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豊後竹田・青天の荒城にて ―ハコボタ巡礼 4
⬇️前回(旅準備ではない)
火の国にて
熊本空港から阿蘇の裾へ
2024/06/21(金)いよいよ熊本に向けて出発する。
羽田空港直結駐車場の予約枠を押さえそびれた私は、猫のために有給を取った夫の運転で早朝6時に家を出た。
スーツケースの中は平場の衣服や化粧品類に加え、山用のウェア、トレッキングシューズ、ラップトップでギチギチだ。リュックも一眼レフとレインパーカー、地図、本、折り畳み傘で余裕ゼロ。これに貴重品やスマホを入れたショルダーポーチと、峰咲さんへの土産+武器を入れた紙袋を下げている。もはや家出人の様相だが、ハコボタの中で先生の出発風景を「リゼルが背負ったらひっくり返るような大きさのリュックを手に持つ。当初より旅程が早まったことで防寒装備が減り、重量は多少軽くなっていたし、登山専用の装備は別の荷物だ。そちらは湯布院のホテルに今日発送すべく、集荷の手配をかけてあった。そこはリゼルに任せる。」と書いただけに「そんな嘘でもないな」とほくそ笑む自分がいた。字書きメンタルは恐ろしい……。
ANA側(第2)ターミナル3Fレストランフロアに上がる。うどん屋の行列を尻目に海鮮ひつまぶしを出す店に入り、鯖・鯵のたたき・茗荷のひつまぶし定食をいただいた。
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熊本までは1時間45分。先週買ったラテン語の本に目を通しつつ、途中でコーヒーをいただき、仮眠を取ったらもう着陸だ。沖縄以外はこんなもん。日本は狭い。
到着ロビーでリアル初対面の峰咲さんと合流、挨拶する。
熊本空港での動線は夫から予習済である。ターンテーブルでスーツケースを回収したら到着ロビー正面にあるレンタカー受付に行って札をもらい、レンタカー各社のバンで営業所に行く。大したことのない距離だが、スーツケースをゴロゴロ転がしていくには遠いのだ。
営業所に居合わせた客の多くはインバウンドだった。ふたりで「現代の接客業は大変だ」などと話しつつ、3日間の相棒「ヤリス」に荷物をつっこんだ。
初対面の人と旅行するなど信じられないかもしれないが、ヲタクはそのへん躊躇がない。というか、TLに日常を投下しまくるツイ廃同士、なんとなく人柄が見えているのだ。「たぶん、この人は大丈夫」みたいなやつ。同性だし。
現地は雨。峰咲さんに運転を頼み、印刷してきた初日の地図を確認する。
(取り消し線の箇所は翌日以降に持ち越したやつ)
道の駅 阿蘇(熊本県阿蘇市)
岡城跡(大分県竹田市)
久住ワイナリー(大分県竹田市)やまなみハイウェイ展望台(大分県玖珠郡九重町)九重〝夢〟大吊橋(大分県玖珠郡九重町)
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最初の目的地は30km東の「道の駅 阿蘇」だ。ソフトクリームが美味いとか。それでなくても「道の駅」は主婦は大好きである。
阿蘇に向けては国道57号というバイパスを走るのだが、カーナビの示すルートが峰咲さんの記憶と違うらしい。やがて道は明らかに新しい自動車専用道に入る。どうやら震災で崩れたあたりを迂回するようだ。「そういえば新しい道ができたと人づてに聞いた」と地元話を伺いながら走ること1時間。阿蘇に入り、「高菜飯」「だご汁」の看板を掲げる店が通り沿いに現れる頃、空が青くなった。
👘⚖️「晴れたよ?!」
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「道の駅」で高菜炒めを3種類、阿蘇霧島の紅茶を買い込む。ここに主婦が出る。
この時点で既に正午だ。旅館の夕食は18時開始固定。先を考えると今なにか食べた方がいいのではと、赤牛の炭水化物(ローストビーフおにぎり、天むす)を外のテーブルで食べる。阿蘇山をバックに天気雨が時折舞った。
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ここで私に運転交代。豊後竹田にある国指定史跡「岡城跡」に向かって引き続き57号を東へ進む。
