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ハナちゃん ハワイへ行く  #1

⛵️Sailing 1:ハナちゃん、年齢至上主義の嵐に立ち向かう


とどめの一撃男🌊

2011年の秋の出来事だ。
長年シングルだった私は、毎日朝から晩まで仕事に明け暮れていた。
やみくもに婚活をしていた時期もあったが、あの頃は完全に自分自身を見失っていて、そんな私に婚活などうまくいくはずもなく、
気がつけばあっという間に36歳になっていた。

家族は私が結婚することを、もうすっかりあきらめていた。
私もあきらめていた。『結婚なんてもういいや!』と思っていたのだが、
ある日突然に紹介話が舞い込んできた。

相手は父の友人からの紹介だ。知人の息子さんらしい。私より1つ年下で、高学歴の自慢の息子だという。
私はちょっと期待した。
ところがどっこい、彼はとんでもない史上最低の男だったのである。

彼とは神戸で会うことになった。待ち合わせの三宮駅で会ってすぐに、
「何歳?」
と聞かれた。ビックリしたが、
「36歳」
と素直に答えると、

「ヤバ!36歳?マジで?
結婚したいんやったら、俺が最後のチャンスやん!もう後がないな」

と言い出した。
私は「なんて失礼な男!」と思ったが、父の友人からの紹介だったので我慢した。
口は悪いけどあけっぴろげな裏表のない、いい人なのかもしれない。

しかしそんな思いも虚しく、しばらくして彼はこう続けた。

「結婚したいなら式の費用とかは全部そっちで払ってな。
無理なら親に出してもらったら?
俺は仕事独立したばっかりでお金ないし、俺の親もお金ないから」

私は耳を疑った。

『36歳=結婚を焦っている女=結婚費用を本人か親が全額負担するだろう』
と思われたのである。
なんてこった!

すぐに断るのも失礼かと思い、その後も2回ほど食事をした。
せっかく紹介してくれた父の友人への気遣いもあったが、それよりも、そんな考え方の男性がいまだにいると信じたくなかったのである。

しかし会えば会うほど、彼がとんでもなくひどい男だということが分かった。
こんなことを言われたのである。

「子どもはうるさくて嫌いだから、結婚しても子どもはなしね。どうせ年齢的に不妊治療しないとダメでしょ。俺は協力する気ないし。お金と時間の無駄無駄!」

私は内心、「36歳での紹介話って、こういうケースが待ち受けているのか・・・」と思った。彼は子どもが欲しくないから36歳の私とまた会う気になったのだろうか?

もちろん年を重ねてからの紹介話でも、いい人だっているに決まっている。
でも私が出会った人は、史上最低の男だった。

彼は有名な国立大学の出身で、私から見ればうらやましいほどの学歴の持ち主だったが、トップクラスの大学には入れなかったコンプレックスをいまだにもっているようで、私には劣等感の塊のように思えた。

大学なんてとっくに卒業しているのに、彼との会話の中ではしょっちゅう大学名が登場した。私の知人が超難関高校から京都大学医学部にストレートで入学したことを知ると、レストランで食事中だったにもかかわらず、目の色を変えて友人たちに電話し、どんな人物かをリサーチし始めた時にはドン引きした。

私が無意識に地雷を踏み、彼の劣等感を刺激してしまった時には、神戸の商店街の真ん中で大声で罵られた。私にはわけが分からなかった。
まわりの人達に何事かとジロジロ見られて恥ずかしかったことを覚えている。

とても腹立たしかったが、だんだんと彼が気の毒に思えてきた。
子どもの頃から受験勉強ばかりしてきたのだろうか。
仕事を独立したのも、会社で人間関係がうまくいかなかったからだと言っていたが、健全な人間関係の作り方が分からないのかもしれない。

私は平凡な学生時代を送ってきたが、他人と競争し蹴落とすことしか考えられないような人間にはならなくてよかったと思う。
劣等感から他人と比較ばかりし、プライドを傷つけられたと感じたら、相手を理論口撃して満足感を満たそうとする。そんな男性と結婚なんてしてしまったら、私の残りの人生真っ暗である。

