ハナちゃん ハワイへ行く #3
⛵️Sailing 3:ハナちゃん ハワイで考えた
Try everything !🤙
留学先のハワイでは、日本で朝から晩まで働いていたことが信じられないくらい、
毎日の生活が一変した。
不安が3割、期待が7割。目に映るすべてのものが新鮮だった。
ハワイ大学の語学学校に通いながら大学院に行った。図書館で勉強したり、ボランティアに参加したり。幼稚園や小学校、高校の授業見学に毎週のように訪れた時期もあった。
母が言っていたように、こんな機会は人生で滅多にあることじゃない。
二年間という時間を有意義に過ごさなくては!
私は母から3Gと言われたぐうたらな性格を封印し、たくさんの人々と出会う機会を積極的に作った。ハワイの文化や価値観を知ろう、自分の経験値を増やそうと、色々なことにチャレンジした。
そのひとつが、日本語クラスでのボランティア。
毎週土曜日にハワイ大学構内では日本語クラスが開かれる。私は日本語を勉強している生徒の話し相手になったり、日本文化などを紹介した。
生徒といっても年代はバラバラ。老若男女、様々な人たちと知り合えた。日本文化を紹介することは自分自身が「日本再発見!」する良い機会にもなった。
授業の後には、何人かの生徒たちが残って、今度は逆に英語のボランティアをしてくれた。
ホスピスのボランティアもした。そこで暮らしているお年寄りの方々の話し相手になったり、食事の準備を手伝ったりした。
ハワイなので日本人や日系人の方も多く、私とは初対面なのにとても懐かしがってくれた。昔話を聞いていると、なんだかとても切なくなった。目の前にいるこの人達は、一体どうやって戦後のハワイを生き抜いてきたのだろうか。きっと壮絶な人生を歩んでこられたにちがいない。
ハワイでこうして今、日本人が平和に暮らしたり観光に来たりできるのは彼らのおかげだと思うと、心の中で手を合わさずにはいられなかった。
私が二年間で経験したことは、良いことも悪いことも、ここではとても書き尽くせないが、日本に居続けていたら、どれも経験できなかったことだ。
あの時、「チャンスの神様は前髪しかない!」と私の背中を押してくれた母に、
心から感謝している。
私は典型的な日本人
最初はなかなか英語を話せなかった。
日本人特有の「完璧じゃないと恥ずかしい。恥ずかしいくらいなら、黙っている方がマシだ」という考え方が、脳みそに染み付いていたのだろう。
子どもの頃から小心者で、自己主張が苦手だったというのもある。
一般的に日本人は、受験勉強に必要な英語の「読み・書き」は得意だが、「聴く・話す」は不得意だと言われる。
私も例外ではなく、全くその通りだった。
人とコミュニケーションをとるのに大切なのは「聴く・話す」なのに。
「私って典型的な日本人だな」とよく思ったし、落ち込んだ。
知り合いができても、リスニングに自信のない私は「間違えて答えては大変だ」と思い、念のためにとよく聞き返した。
すると相手からは「あまり英語が分かっていないんだな」と思われるようになり、その後の会話がテンポよく続かなくなってしまった。
そんな経験が何度か続き、私は気づいた。とどのつまり、自分に自信がなかったのだ。だからもう聞き返すのをやめた。
Dr.Jとの出会い
教育業界で長年働いていた私にとって特に勉強になったのは、ワイキキ小学校によく見学に行かせてもらったことだ。私は職場の知人の紹介で出会ったI先生夫妻のおかげで、ハワイ大学大学院のジャクソン博士と出会い、二年間大変お世話になった。
博士は日本の教育関係者も注目している、P4C(Philosophy for Children 子どものための哲学)のハワイ版を考え、提唱された方だ。
私が滞在中にも、たくさんの日本からの見学者とお会いした。主には学校関係者で、教科書を作成しているという方もいた。
日本では東日本大震災の後、仙台の小中学校を中心に広まったそうだ。
