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"完璧という名の牢獄で断絶を叫ぶ" ルース・エドガー (ネタバレレビュー)

もうこれで何度目だろうか。黒人男性が白人警官の過剰な暴力によって死亡させられた事件をきっかけにアメリカでは大規模な人種差別抗議デモが再び巻き起こっている。こういった痛ましい事件や抗議デモを見るたびに黒人達を取り巻く現状はあまりにも過酷で理不尽なものであると改めて実感させられるし、差別や人権問題は全ての人類に関わる問題だ。そんな最中に「ルース・エドガー」の公開が始まった。コロナショックによる延期によってこの時期までずれ込んだ訳だが、ある意味とてもいいタイミングだったのではないかと思ってしまうほどに黒人達を取り巻く息苦しさや人間のどす黒さが滲み出た映画だった。

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エドガー夫妻は紛争中のエリトリアから1人の少年を養子に取る。少年の名前は発音が難しかったため、エドガー夫妻は彼をルースと名付けた。文化の違いやPTSDに悩まされるルースだったが、エドガー夫妻の献身的な教育とカウンセリングにより今では学校を代表する聡明な優等生になるまで成長した。成績はもちろん優秀、様々な学校行事でも代表を務め、友人や先生からも愛される…彼の完璧ぶりはなんだかバラク・オバマを連想させる。そんなルースにエドガー夫妻は誇りを持っていた。だかルースは気付いていた。自分が完璧という名の牢獄に閉じ込められている事に…。

ルースが気付いていたのは清廉潔白でなければならないという強迫観念だ。犯罪者、暴力的、頭が悪い…長い時間をかけて植え付けられた黒人に対する悪しきイメージから逃れる為に黒人は模範的な市民になろうと必死になる。しかし1つでも些細な汚点がついてしまえば、すぐ悪しきイメージに絡めとられ、そこから再起を図るのはとても難しい。ルースのクラスメイトであるデショーンがある失敗によって厳格な教師であるハリエットからずっと目の敵にされ続けて孤立してしまう描写はまさに黒人を取り巻く厳しさと言えるだろう。失敗も許されず、ずっと完璧でなくてはならないというプレッシャーはルースにとっても息苦しくて仕方がない。しかし周囲の人々はそのプレッシャーに気付いていないどころか無意識のまま完璧さを求めてしまう。

この息苦しさの根源は他人に何かのイメージを押し付けている事にある。人は無意識のうちに他者を人種や性別、境遇などの型に当てはめて雑に語ってしまう。たとえ型にはまらない個性があったとしてもだ。そうして自分の個性や価値観が理解されないと悟ったルースはどんどん孤独を深め、自分の事が分からなくなっていく。良き人間になりたい、でも本当の自分は誰からも理解されないというジレンマは彼を苦しめる。

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そして周囲の大人達はどんどんルースの知られざる一面に翻弄されていく事になる。レポートに書かれた過激な思想、危険な花火、アジア人ガールフレンドの秘密…ハリエットとエドガー夫妻は彼の真意を聞きだそうとするが、知的で聡明なルースは巧妙に真意を隠し、相手の意図を的確に理解してしまう。親としては息子を信じたい、でも息子の事が分からなくなるばかり…エドガー夫妻も途方に暮れるしかない。愛する子供の全て知っていると思っていても、成長していくと知らない側面が増えてくる…当たり前なんだけど何ともいえない不気味さが押し寄せてくる。それは真の意味で他者を理解することは出来ないという断絶をまざまざと感じさせるからだ。

一方、ハリエットはルースへの疑念を徹底的に攻め立てる。歴史の授業を通じて生徒達に社会的な正しさを厳しく教える彼女にとって彼は危険な存在であり、正しい道に導いてあげないといけないと躍起になっている。しかしうつ病である姉の暴走や自宅に描かれた差別的な落書き、教室での火災事件などの不祥事が立て続けに起こったため、ハリエットは学校から解雇されてしまう。全てルースが仕組んだのか?しかしはっきりとは分からないままだ。そんなハリエットにルースは問いかける。あなたは正しさを人に教えているつもりかもしれないが、その正しさや完璧さが誰かを苦しめているのに気付いていない。むしろ正しさや完璧さを説く自分に酔っているだけだと…。

今作に登場するキャラクター達は皆リベラルな価値観を持ち、ある程度恵まれた人生を歩んでいる。差別的な考えを排し、多様性を重んじるリベラルな価値観は基本的に正しいものだ。ただその正しさが逆に息苦しさや不均衡を生み、新たな差別を作り出してしまう。そして持たざる人々にとって恵まれた人々が掲げる正しさはただの絵空事のようにしか見えない。正しさだけで全てがよくなると思っている…それこそがリベラルな価値観に潜む落とし穴なのだ。

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そんな正しさの中にある欺瞞や息苦しさをジュリアス・オナーは巧みな演出やモチーフで描き出す。原作が戯曲なだけあって会話劇が中心となるのだが、至る所にキャラクター達の不穏さが滲み出ているし、お互いの腹の内を探ろうと細かな駆け引きがとてもスリリングで引き込まれる。また強すぎる正しさの象徴としてバラク・オバマの存在を引き合いに出すものクレバーだ。彼ほど完璧な黒人を体現する人はなかなか思いつかない。ルースのキャラクター造型はもちろんのこと、劇中の何気ない描写(例えば練習中のチアリーディング部の掛け声が"Yes We Can"であるなど)にも彼の存在を忍ばせてある徹底ぶりにこちらも正しさの中にある息苦しさを感じざるを得ない。他にも白と黒が際立ったエッジの効いた映像やベン・サリズベリーとポーティス・ヘッドのジェフ・バーロウによる不穏な劇伴も見事だ。

最後に役者陣の演技だがやはり一番印象に残っているのはルースを演じたケルヴィン・ハリソン・Jr.だろう。ルースのもつ強烈な二面性を見事に演じ分け、観客に底知れぬ闇を抱かせる。また良き黒人女性を演じることが多いオクタヴィア・スペンサーが欺瞞に満ちた正しさを体現するハリエットを演じるというのも強烈なインパクトがあった。そしてナオミ・ワッツとティム・ロスの良心的な白人夫婦像も見事だった。彼らの戸惑いや言い合い、夫婦の距離感などとてもリアルだった。

差別や不平等と戦うために正しさは必要だ。しかしその正しさが息苦しさや新たな差別を生み出しているかもしれない。今作で描かれた正しさの中にある欺瞞と断絶は怖いほど的確な指摘だと思う。だからといって気付かないフリをしたり開き直ったりするのではない。正しくあるためにもきちんと向き合わないといけない。まさに今見るべき映画だった。

ルース・エドガー


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