メインの豊後国へ
夏至の午後に荒れ城を登る
岡城は瀧廉太郎の「荒城の月」で有名らしいが、私のような世界史専は知識がない。それにハコボタには出していないので本来スルーでもいいのだが、瀧廉太郎といえば近代日本における西洋音楽の礎を築いた一人である。人生で当地を訪れることが再びあるかわからない以上、クラシック好きとしては見逃せない。
さて行ってみると結構な高所で、麓からグングン坂を上る。平日午後の道は静かで、この先に観光場所があるのか疑いたくなる風情だ。おまけにいつ造られたのかわからないような謎デザインのビジホがある。
👘⚖️「なぜここにこんな風情のビジ……ビジホ?!」
(撮れば良かった)
駐車場に車を停めて入城料(300円)を支払うと、窓口の方からルートを教えられるのだが、
登りのきつい場所がある
本丸コースなら45分くらいだが、全部見たら1時間半くらいかかる
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とりあえず石垣が立派である。建物は何一つ残っていないのに、断崖絶壁に聳える石垣は一目で堅牢ぶりを感じさせる。
実際「最強の石垣」の呼び声高く、これまた大友の系譜の志賀氏が城主だった時代には島津の大軍が諦めて撤退していったとのこと。この高さだし、上がってくる側は堪ったものではあるまい。その後城主が中川氏に移り、時代が飛んで明治に「廃城令」が出ると競売にかけられ建物は破却された。そして石垣のみが残り、荒地になった。
島津でも地震でも雷でも火事でも親父でもない。怖かったのは競売なのか……。
本丸跡へ上がると、そこは「天空の城ラピュタ」に出てくる園庭のようだった。どこかにあのロボットが隠れているのではないかと思うほど、草は蒼く、空は高く、時折鶯が鳴く他は音もない。
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「荒城の月」、考えてみたらかつての栄華を偲ぶ歌なのである。小学生の時はわけも分からず覚えたが(いや先生は教えてくれたかもしれない)、土井晩翠と瀧廉太郎が特に面識もないのにお互いに地元の城跡、そして奇しくも富山城という共通の着想を得て完成した楽曲というところがドラマだ。
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神社の天井を撮りまくる
すいません癖です。
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黒竜がいるだの、天神様だから白梅と鶯があるだの、ふたりでキャーキャー言いながら資料写真を撮りまくったり、猫神籤をひいたりしていたら蜂にチクリと刺された。
(この少し前にも自宅でアシナガバチに刺されている)
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このあと、話の流れで震災当時の仰天話をいろいろ伺いながら右の外周をまわり、再び本丸跡から左へ進んだのだが…。
👘「ブーツの踵が埋まるー!」
さすが荒城跡。順路がないというか、建物跡はおしなべて土+下草なのだ。
私もスニーカーとはいえレザーの白である。おまけに馬鹿っ晴れの下、ワンピースに生脚だ。日を遮るものなどない。朝5時半に塗った日焼け止めなど肌荒れこそすれなんの効果もない。
それぞれがそれぞれの事情で「こんなん聞いてないわ!!」と怨嗟の声を上げつつ、それでも進む。
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西の丸跡からは阿蘇、竹田の旧城下、そして九重連山が一望できた。
城下に下りると目の前に豊後竹田駅が現れた。先生の旅の最後、特急に乗る駅である。見られないと思っていたから一瞬とはいえ嬉しかった。
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こんなことをしていたら時間が溶けるに決まってるわ!
我々はワイナリーも展望台も諦め、一気に九重連山を北上することにした。
(まだ初日の午後!続く⬇️)