博士のトレードマークはハンチングハット。
みんなからはDr.Jと親しみを込めて呼ばれていた。
笑顔がこれでもかというほど優しくて、私は思わず祖父を思い出した。
あんなに素敵な笑顔の人は、なかなかいないと思う。
子どもが大好きで、純粋な心をもっている人だけができる、とびきりの笑顔だ。
私は彼のおかげでワイキキ小学校の幼稚園クラスから小学校クラスまで、様々なクラスを見学させてもらった。
エールをありがとう
留学に行ってすぐの頃、スイス人のクラスメイトがこんな言葉をかけてくれた。
「ハナはサーフィンはできる?僕は全然できなかったけど、ハワイに来てから練習して、少しずつできるようになったよ。英語も一緒だよ!最初は誰だって初心者なんだ。間違えてもいいから、どんどんトライした方がいいよ!がんばって!」
彼は20代で、私よりもうんと若かった。そんな年下に励まされて、「なんだか私って情けない…」と思ったが、エールをくれたことが嬉しかった。
大学院に行き出してからは、今でも忘れられない授業がある。
私が参加していたDr.Jのクラスは生徒の6割が社会人で、ほとんどが現役の先生や、先生を志望している人達だった。
みんなとてもパッションがあって、授業中の発言は興味深く、日本にもこんな風に様々な分野の先生達が集えるコミュニティがあれば、夢や悩みを共有でき、もっと働きやすくなるのではないかと感じた。
私にとってこの授業に参加できたことは、とても貴重な経験だった。
その日は学期の最終授業で、一人ずつ授業を受けた感想を述べた。
みんながDr.Jやクラスメイトにとても感謝していると言っていたことが印象的だった。
次はいよいよ自分の番だ。私は少し緊張しながら感謝の気持ちを伝えた後、
「みんなともっとたくさん話せるように、英語をもっともっとがんばって勉強しておけばよかった」
と言った。
すると幼稚園の先生をしているナラが突然、クラスのみんなに語り始めた。
「3カ国語を話せる人を何て言うんだっけ?」
「トライリンガル!」
「2カ国語を話せる人は?」
「バイリンガル!」
「じゃあ1つの言語しか話せない人は?」
「モノ?」
とみんなが答えると、彼女はすかさずこう言った。
「それが私達アメリカンよ!ハナは英語がうまく話せないと言うけれど、私達は英語しか話せない。だからあなたが英語で私達と話してくれることに、とても感謝しているわ」
あの時のことを思い出すと、今でも泣きそうになる。ベトナムや韓国から来ていた留学生達も、皆とてもうれしそうだった。
相手のことを思いやってくれる、素晴らしいクラスメイトだ。
そしてそんなクラス環境を作り上げたDr.Jは、やっぱり最高の先生だと思った。
あの日のクラス風景は、きっと一生忘れない。
Dr.Jから学んだこと
学生時代、就職活動前に、作文の書き方を学ぶ講座を受講したことがある。
毎回お題が出され、作文を書き、その場で添削してもらう。作文のタイトルは忘れてしまったが、意見の相違の大きな社会問題についてだった。
ある時、賛成意見を書くか、反対意見を書くかでとても悩んだ私は、正直にそう書いた。なぜなら、どちらの意見も理解できたからだ。この点では賛成だが、この点では反対・・・。あなたなら、どう思いますか?と。
すると、私の作文を読んだ先生は、顔をしかめながらこう言った。
「賛成か反対か、どちらかに決めなさい。そしてその決めた方の結果になるように、文章を導いていきなさい。でないと中途半端で作文が成り立たないよ」
私は、ウソは書きたくなかった。
この先生の言うことが間違っていないことは分かる。でも、どうも納得がいかなかった。思ってもいないことを、なぜ書かなければならないのだろう。
結局、その講座は行かなくなってしまった。
それ以来、時折思い出しては、ずっと疑問に思いつづけてきた。
物事って白黒ハッキリさせないとダメなのかな?グレーゾーンはダメなのかな?