あたりまえだが、彼とはその後、会わなくなった。
もう紹介話なんてこりごりだ。


大学時代のクラスメイト🍻

私が社会人になって2、3年が経った頃の話だ。
久しぶりに大学時代のクラスメイトたちと集まることになった。  
その日は蒸し蒸しとした暑い夏の夜だったが、なつかしい友人たちと再会できるとあって、私は待ち合わせの居酒屋へとワクワクしながら向かった。

集まったメンバーの中に、意外な顔があった。あまり親しくしていなかったO君だ。卒業後、銀行に勤めていると聞いてはいたが、それ以外の情報を私はほとんど知らなかった。

乾杯をした後に近況報告をしあい、楽しいひと時を過ごしていたのだが、O君は酔っ払うと、前の座席に座っていた私にむかって信じられないことを言い出した。

「俺の会社の同期が、今度31歳の女と結婚するねんて。どう思う?女の方が年上でしかも31歳!オバさんやん。俺には信じられへん!」

今から随分と前の話だが、世間ではとっくに男女平等が謳われていた時代だ。
私はどちらかというと穏やかな性格だが、お酒が入っていたこともあって、
この時ばかりはカチンと頭にきた。彼と言い合いになったが、隣に座っていた親友がケンカになる前に止めてくれた。

お店を出た後で親友から、
「ハナちゃんあの時、目の奥がキランと光ったで!まるで獲物を見つけたタカみたいな目をしてた!」
と言われた。私たちは思わず目を見合わせて、フフフッと笑った。

私は自分のかつてのクラスメイトの口から、女性をバカにした言葉があたりまえのように飛び出したことが信じられなかった。
日本の男女平等社会の闇を垣間見たような気分だった。


日本は年齢至上主義

私はハワイに2年間留学していたが、自分から年齢を言ったことはあっても、質問されたことは一度もなかった。
不思議に思ってアメリカ人の夫に理由を聞くと、
彼は考えこみながら、ゆっくりと答えてくれた。

「どうしてわざわざ年齢を質問する必要があるの?相手の年齢を知ることで、それまでと何か変わるの?年齢を知ったら態度を変えたりするの?しないよね?
だってその人の中身が変わるわけじゃないんだから。
その人はその人なんだから。だったら聞いても聞かなくても、何も変わらないじゃない」
逆に、どうして日本人は年齢をそんなに気にするのか理解できない様子だ。

私は夫のセリフを聞きながら、「日本人だったら、相手の年齢を知った途端に態度を変えることは、きっとよくあることだよなぁ・・・」なんて考えていた。

夫とテレビを一緒に見ていても、日本のニュース番組などでは、名前の横に( )付きで年齢がよく表示されるが、なぜわざわざ年齢まで書く必要があるのかと質問されたことがある。確かに、アメリカのニュース番組で、年齢が書かれているのは見たことがない。

留学中に出会ったハワイ在住の日本女性と、日本人の年齢に対する考え方について話したことがある。ワイキキにある有名ホテルのマネージャーをしていて、仕事と子育てで忙しく過ごす彼女は、30代半ばで結婚したそうだが、なんと結婚するまで一度も夫から年齢を聞かれたことがなかったそうだ。
婚姻届を書く時に、初めて自分が彼よりも6歳年上だと知ったが、彼は特に気にする様子もなかったらしい。

「今もちゃんと私の年齢を覚えてくれているのか、よく分からない。日本だったら絶対にありえない話だよね」
と言って彼女は笑った。
国や文化によってこんなに考え方がちがうなんて!


結婚相談所

私は20代で結婚を約束していた彼氏がいたが、29歳の時に別れた。
その後、母に説得され、結婚相談所に登録したことがある。
驚いたのは、結婚相談所で重要視されるのは、なんといっても年齢だということ。
その女性がそれまでどんな人生を歩んできたのかはまったく関係ない。冷酷なほどに年齢でスパッと区切られる。

相談員からアドバイスされたのは
「女性は34歳を過ぎると価値が下がり、男性からのお見合いの申し込みがグンと減る」ということだ。

結婚相談所としては、『あなたものんびりしていないで、一刻も早く結婚相談所に入会した方がいいですよ。現実を知って下さいね』と言いたかったのだろう。

でも私は腹が立った。「価値が下がるってどういうこと?女性は商品か?」と思ったし、「女性を年齢で判断する男性なんかとお見合いなんかするもんか!」とも思った。
アドバイスを受けたのが女性の相談員だったことも、なんだか余計に腹立たしかった。

