〜これが私の人生①〜
今日は自分について少しだけ書こうかな…
きっと長くなるけど読んで下さったら幸いです( ・∇・)
1989年生まれ、東北で生まれ、育ちました。
私には兄、妹がいて…
私は真ん中です。
私が小さい時、母はスナック(飲み屋)で、父は長距離トラックの運転手でした。
小さいアパートにウサギとみんなで過ごしてた記憶があります…
母は毎朝仕事の売り上げ金と、朝ごはんのお弁当を買ってきて私達を幼稚園に連れて行ってました。よく、幼稚園の遠足では買ったお弁当がある時もありました…
でもたまに寝ないで綺麗なお弁当がある時もありました。
夜は兄とでっかいミッキーのぬいぐるみと私でお留守番…
夜寂しくて寂しくて…早く朝にならないかな…って思った記憶があります…
そんなある日、朝になっても帰宅しない母…
幼稚園の私と小学生になった兄は戸惑いました。長距離トラックの運転手をしていた父に電話をして、お爺ちゃん、お婆ちゃんが迎えに来てそのまま祖父母の家に預けられた記憶があります…
私が小学生5年生まで祖父母の家にいました。
父、母に会うのは週に1回…
土曜が楽しみで楽しみで仕方なかったです…
お爺ちゃんはお酒癖が悪く、私は叩かれたり、寒い冬の日に外に出されたりして、苦痛だった日々を覚えてます…
なので土曜が待ち遠しくて…
あと何日の我慢…って思いながら過ごしてました。
小学生6年生になる前に父母と一緒に生活できる事になり、私は引っ越ししました。
兄は祖父母の生活を選び、祖父母の所に1年くらい生活してました。
小学生6年で引っ越しをし、転校した時…
男子に凄い虐められた記憶があります…
そして仲良くなった女の子に裏切られた記憶もあります。
中学生になり、年上の先輩に虐められ、家庭も崩壊状態でした…
父は愛人を作り、母はお酒を飲み、たまに家族そろっても父は母を殴り…その喧嘩を止めに仲介すると私も殴られ…
母が家出すると父に真冬、深夜に関わらず
『母を見つけるまで帰ってくるな』
と言われ途方に雪道を歩いてた記憶があります…
家庭が崩壊してても、学校で虐められても私には友達と部活がありました。
部活が1番の救いでしたね…
友達に家庭環境を話せない…
もちろん、中学生の時はグループだったので虐められないようにって気を使いながら友達関係を作っていました。
そんなある日、中学3年の時私のいたグループのリーダー的な女の子が転校生を虐めてました。
私はそれが嫌で少しそのリーダーに反発したんですよね…
そしたら次は私が虐めのターゲット…
私は不登校になりました。
中学生3年…
私が不登校になっても親は知らなかったです。
何故か?
経営者だった親は朝4時には自宅にいず、夕方一旦帰宅してたから、父は出かけ、母も夜に飲みに行ってたからです。
学校の担任が電話しても自宅に電話がきてたのでもちろん担任の先生と私とのやりとりでした。親のケータイにかけても親は電話にでなかったらしいです…
そんな中…
不登校の私は担任に呼ばれてお昼に学校に行きました。話をして帰宅する時Yちゃんと出会いました。
Yちゃんはギャルで不登校…たまに学校くる問題児でした…
Yちゃんの噂とかは色々聞いてたのですが話した記憶があまりなく、学校の玄関でたまたま会った私はYちゃんに話しかけて一緒に帰る事になり、そこから仲良くなり今も1番の親友になりました♡
中学3年Yちゃんと出会い、私はずっとYちゃんの家にいました。
でも夜はきちんと帰宅してました。
そんなある日、父母がまた喧嘩をし、私が止めに入ると私が殴られ、母は私に酷い罵声を浴びさせてくる日々が続きました…
父がいる日は殴られ、
父がいない日は酔っ払った母に罵声を浴びせられて…
生きてる事自体に疲れてました。
深夜に病院の屋上に登り自殺を考えてました。