むしろグレーゾーンの中にこそ、大切な何かがあるような気がするんだけどな。
その答えのヒントは、Dr.Jが教えてくれた。
大切なことは、何が正しいのか答えを出すことではない。
自分の頭でちゃんと深く考えること。そして、自分とは違う価値観を持つ人々の意見に耳を傾けることだ。
AかBか、じゃない。AもBも、なんだ。
学校のテストの結果や受験勉強が重視される世の中では、私達は時として大切なことを見落としてしまう。
Dr.Jは授業中、クラスの中でSafetyな環境を作り出すことを大切にしていた。
自分の意見が批判されたらどうしよう、差別されたらどうしよう、と思うような環境では、自由にのびのびと本音を言えるはずがない。うわべだけの意見交換になってしまう。あるいは、意見を言うことすらしないだろう。
きちんと人の意見を聞き、それを受けとめよう、理解してみようとすること。
安心して話し合える環境を作る努力をすること。
独りよがりな意見にならないために、色々な価値観の人と話し、意見を共有し、見聞を広め、自分の考えをアップデートする柔軟な思考回路をもつこと。
でも残念ながら、今の世の中では、これとは正反対の現象が起きているように思える。違う意見を言おうものなら、仲間外れにされたり、陰口をたたかれたり。ネット上では顔も名前も分からない人から容赦ない攻撃を受けたりする。あげ足を取ってやろう、アラ探しをしてやろうと必死だ。
こんな環境の中で、本音を言えている人が一体どれだけいるのだろうか?
もちろん、人間は神様仏様ではないのだから、全ての意見を理解することなんて不可能だ。
でも、人の意見を聞いてみよう、相手の立場に立ってみようとすることが大切で、それで理解できなかったとしても、自分とは異なる価値観や意見があるということを知ることが重要なのだと思う。
レディファーストは親切心?それとも社会的習慣?
あるいは女性差別❓
ハワイでは、レディファーストが主流だ。
ある日の昼下がり、私はアラワイ運河沿いを散歩していた(夜は危険)。
一人でテクテク歩いていると、カナダから観光に来たおじいさんに話しかけられた。とても気さくな人で、お互いに歩く方向が同じだったので、しばらく運河沿いをおしゃべりしながら歩いた。
私が車道側を歩いていると、
「君は内側を歩きなさい。男性が車道側を歩くんだよ。女性を守るためにね」
と、彼は微笑んで言った。
どう考えても私の方が体力がありそうだし、アクシデントが起こったとしても私の方が彼を守れるのではないかと感じたが、お年を召されてもレディファーストだなんて、なんてジェントルマンで素敵なおじいさんなのだろうと思った。
こんな体験談を書いていると、私がまるで欧米のレディファーストを賞賛しているかのように思われるかもしれないが、もともとそんな風には思っていなかったし、今も100%そうだとは思っていない。
ある時、語学学校のクラスメイトだった20代、30代の日本人男性と話していると、こんなことを言い出した。
「レディファーストなんて、日本男児はするべきではない。重い荷物をわざとらしく持ってあげたり、車のドアを開けたり、車道側を歩いたりするのは、うわべだけの行動で誰にだってできるよ。日本人男性は心の中で女性をリスペクトしているんだから、それでいいんだ。それが本当のレディファーストだよね」
うーむ。これは以前、別の日本人男性も言っていた。
私より若い世代でもこんな考え方をするのかと驚いた。
誰にだってできるんだったら、やったらいいんじゃないのかな。心の中で思っているだけだったら、相手に伝わらない。行動で示すべきじゃないのか。
私には「やらないことへの言い訳」にしか聞こえなかった。
それは、ハワイに来て色々な場面で日本人男性の不親切さに遭遇したからだ。
私はある日、ワイキキのショッピングモールへ出かけた。
1階からエレベーターに乗っていると、2階でドアが開いた。そこには日本人男性三人組と大きなベビーカーを押した女性が待っていた。日本人男性はさっさとエレベーターに乗り込み、何やら夢中で話し続けている。その後から女性は入って来た。