ただ、その後、私はその現実を身をもって経験することになる。
日本という年齢至上主義社会を理解する良い機会になったと思う、ことにしよう。


年齢と学歴を知りたがる日本人、
人生のストーリーを知りたがるアメリカ人

日本の年齢至上主義を象徴する一つに、先輩後輩の文化がある。
アニメでもよく使われているのだろう、『Senpai』という言葉が海外でも通用するくらいだ。

自分よりも年上か年下か?敬語を使ったほうがいいのか、カジュアルに話してもいいのか?日本人だったら、とても気になるところだ。

その一方で、私が出会ったアメリカの人々の場合は、年齢や学歴といったうわべや形ではなく、その中身を知りたがる。
それまでの人生で、あなたが何をしてきたのか?
大学の名前ではなく、その大学で何を学んだのか、どんな活動をしたのか?
といった具合だ。
それが話せないと、つまらない人間だと思われてしまう。

ハワイ留学中、クラスメイトに日本人女性と結婚している男性がいた。
彼は上智大学に留学経験があり、来年はまた日本に行って東京大学に入学すると言う。彼の結婚相手も有名大学出身らしい。

ビックリした私は思わず、
「スゴイね!!」
と言った。すると彼は私の目をジッと見てこう言った。

「日本人っておかしいよね。大学名を聞いただけで、みんなスゴイスゴイって言う。どうしてそう思うの?僕や彼女が、その学校で何をしたのかも全然知らないのにさ。もしかしたらずーっと遊んでいただけかもしれないよ」

それを聞いた私は、大学名だけを聞いて反応してしまった自分が急に恥ずかしくなった。

私は受験戦争を経験して以来、日本の学歴社会に疑問を抱きつづけてきたのだが、なんのことはない、自分もどっぷりとその社会に浸かっていることに気づかされたのである。

ハワイ大学構内


BBAってなんのこと❓

これもハワイに留学していた頃の話だ。

ある日私は、自分の住むオアフ島からハワイ島へ、一人で飛行機に乗った。
私の座席は3人がけの通路側で、真ん中をあけて窓際にはアメリカ人らしき女性が座っていた。年齢は60代くらいかな?

彼女も一人だったので、「Hi!」と言ったら、彼女もにっこりと笑ってあいさつをしてくれた。日本では飛行機の隣の座席の人に声をかけようなんて、まず思わないけれど、ハワイだとスーパーのレジ係の店員さんやバスの運転手さんともあいさつを交わす。少し世間話をした後、彼女は読みかけの本を再び読みはじめた。

彼女はとても素敵な雰囲気で、ショートヘアの頭にサングラスを引っかけて、
大きく開けたブラウスの胸元には、ネックレスのチャームが光っていた。
日に焼けた肌が健康的で、年相応のシワが成熟した女性の色気を感じさせた。

私はあの時、『日本ではありえない光景だな・・・』と思ったのだ。
日本でもしも60代の女性がブラウスの胸元を大きく開けて谷間にネックレスを垂らしていたら、きっとこう言われるだろう。

「彼女は年相応の格好をすべきだ」
「一体自分を何歳だと思っているんだ」
「若作り」

果ては「ババアの胸元を見せられるこっちの身にもなってみろ」
といった意見まで出てくるにちがいない。

私はちょうどその頃、ネット上でBBAという文字が気になっていた。
いつから存在するのか知らないが、どうやらババアの略らしい。
「40歳のBBA」という言葉をはじめて画面上で見た時、
「あれ、私は40歳なんですけど、これって私のこと?」と驚いた。

日本では30代になると確実に『おばさん』と言われるようになる。
親しみを込めて呼ぶ、愛嬌あふれる『おばさん』や『おばちゃん』は好きだが、
昨今のネット上にあふれるBBAへの罵詈雑言には耐えられない。

20代の女性芸能人に対して「年を考えろ!ババア!」と書かれたコメントを見た時には、我が目を疑った。読んでいると気分が悪くなった。

いつかはみんな年をとるのに、どうして日本では女性を年齢だけでこんなにも侮辱するのだろうか。自分だけは歳をとらないとでも思っているのだろうか。男性だけではない。女性だって年上の女性を『オバさん』と蔑んだりする。

