐です。
なんと言っても最大のお役目は出産です。嫡子以外は跡を継げない以上、何が何でも正妻は男児を産まねばなりません。しかし乳児の死亡率も高いですが、産むほうだって命がけです。「結婚商売」の中でもブランシュフォール伯爵夫人と第一王妃が産褥死しています。ビアンカをあれだけ大切に考えるザカリーが極度に心配するのも無理からぬことです。
(実際1人しか産ませませんでしたしね…よほど死なせるのが怖かったんでしょう)
次に家政です。池上正太氏の著書にもこのようにあります。
「奥方は普段から夫の仕事を手伝うパートナーである。召使いや乳母に指示を出し、客人の接待なども行う。家政だけでなく領内の政治にも通じ、夫がダメ領主だったり戦争で不在の場合は率先してこれらを仕切った。武装して自ら城を守った女傑の逸話もある」
ビアンカが情婦(架空)問題にぶち当たった時に言い始めた「政治的パートナー」は、雑学③ヴァンサンの項で取り上げた家令の職務=家政にあたりますが、奥方は家事にも家政にも精通していなければならなかったようです。
そして「夫の留守中には城を守る」これは原作5巻のビアンカの姿に重なります。
こうやってひとつずつ見ていくと、貴族の奥方はスーパーウーマンですね。
貴婦人の余暇は教養の闘い
私たちがよく知る貴婦人の役目もあります。芸術のパトロン、サロンの主宰です。
貴婦人の余暇は教養の闘いであり、領地の教養レベルを左右するものです。
「結婚商売」の作中では庭園管理と乗馬が取り上げられていますが、音楽や狩猟もあります。12世紀頃からサロンの原形が貴族の館に登場しますが、クラヴサン(ハープシコード、チェンバロ)が登場するまで、貴族の楽器の手習いといえばリュートでした。リュートは十字軍遠征によって中近東からやってきたギターのような形状の撥弦楽器で、フェルナンがそうだったように吟遊詩人の商売道具でもありました。ちなみに維持費はお高かったようです…。
また、城内に吟遊詩人や大道芸人、道化師(近世なら芸術家や学者)を招くのは暇つぶしだけではなく、彼らから外部の情報を仕入れ、自分たちの領地を外に宣伝してもらうというマーケティング目的もあったのです。賤民である彼らが貴族に丁重にもてなされたのは、こうした理由があります。
信心深い貴婦人だとチャリティー活動も古くからの伝統です。今でも欧米の方はチャリティーに熱心ですが、もとを辿れば前稿にも出てきた「小さき者を助けよ」「富める者は救われない」というキリスト教の教義に由来する活動です。教会や修道院が積極的にサポートした「神の家」「ホスピタル」(施療院)という慈善施設は貧者や巡礼を支えた重要施設ですが、古代ローマ富裕層の夫人の活動から始まったものと言われますし、この雑学シリーズに度々登場するフランク王国のクロティルド王妃は社会奉仕によって聖人に序列されています。
超気になるビアンカの持参金
さて結婚が商売だというからにはカネの話も避けては通れません。
「結婚商売」ではブランシュフォールがアルノーにもたらした巨額の持参金がたびたび話の推進要素になります。
子牛400匹、豚900匹、銀の皿100枚、絹300反、宝石2箱、そして領地の一部
…これ、貨幣換算したらどのくらいになるんでしょう?
現在の日本円への換算は難しそうですが、宝石と領地を除くとこんなところらしいです▼
牛400頭:188ポンド
豚900頭:135ポンド
銀食器:150ポンド(銀のスプーンが14シリングらしいので30シリングで計算)
絹:180ポンド
<合計>653ポンド
14世紀の男爵の年収が200〜500ポンド、使用人の年収が4シリングという時代です。15世紀後半と考えるともう少し物価は上がっているでしょうが、領地と宝石を除いてさえ結婚当時のザカリーの年収を悠に超えていたことが分かります。総額でアルノーの2年分の予算というのはガチですね。
参考にした下記サイトにもあるように多くのものが自給自足もしくは領主から供給される封建制経済下なので、物価リストだけで貧富は計れませんが、15世紀のトップ弁護士の年収が300ポンド(現在のレートで約5万円)で現代の上位弁護士の年収が2000万円と言われますから、ざっくり400倍で計算するとイメージが湧くと思います。ということはザカリーの年収が3,300万円だったところにビアンカの持参金は宝石と領地を除いても4,300万円以上…ははは…。
で、そのお金はどこへ?
中世という長い歴史の中で、女性の財産権は時代や国によって異なりますが、「結婚商売」における持参金の説明は15世紀後半の制度に即しています。すなわち、持参金は女性が実家から貰う遺産の前払いのようなもので、婚家の管理下に入るものの、死別や婚姻解消の際には返還されるというものです。
しかし回帰前のビアンカはフェルナンとの不倫をウィグ子爵(ローラン兄さん)に咎められ、無一文で領地を追われました。
家事を担うと言っても重労働に従事するわけではなく、刺繍針より重いものを持つこともないような貴婦人が、父も、兄も、弟も、夫も、息子も失って、持参金さえ返されなかったら、いったいどうやって糊口を凌けばいいのでしょう?
ウィグ家を追い出されたザカリーが選択を迫られたのが「神(修道僧)か剣(騎士)か」であるならば、ザカリーと実家を失ったビアンカが迫られたのは「神(修道女)か背徳(売春)か」の選択だったのです。
結果として回帰前のビアンカが生涯を終えたのは修道院でした。
これは厳密には前述の「施療院」かもしれません。ビアンカは「ある修道院に大切にしていた遺物をすべて寄贈してから世間の波風から身を避けられるようになった」と書かれていますが、実際、財産を贈与することで終生の面倒を見てもらえる制度が施療院にあったそうで、身を寄せる人々は献身者、贈与者、神の貧者などと呼ばれていました。
なお、この施設が中世後期に貴族や富裕層を中心に民営化されて役割ごとに再構築されたのが、病院、難病患者の収容施設、孤児院、養老院などです。
次は35話以降の展開に合わせて馬上槍試合と騎士の装束、紋章について調べたいと思います。
中世にタイムワープできたら私は紋章官になりたいです。
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