ベビーカーが大きくてなかなか中に入ることができなかったので、エレベーターに乗っていた白人男性がドアを手で押さえてあげたり、床の段差を乗り越えるのを手伝ってあげたりしていた。
私は開ボタンを押していたのだが、その光景を見て「うわ、この三人組、完璧に無視してる。きっとこの二人も内心思っているんだろうな」と恥ずかしかった。
その建物は3階建てで、次の階で私たちは全員降りた。日本人男性三人組はさっさと出て行ってしまった。白人男性は最後まで手伝ってあげていた。
私は、この三人組が30代前半くらいの、一般常識のありそうな社会人だったので、なんだか余計にショックだった。こんな基本的な気づかいもできないなんて、日本人って一体どうなっているのだろう。
日本はおもてなしの文化だと言われているが、それは特別な状況下でのことだと思う。日常生活の中では、残念ながらそうは思わない。
ハワイの方がよっぽど親切だし、暮らしやすい。
街中を歩いている時にもよく感じた。
ハワイでお店に入る時には、ほとんどのアメリカ人は後ろに私がいると、ドアを開けて待っていてくれる。
私が「Thank you.」とお礼を言うと、「My pleasure.」「No problem.」と笑顔で答えてくれた。
ちょっとしたやりとりだったが、心がほんわかしたものだ。
でも、日本人の場合は、後ろに私がいても完全無視だ。見もしない。まるで私は存在していないかのようにドアを閉めて行ってしまう。目の前にせまってくるドアを見ながら、私は「あ〜あ」とよく思ったものだ。
ただ、興味深いことに、アメリカではレディファーストが男女平等の妨げになっていると考える人もいる。ドアを開けてもらったりするのは、自分が弱者だと思われているからだ。私は弱くない、男性と同じくらい強いんだから、そんなことをしてもらわなくても結構です、という考え方だ。
なるほど、一理あるのかもしれない。でもこれを聞いた時、私はニュースで見た、日本の老人の話を思い出した。
電車の中で座席に座っていた学生が、立っていた老人に席を譲ろうと声をかけたところ、「私は老人じゃない!」と逆ギレされた話だ。
レディファーストって、何だろう?
夫に聞くと、「社会的習慣」と言っていた。もう、アメリカ社会全体がそういう風にできているらしい。
でも、相手に対する親切心がなければ、いくら社会的習慣でも、やらない人はやらないんじゃないのかな。
レディファーストは、単なる社会的習慣?それとも他人への親切心?あるいは女性差別?
私には何が正しいのかなんて答えは分からない。
でも少なくとも、他人へ親切にすることは、社会みんなが優しくなれる、いい行為だと思う。
日本には、昔から「お先にどうぞ」という素敵な言葉がある。
これは女性も男性も関係ない、相手を思いやる言葉だ。
レディファーストが女性差別だとするならば、日本人は「お先にどうぞ」の精神をいまいちど思い出して、このギシギシとした閉塞感でいっぱいの社会を、ゆとりある柔軟な社会に変えていけないものかと思う。
そういえば、ハワイでドアを開けて待っていてくれたのは、女性もだったな。
ドルフィンスイムと日本社会🐬
私はイルカが好きで、二十代の頃からドルフィンスイムツアーに何度か参加したことがある。そんなわけで留学2年目の夏休みには、
「ドルフィンスイムに行きたい!大好きなイルカと一緒に泳ぎたい!!」
と思い、ハワイ島のツアーに参加した。
そこで、日本人ガイドのDさんと出会った。彼の出身地は偶然にも私の住む隣町で、親近感がわいた。
彼はイルカが大好きで、会社を辞めてハワイに来たらしい。テレビで何度かツアーが紹介されたそうで、有名人と一緒にドルフィンスイムをしたことがあると教えてくれた。
Dさんは不思議な能力をもっていた。
人間なのに、イルカの気持ちが分かるのだ。
イルカの声を聞いただけで、機嫌が良いのか悪いのか、人間に近づいて来て一緒に遊んでくれるのか、そうでないのかが分かるらしい。