女性誌では『オバさんメイクにならない方法』『脱オバさんファッション』なんて見出しはしょっちゅうだ。

数年前からマスメディアやネットで飛び交っている『劣化』という言葉も、下品でキライな言葉だ。この世のものはすべて、年月が経てば衰えてくる。それは自然なことだ。なぜ日本人は年を重ねて増えるシワや丸みを帯びた体を『劣化』と考え、人生をより経験し成熟している、尊敬すべき存在だとは考えないのだろうか。

こんなことがあたりまえの日本社会で長年生きていると、知らない間に脳みそに深く刻みこまれていく。

『私がオバさんになったら、もう女性としての価値も魅力もない』

これはもう、社会的洗脳だ。
そして、毎年来る誕生日が、年を重ねるごとに憂鬱でたまらなくなってくる。
本当は一年で一番素敵な日であるはずなのに。

私は子どもの頃から成績表のコメント欄には「マイペースでのんびりしている」とよく書かれていた。友人たちからは「天然ボケ」。両親からは「精神的にタフ」。裏を返せば「鈍感」らしい。
そんな「マイペースでのんびりしていて天然ボケで精神的にタフで鈍感な私」でも、いつの間にか洗脳されていった。
今思い返すと、自分でもビックリだ。


「オバさんはね」と言わない。言いたくもない。

ある日の友人宅での出来事だ。
同級生のAちゃんには子どもがいて、子どもの友だちが数人、家に遊びに来ていた。するとAちゃんは子ども達にむかって、自分のことを「オバさんはね」と言い出すではないか。私はなんだかショックを受けた。

その頃、私たちはまだ30代になったばかり。30代前半なんて、私の感覚ではまだまだ若い。

私は、自分のことを「オバさん」と言ったことがなかった。
特に気にしていたわけではなかったが、この一件があってからは、意識して言わなくなった。なぜなら、本当にそうなってしまうと思ったから。自己暗示だ。

そして今、夫は私のことを「オバさん」とは言わない。だから私も自分のことを「オバさん」とは思わないようにしている。
私はただのハナという名前の人間だ。

もちろん、鏡を見るたびに「老けたな・・・」と思うことはよくある。
特に高齢出産の後は、女性ホルモンの関係で顔中シミだらけ。髪の毛もたくさん抜けてしまった。

弟には会うたびに顔をまじまじと見られ、
「お姉ちゃん、シワ増えたな!」
とニヤニヤ笑いながら言われる。
私はその度に胸の奥がチクっと痛むのだが、そんな言葉をいちいち真に受けていたら、人生楽しく生きてはいけない。
だから柳に風が吹くように、「何のことかしら?」と、なかったことにしてしまう。

私はできれば同じ日本人同士で結婚したかった。まさか自分がアメリカ人の男性と結婚するなんて、思ってもみなかった。
国際結婚にはメリットもあるが、日本で住む場合はデメリットの方が大きいと感じている。でも、日本の年齢至上主義にウンザリしているのなら、国際結婚もありかもしれない、と思うのだ。

夫は新婚の頃、唐突にこんなことを言い出したことがある。
「ハナってさ、ちょっとだけ、モニカ・ベルッチに似てるよね」

私はおののいた。なにせ相手はイタリアの天下の大女優である。
高校時代に『妖怪人間ベラ』に似ていると言われていた私だが、40代でずいぶんと飛躍したものである。

なんて、そう、分かっているよ。絶対に似てないって。
分かっているけれど、でも言われるとやっぱりうれしい。

早速弟に言うと、
「はぁ?脳みそくさってるんちゃうか?恋は盲目ってホンマやな!」
と、一笑に付された。

またある時、仕事帰りの夫に、スーパーで買ってきてほしい物リストをメールすると、彼から
「Anything else? My princess?」
と返事があった。
単純な私はここでもまた、「エヘヘ。僕のお姫様だって!」とルンルンになるのである。

モニカでもない。プリンセスでもない。
でもこういうのってさ、日常生活の中で、とても大切なことだと思う。


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