何故あの時病院の屋上にいたのかあまり記憶がないです。
多分本当に辛かったんだと思う…
Yちゃんに最後に電話してありがとと伝えたら死のうと本気で考えてました。
電話して内容は覚えてないですが、Yちゃんが号泣しながら病院に急いで迎えに来てくれた記憶があります。
そしてYちゃんが…
『死ぬんだったら死ねば❗️一生恨んでやるしもう親友やめる❗️』
と泣きながらブチギレられてYちゃんは帰宅しました…
そんなYちゃんが可愛くて、あんなに自分のために泣いてくれる人がいるんだ…
私はまだ死ねないな…って感じた記憶があります…
どんなに辛くても大丈夫。
夜我慢したら朝にはYちゃんの家に行こう。
そんな感覚で家庭崩壊状態をやり過ごしてました。
高校生になり、同じ中学で虐めてた先輩、仲間外れにされた昔のグループの女子…
みんな同じ高校で中学の負のループは続いてました…
でも高校の授業が終わればYちゃんの家に行ける❗️
別に高校で友達いなくてもいいやー精神に変化してましたww
高校2年生の時、5歳年上の彼氏と付き合い始めてました…その彼は最初は優しかったのですが…DV、最終的には監禁してました…
携帯を没収され、彼の自宅で軽い監禁…
なにかあるとナイフを首に突きつけられて殺すぞ言われてました…
親は?
その時の親は全く家にいなかったので記憶にありません…
多分私が3日家にいなくても気付いてなかったと思います。だって自分達が家にいないから…
そんなDV男との間に私は妊娠しました。
私は高校2年生なりにバイトをして堕すお金を必死で稼ぎました…でも、お腹の子供はおっきくなり、私は徐々に産みたい気持ちになりました。
母親にまず相談したら、
『堕しなさい。父に殴られたくない』
でした…
『産みたい』
と私は母に言いました…
母は
『あんたのせいでまた私が叩かれたらあんたを一生恨む。私は手助けしないから自分で父に話して殴られて死ねばいい』
でした。
私はその言葉だけは一生覚えてます…
私は高校2年生でDV男の子供、1人で部屋を借りて生活できるのか…
考えだけど無理だな…
と思い…
バイトで稼いだお金を握り病院に行きました。
未成年なので母も付き添い病院にいきました…
本当高校2年生の私は自分を恨み、自分が人を殺した…自分は…のマイナス思考で毎日泣いてました。
高校3年…
私はなにかが切れて、家出しました。
全てが嫌になり…
何かあると親のフリして叱る親…
助けてもらいたい時に全く手を差し出して助けてくれなかった親…
全て嫌になり…
家出をしました。
見事親は捜索願いを出し、親友のYちゃんの家を脅し、怒鳴り…散々でした。
でもYちゃん、Yちゃんの親は本当に本当にその時私を隠してくれて、私の親に対して戦ってくれました…
でも毎回、警察がYちゃんの家に来て、夜は私の親の脅し…
もうこれ以上Yちゃんに迷惑かけちゃダメだ…と思い、警察に私は行きました。
親に殴られるから帰りたくない。
親の前、警察の前で話す私は震えてました…
何故か?
警察の前で殴られてるって話したら親が怒ると思って、恐怖の気持ちで自分の声で伝えたからです…
そして、児童施設に私は自分の意思で行きました…
児童施設では高校3年生の私が1番上で…
幼稚園〜中学生の子達がたくさんでした。
小学生の女の子は…
『パパとママが喧嘩してて仲直しるまでここにいるんだ♬』
中学生の女の子は…
『母親の彼氏と喧嘩して母親に邪魔いわれてここにいる…』
私より酷い理由で施設にいる子が大半でした…
私は殴られたくない=怒られたくないから施設にきました…
でも他の子達は…
親と一緒にいたい=親の勝手な都合で預けられてる子でした…
その時、私って自分の人生を可哀想だって思いながら過ごしてたけどただの被害者になりたいだけなんだなって…って初めて知りました。
次に続きます(^^)