イルカの顔を人間のように識別することもできる。
私にはどれも同じイルカに見えるのに。
その日のツアー客は全員で10人だった。私たちは船に乗って港からしばらく移動した後、ある地点で海の中に入った。彼はそこからみんなをイルカのいる場所まで泳いで連れて行ってくれるという。
私は周囲を見渡しても、どこにイルカがいるのかさっぱり分からなかったのだが、Dさんは、
「こっちにイルカがいる!」
「ここで待っていて下さい。そしたらイルカが来るから!」
と言う。
私は最初、「ホンマかいな?」と思っていた。
だって周りにはイルカなんて見あたらない。
海の中も上も、見渡す限りどこにも。
でもしばらくすると、彼の言ったとおりに、広い海のどこからかイルカたちがやって来る。それが一度ではなく、何度も。
だから私は、彼は絶対に不思議な能力をもっていると思った。
イルカとテレパシーでつながっているんじゃないのかな。今まで参加したツアーでは、イルカに出会えるかどうかは運次第だったのに。
彼のおかげで、私はその日、たくさんのイルカと出会うことができた。
水面に浮かぶ葉っぱを見つけて口にくわえ、水中に持って行って遊んでいるイルカ。数頭で楽しそうに何回もジャンプして遊んでいるイルカ。
海の中に潜ると、イルカの話し声があちらこちらから聞こえた。
こんな日はめずらしいそうだ。ラッキー!
ドルフィンスイムが終わり、帰りの車の中で、彼は最後の乗客である私に面白い話を教えてくれた。
そのツアーでは朝、ホテルまでお客さんを車で迎えに来てくれる。Dさんは車の中で、その日のお客さんの雰囲気を感じて、今日はイルカに会えるのか、会えないのかが分かってしまうそうだ。
ハワイにバカンスに来てすぐにツアーに参加する人は、まだ日本社会の重苦しい雰囲気をそのまま背中に背負っている。それがイルカに伝わると、なかなか近くまで来てくれないらしい。
人間同士だって、眉間にしわを寄せた怖そうな人がいたら、近づこう、仲良くなろう、一緒に遊ぼうなんて思わない。イルカも同じなんだそうだ。
私たち日本人が背負っているものとは、一体何だろう?
精神的にも肉体的にも過酷な受験や就活。やっと乗り越えたとしても、待っているのは学校や会社での複雑過ぎる人間関係や、目に見えない同調圧力。
そして婚活、妊活、果ては終活。一体どこまで続くのか。
SNS上に毎日受け止めきれないほど溢れている情報や、それにまつわる異様なまでのバッシング等もそうに違いない。
知りたくもないのに、勝手に目や耳から入ってくる。気づかないうちに、かなりのストレスになっているはずだ。
他にも考えられる要素はたくさんある。私達ひとりひとりが抱えている日本社会の息苦しさは、想像以上に過酷だ。
それらがハワイの海に入って少しずつ癒され、和らいでくるツアー後半になると、イルカが少しずつ近づいて来てくれるようになるそうだ。
それを聞いた私は「めっちゃ分かる・・・」と納得した。
私はその日の朝、車に乗る時に「おはようございます!」とツアー参加者にあいさつをしたのだが、誰も返事をしてくれなかった。
車内は港までの一時間、シーンと静まりかえっていて、落ち着かなかった。
話しかけてもほとんどの人が答えてくれず、会話が続かない。
参加者の中には家族連れもいたが、家族同士でもほとんど会話がなかった。
私は仕方がないので、助手席に座っていたツアー会社の人と話していた。
しかしツアー後半で、みんなと会話ができるようになったのだ。話してみると、親切で優しい人達ばかりだった。
ハワイに来てつくづく感じたのは、日本社会はとても大変なんだということ。
日本にいたらあたりまえ過ぎて気づかなかったが、みんな顔色が青白くて血の気がない。表情も乏しい。エナジーも感じない。
だからハワイにやすらぎを求めて、バカンスに来るのだろうと思う。
日本から背負ってきたもの
私はハワイで過ごしているうちに、日本から背負ってきたたくさんのいらない荷物を、ずいぶんと整理できたように思う。
