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【映画感想】きみの色


■うぎゃー!
美しい!
美しい過ぎる!

いやー、見る前はちょっと怖いやつかなー?
とか思っていたけど全然そうじゃなくて。
だからと言って感動を押し付けるようなものでもなく。

感動の美しさそのもので溢れているという。
世界を美しさで埋め尽くことは出来るのだ。
世界の解決策がここに。

■Born Slippyが流れた時はニヤニヤしちゃった(^ν^)
そしてサカナクションの山口一郎の知り合いの人は彼にオススメしておいて。
多分今の彼に無茶苦茶必要な映画だった。
あぁ、なんて素敵♪

■なんというか塩梅がすごく良い。
割と良い人しか出てこないので、
本当の世の中はそんなもんじゃねぇ!
社会は厳しく辛いモノなのだ!
なんて言う人が居そうだけど。

皆それほど善人ってわけじゃないのねよ。
ちょっとだけ優しいって人ばっかりが居るの。
そして自分の機嫌を他人に取らせようとする人が一人もいない、ってこと。
ねぇ、そんな人居なくてもいいじゃない?

■世の中は厳しいって言う人は
人に嫌のことをする悪い人がいる事をいいことに、
自分も良いことなんてしなくていい。
果てはちょっとくらい悪いことしたって
弱肉強食のこの世では問題ないだろう、ゲハハハ!
なんて思っていそう。

つまりあなたが存在することで世の中は悪くなっているんだよね。
もっと悪い奴がいるから、
私がちょっと悪いくらいでは問題ないだろうと。
そう言う人が積もり積もって最悪な世界を作り出している。

■と、言うことはだ。
皆が皆、少しずつ良い人であれば。
世界は良くなっていくのではなかろうか?

まぁ、あなたは無理でしょうね。
悪人である方が楽ですものね。

なんて意地悪を言いつつ。

この映画を見るんだよ!バカ!

■超善人にならなくてもいいんだよ。
悪を倒すスーパーヒーローになんてなる必要がない。
ほんのちょっとだけ隣人に優しくできればオールオッケー!

そうするとどうだろう。
世界の美しさが見えてくるのだ。
初めは少しずつ。
そしてついにはあからさまにそこに湧き出でる、
世界の美しさよ。

それは今までもずっとそこにあったのだ。
あったのに、
「しょせん世界はこんなものだ」
なんて分かった気持ちになって
何も見てなかった。
こんなにも美しく輝いているのに。
わたしは知らずにいた。

ほんの少しの行動で
それは輝きを増すと言うことを。

■そんなことを実現した世界が
ここにありますよ!
あぁ、なんてこと!
踊りたくなるような楽しい気持ち!
ミュージック・スタート!
さぁ!手を取って踊りましょう!
色がきらめき立ちます。
光の彼方へ!

映画『きみの色』

追記:物語の作法というかシナリオの作り方みたいなので、
視聴者にストレスを与えて、
最後それを与えていた悪を倒すことによって心の解放、カタルシスを得る。
なんてのがある。
それは間違いではないのだけど。

皆が皆それを参考にしすぎて、
テンプレートの感情上げ下げ装置になってしまっていたり。
そしてなぜかそのストレスを与えるための
嫌なシーンをなんだか物凄いリアリティを持って
重苦しくのしかかるように書いてしまい。
それなのにそれを解放されるカタルシスなシーンが、
まるで現実感のない想像上の薄っぺらい幸福だったりして。

ただただしんどいだけでご褒美の幸福が人工甘味料。
ポテチを食べてコーラを飲む。
塩見を味わい甘味を飲む。
そんなことを交互にやるだけ。
どんどんと現実逃避の幸福をぺろぺろする亡者のよう。
そして一向に現実は良くならず沈んでいくというね。

そんな物語が多すぎなんじゃー!
という怒りからの解放のような気もするのですよ。

なんていうか今、物語が異様に増えすぎて。
皆、物語中毒になっている。
もっと強い物語を!
もっと泣ける物語を!
みたいな。
しかも麻痺させ酩酊させる快楽ばかりが溢れてしまい。
この映画のように覚醒による世界が広がる開放感!
みたいなのが少なくなっているような気がするのだ。
どちらがいいというわけではないのだが。
偏りすぎるのは良くない。
そう、塩梅の話なのだ。
良いパーセンテージで程々の良いバランス。

追記が長いぞ!
終わり!

小説 きみの色 (宝島社文庫)

@amazonより

極楽京都日記: 【映画感想】きみの色 https://kyotogokuraku.blogspot.com/2024/09/blog-post.html?spref=tw



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