フランス貴族の爵位━「結婚商売」にまつわる雑学①
設定考証は一通り終えたので、ここからは中世フランスの身分制度や文化的な背景を自分の興味分野を中心に探っていきたいと思います。
最初はフランス王国で使われていた爵位に関してですが、とっても長いので2回に分けます。
まずこの稿では爵位の名称と格付けに関して「結婚商売」のエピソードを交えながらまとめました。
「貴族の呼称はなんとなく知ってるけど違いは正直ようわからん」という方は本稿から読んでください。
逆に「爵位の呼称も格も知ってるからもっとオタク的な話しろよ」という有り難いメンタルの方、「爵位ってヨーロッパどこも同じじゃないの?」「そういえばどういう成り立ちなの?」と疑問がある方は斜め読みしていただき、ページ下のリンクからとっとと②へ進んでください(笑)。
ヨーロッパの身分制度はローマ帝政の軍事制度に由来
▼ざっくりした変遷
ローマ帝国時代の地方管理制度(主に辺境の防衛を担う司令官)
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中世初期にフランク王国が防衛システムとして継承
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中世盛期に荘園と封建と合わさって現在のイメージに近くなる
中世後期〜絶対王政時代の爵位(フランス)
筆者が「結婚商売」の舞台と推測している15世紀(ヴァロワ朝)、そのあとの絶対王政(ブルボン朝)で使われた爵位を挙げます。いわば早見表です。
●上位3身分
②で後述する長い歴史に由来を持つ諸侯(上級貴族)です。地方防衛の軍司令官に端を発し、領地の統治権を持つことは共通ですが、出自や規模が異なります。
・公爵 duc(デュク)…王家の親戚、または辺境の伯爵が自称し定着
・侯爵 marquis(マルキス)…伯爵のうち特に重要な辺境に領地と軍備を持つ
・伯爵 comte(コント)…地方に領地と軍備を持つ
※手塚治虫先生の「リボンの騎士」に出てくるゲジゲジ大公(彼は王様のいとこ)でおなじみの「大公」(prince)はナポレオン帝政期にのみ存在。
日本語訳の発音が同じ、しかも漢字から意味が推測しづらいゆえに日本人が混乱するのが「公爵」と「侯爵」です。
「公爵」は土着の有力世襲者か、重要な地方に封じられた王家の親戚筋に与えられた称号で、フランスの爵位としては最高位です。
一方「侯爵」の語源はゲルマン語の「辺境+伯」で、国境付近の防衛にあたっていた伯が名乗り始めて定着し、最終的にmarquisという爵位になったものです。公爵と違い、王家の血筋は関係しません。
ちなみに「フランスに辺境伯はいない」という説明は時代によっては誤りです。絶対王政時代の説明としては正しいですが、中世終わりまではフランスであってもmarquisは「侯爵」ではなく「辺境伯」と訳すのが自然じゃないの?と個人的には思っています。
「結婚商売」の原作2巻でも、ビクトル王の在位 50周年祝賀行事とアルベル王子の婚約祝いのため、辺境伯を除く国中の貴族が首都ラホズに召集されたという記述があります。そのくらい辺境伯が担っていた防衛ラインは重要であり、そこを治めていた貴族は伯爵より高位になっていくのです。
※とはいえ「結婚商売」では辺境伯の軍事力がアテにならないのでザカリーが最強の騎馬隊を率いて毎度出征するんですが。
●下位2身分
上位3身分と異なり地方統治権の歴史に直接関係しないのがこのふたつです。
・子爵 vicomte(ヴィコント)…言葉の成り立ちとしては副伯、準伯のほうが適切
・男爵 baron(バロン)…自由民に語源を持つ王の直臣
まず子爵ですが、vi-comteを正しく訳すのであれば副伯、次の伯となります。
もとは諸侯(伯爵以上)の嫡男が世襲を待つ間に名乗ったものとされますが、親が存命のまま領地分けしたりなんだりで、結局そのまま小さな領地を世襲している弱小貴族のようなイメージでおおむね合ってると思います。
男爵に至っては王の直臣として、騎士階級から封建領主の仲間入りが認められた程度です。
ビアンカの乳母ジャンヌがアルノーを「子爵家の次男がまとめる男爵家なんて」とあからさまに馬鹿にした理由はここにあります。
●貴族ではないが一定の地位がある
・騎士 chevalier(シュヴァリエ)
騎士は貴族ではありませんが、叙任式を経て軍人として認められると一定の地位を得られ、次の代もガスパルのように騎士になることが多いので、自由民や農奴に比べると安定した家柄でした。
ビアンカが「(貧しい生まれの)イボンヌにとってガスパルとの結婚は悪くない」と評したのはこのためです。
次稿🔽はバリバリ歴史のお勉強です。
諸侯の最古の爵位「公」と「伯」はなぜローマ帝国に由来があるのか?
そして荘園領主はなぜ武装集団なのか?
といったお話です。
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