それまでの人間関係や仕事への考え方、恋愛観、結婚観など。つまりは人生観だ。
たとえば、日本にいた頃、散々悩まされた結婚観。ハワイで仲良くなった人達と結婚について話していた時に、なにげなく、
「私はもう40歳だから、相手を探すのがむずかしくて・・・」
と言うと、決まって彼女達からこう言われた。
「何言ってるの!年齢なんか関係ないよ!」
「ハナは、結婚しないといけないっていう考え方からぬけ出した方がいいよ。女性は30歳や40歳になったら結婚できないっていう考え方も、捨てた方がいい。
日本はそういう意味で、歳をとると本当に相手を見つけにくい国だよね」
日本では、首や肩が凝り固まってギュウギュウ、物事の見方も凝り固まってギュウギュウだった。
ハワイに来て色々な価値観をもつ人々と出会ったおかげで、それまで当たり前だと思っていたことが、そうではないことに気づかされた。
新たな視点から物事を考えられるようになったことは、人生の可能性を広げる大きな収穫になったと思う。
日本人女性が結婚したがるのにはワケがある
ハワイで出会ったSさんは、Dさんとはまた違った不思議な能力をもっている人だった。色々な人達の人生相談にのっている人で、結構有名らしく、日本の芸能人のお客様もいる。
私は彼からこんな質問をされた。
「日本人の女性はすごく結婚したがるよね。でも、『自分にとって人生最高のパートナーに出会いたい!』というよりは、『とにかく早く結婚したい!一刻も早く結婚するにはどうしたらいいか?』とよく相談されるよ。
だから彼女達に質問するんだ。『ただ結婚をしたいのか?それとも良い結婚をしたいのか?』ってね。どうしてみんなそんな風に思うの?」
私はうまく即答できなかった。う〜む、日本にいた頃の自分のような気がする。
結局、単純な話だ。年齢至上主義の日本では、女性は年齢を重ねるにつれて少しずつ女性としての価値が下がっていき、結婚することが難しくなる。
そのような女性を皮肉った「売れ残り」「行き遅れ」という言葉がいまだに普通に使われており、今の日本社会のあり方を表していると思う。
仕事や趣味など、自分の価値を「女性であること」以外にもっていればいいのだが、多くの女性は自分にそこまでの自信がない。
だから女性としての価値がある(とされる)若い間に、結婚しなければと思ってしまうのだ。
日本社会では悲しいことに、今でも「結婚できない女」=「女性としての価値が低い女」という図式が成り立っているように思う。
周りから「価値が低い女」だと思われたくない。
だから多くの女性は、年齢を重ねるにつれて、とにかく早く、一刻も早く、結婚したいと思うようになってしまうのだろう。
結婚することで、自分の存在価値を保っているのだ。
自分でも頭の中では「こんな考え方はとっくに時代遅れだ。バカバカしい!」と分かってはいる。
「自分は自分。人は人」だと信じてもいるし、自分らしく生きていきたいとも思っている。
でもやっぱり、いまだにこんな時代錯誤な価値観が日本には根強く残っていて、人生をふりまわされてしまっている女性は多いと思う。
私がそうだったように。
カラフルな世界🐠
ある日、住んでいたコンドミニアムのエレベーターに乗っていたら、知らない女性に話しかけられた。
彼女は私の水色のスニーカーとカバンを見て、
「とてもキレイな色ね。あなたによく似合っているわ!」
と褒めてくれた。その日は一日中、彼女のおかげで気分が良かった。
ハワイに来て、自分自身で目に見えた変化は、黒い服を着なくなったことだ。自由でのんびりとしたハワイの太陽の下では、キレイな色がよく似合う。
私は海のようなエメラルドグリーンや、夕日のようなオレンジ、赤、ピンクをよく身につけるようになった。
特にピンクは、子どもの頃から抵抗があった色だったので、自分でもとても驚きだった。
以前、何かのテレビ番組で、その時に惹かれる色は、その人の今の深層心理を表していると言っていた。色と心はつながっているらしい。
ハワイの海に癒されて、私の心は無機質な黒からカラフルな色へと変わったのだろうか。