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3つのムダ遣い

30歳半ばで独身の私は、
最近「緩んで来たなぁ」と思うものが3つある。


一つ目は『箍(たが)』

 箍は「外れる」印象が強いが、緩むこともある。
 意味は、【緊張がゆるんだり、年老いたりして、しっかりしたところがなくなる。締まりがなくなる】とある。【緊張がゆるんだり、年老いたりして、しっかりしたところがなくなる。締まりがなくなる】とある。そもそも「箍」とは桶や樽の枠組みを固定している輪のことである。つまり箍が緩むと入れている水はダダ漏れになるわけだ。
 私の場合、仕事はちゃんとやっている、ただ、プライベートは、そうではない。家に帰れば即ベッドに寝転がり、テレビを見ながらスマホをいじる。Twitterチェック、テレビ、Facebookチェック、テレビ、気付いたら寝て…とループしている間に、急ぎではないがやらなければならないことが「あぁ今日も出来なかった」と後回しになってしまうのである。
 家では一人だ。誰も怒りもしなければ、気にかけてもくれない。だから部屋の掃除も洗濯も、たまにしか来ないSNSのリプライやコメントを待ったり、エゴサーチしたりしている時間でやれるのに、しないのだ。
 周りから見ると、スポーツウーマンで仕事をバリバリして、ストイックに見える私も(見えてなかったらスイマセン)、実は、水をダラダラとこぼしてしまう箍が緩んだ桶と同じで、時間をダラダラと垂れ流すようにムダ遣いしてしまうだらしない女なのである。


二つ目は『財布の紐』だ。

 何度も言うが、30歳半ばで独身だと、基本的にはお金を自由に使える。今年は有難いことに脚本の賞を頂いたこともあり(賞金100万円でした)、お金には余裕ができたので大きな買い物を2つした。
 真っ先に買ったのはノートパソコン。諸々含めて20万程したが、軽いしバッテリーは持つしタッチパネルだし、いい買い物をしたと思っている。そして十二分に活用している。
 もう一つの大きな買い物は「脱毛」。金額はパソコンに近い。そして今はまだこの買い物が正しかったか判断することができない。その理由は2つ。効果が出るまでに時間がかかること(2年以上)、そしてもう一つは、施術中にスタッフの方に言われた一言にある。

「毛、薄いですね~うらやましいです~」

私って、毛、薄いんだ…じゃあ脱毛って必要だったの…?という気持ちになっているからである。確かにものすごく濃いとは思っていなかった。けれど数え切れないほどの脱毛ラー(勝手に命名)を見てきたスタッフさんに言われるということは、かなり薄めなのではないか…。まぁ人間はいろんな場所にいろんな毛が生えているわけなので、2年後に満足していることを願いたい。
 財布の紐が緩んだがために、お金のムダ遣いをしてしまったと後悔しないように…。


そして最後の一つ。
これは誰しも感じるところであろう『涙腺』だ。

 映画やドラマ、芝居、ドキュメンタリー、あらゆるお涙頂戴の作品に対して、大抵の場合、泣くようになった。それも、フライング気味で泣く。
「あぁもうこれからお父さん絶対死ぬやん」
「このあと親子が再会して抱きしめ合うやん」
「一緒に居たいはずなのにお互いを思い合って別れるやん」
と、ストーリーが見えた時点で目頭が熱くなって、そのシーンが来て涙がドッバー。このパターンは最近のお決まり。ある意味、もう「泣きに行ってる」のである。 だから、涙腺の緩みは自覚している、つもりだったが、最近自分でも驚く涙があった。

 私はここ5年、毎年富士山に登っている。父親の還暦の記念に一緒に登ったことがキッカケで、2013年から5年連続5回目の登頂を果たしている。60歳だった父は64歳になり、30歳だった私は34歳になった。
 今年は5回目であるから、道も慣れたもので、身体の調子も良かった。ペース良く登っていたので、もしかしたら頂上でご来光を拝めるかもという時間だった。しかし9合目以降は混んでいて、なかなか思い通りに進めず、結局9,5合目あたりで朝日が昇ってきた。
 その朝日を見た途端、目頭がギューーっと熱くなって、視界がぼやけた。自分でも何でそうなるのか分からなかったが、たぶん、朝日に感動したのだ。一瞬にして暗闇を照らすそのパワーに、凍り付いていた身体を溶かしてくれるぬくもりに、心を揺さぶられたのだ。
 でも過去4回はこんな気持ちにはならなかった。いつだって朝日は変わらず美しかったのに。本当に不思議な体験だった。

 今まで以上に涙腺が緩くなっただけかもしれない。いい年こいてグズグズ泣くなんてみっともない、泣くなら美しく泣けよ女優だろ、なんて思っていた自分もいるけれど、その富士山での体験で考えを改めることにした。
 積極的に、涙をムダ遣いしようと。どんなに泣いてもまた涙は生産されるんだから、もったいぶってないで泣いちゃえ、誰かを困らせない程度なら、と。理由あって流れる涙も、理由も分からず流れる涙も、きっと自分を浄化してくれるはずだから。


私のムダ遣い、こうやってネタになるなら、ムダじゃないのかもしれない。だけど自分のことを暴露しすぎてイメージが崩れないか、ちょっと怖くもある。

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麻利央書店
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