JMoF 2025に参加したのとその前後のはなし
こんにちは。暇神です。
note初執筆なので温かい目でみていただければと思います。
さて、初noteとなる今回は、「JMoF 2025に参加したときのはなしとその前後のはなし」です。なぜこのネタにしようと思ったかというと、人生で一番濃すぎた1週間だったからなんですね。我ながらよく走り抜けたと思ってるくらい濃かったです。
ちょーーー個人的な話ばっかで振り返るだけでもPCD発症しそうですが、振り返っていきましょう。
1月8日(水)
(この日は着ぐるみ全く出てきません)
JMoF2日前のこの日は、2限から大学とその直後のバイトがありました。
私が通っている大学は家から1時間半以上もかかる距離に位置しており、2限の授業開始が10:50なので遅くとも9:00までには家を出なければなりません。
2限、3限とこなし、そのあと直行でバイト先に行くのですが、バイト先はどちらかといえば地元のほうにあり、17:00からインで、3限が終わるのが15:00なので、移動時間と準備時間も含めたらあまり余裕はありません。
YARAKASHI
大学の2限、3限は特におおきな問題はありませんでした。しかしそのあとそのままバイト先に向かいかばんを開けると。。。
やってしまったよ
バイト先でつかうワイシャツ的なsomethingを入れ忘れました。自分に最高に腹が立った瞬間でした。
他の人から借りるといっても、今日の出勤している男性メンツは自分しかいないので借りようにも借りれません。
ここまでの現在時刻、16:50。インに間に合わないと思ったので店長に赤っ恥かきながら近隣のユニクロまでダッシュにてワイシャツを購入しました。無駄すぎる出費でした。
その後、バイトは締め作業までやって家についたのは0時でした。朝の9時からずっとノンストップで動いていた1日なので疲労困憊です。そして就寝します。
1月9日(木)
(記念すべき1日)
すべてはこの日のために身をささげてきたといっても過言ではないこの日は、私の新しい子「ボラーレ」くんをお迎えした日でございます。
初めての自分のケモノ着ぐるみはとても感動でした。親ばかのように自分で「かわちいねえかわちいねえ」とかいってずっと愛でてました。
我が家にボラーレくんがやってきた後は、保留にしていた運搬用バッグの選定をしに地元のクソデカショッピングモールやクソデカダイソーを物色してました。届くまでサイズ感がつかめなかったので、FFのアトあまオーナーに協力を仰いだりはしていたのですが、実際に来るまでわからないということでバッグだけは保留にしていたんです。
バイトいくのかよ
この日は17:00~23:00までと、昨日と一緒の時間でシフトに入ってました。とはいえ次の日はJMoFに向けて出発なのでバイトに行ってる余裕なんてありません。この日のバイトが一番邪魔だったと感じてます。
でも明日以降のことを考えながら仕事するのは楽しかったですね。もっと早くに寝たかったのは否めないですが。
【悲報】明日テストだった
バイトから帰還したあと、明日以降のパッキングをしていくわけなんですが、このタイミングで嫌なことを思い出したんです。
明日テストやん、、、
しかも昨日今日と続き時間がなさ過ぎてノー勉です。たぶん無理だとおもったのでテストのことを忘れてとりあえずは目の前のパッキングに集中して寝ることにしました。
翌日はロングドライブになるので、今ここで徹夜して睡眠不足のまま車を運転するよりかは単位を犠牲にしてでも寝たほうがいいですよね。なんだこの思想終わってる。
1月10日(金)
(JMoF1日目)
この日の1日プランとしては、
「車で大学に行く→テスト受ける→町田で相乗りの人乗せる→そのまま豊橋へGO」
というのを想像していたので、ほぼ1日車に乗ってるみたいな感じでしたね。
ノー勉で大学へ
午前8時。空気もまだ温まらないなか、着ぐるみと荷物をのせて車で大学に向かいました。車で大学に行ったことは何回かあるので遅刻する心配は全くなかったです。しかし向かっているのは期末試験、しかもまったくのノー勉のテスト。途中からハンドルを握る手が震えてました。
大学についた後は急いで試験範囲を猛勉強。遅刻こそしなかったものの、結構ぎりぎりの到着だったので全然勉強できませんでした。
2限、3限とテストをこなしてみましたが、以外にも手ごたえはありました。授業聞いてたところが試験でたくさん出てたので耐えた~てなってました。
いざ豊橋へ
テストを受け終わったのは午後2時。すべての回答欄を埋めて試験会場の教室を後にしたときの自分の顔は間違いなくキショいくらいニヤついてたと思います。いざいかん、豊橋へ!本当にニヤニヤが止まりませんでした。
途中町田駅で同乗者を拾い、ロワジールホテル豊橋まで300㎞の旅路がここで幕を開けました。Foooo~~~~~~
途中のSAでエナドリ飲んでおでん食って一服するなど、自分のやりたかった夢のようなchillをしつつ、新東名をかっとばして西へ西へと進みます。
ついた
ついてしまいました。ロワジールホテル豊橋。JMoF2025。約束の地。希望の光。
Xのポストだったりで写真や動画をみる機会は多かったですが、実際に訪れてこの目で見るのははじめてだったりするので、あまりの人数の多さに圧倒しました。到着したのが午後7時くらいでした。その時点でも結構人は多かったですね。あれ、今日平日だよね?
チェックインを済ませ、荷物を自分の部屋にすべて入れて1階のロビーでずっと喋ってました。途中、アテンド講座にも参加してみたりして初日はもうとにかく人状態で遊びまくりましたね。
いろんな人と会ううちに、「お迎えおめでとう!」とか「びっくりした!」とか言われて顔面真っ赤になりました。それもそう、自分の中のポリシーがあってお迎えするまで公言してなかったのです。祝いの言葉をかけてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
これが「ロワジ泊」
今回泊まった部屋は27階のジュニアスイートです。キャンセル待ちを粘って取った部屋なんですが、本当に大学生が泊まるにはもったいなさすぎたってくらいでかかったです。ですがせっかくロワジなのでいろんな人呼んじゃおう!ということでたくさんの人をお招きしました。そしてキャラで全員ダメにしてきました。
最大で10人くらいが同じ部屋に集まって飲みまくりましたね。本当に楽しかった。これこそが「ロワジ泊の真髄」なんだなと感じました。次のJMoFもロワジがいい。そう思えた素敵な夜を過ごしました。
会いたかったFFやキャラもこの場でたくさんあえて、ある意味ジュニアスイートをとってよかったなと思いました。そう信じてます。
1月11日
(JMoF2日目)
結局酒盛りをしたあと、解散して風呂に入って就寝したのは午前4時半ごろでした。ばか遅かったですね。昨日から9時からのラジオ体操に出ようとは思っていたので、8時くらいに目覚ましをかけて8時に起きました。おはようございます。その時に撮った写真です。
あんまりこういうことを言うのもどうかと思うんですが、豊橋市、本当に何もないですね。ロワジのほぼ最上階から見渡してもなんもありません。なんかすごいんかな~とか思ってたんですけど、本当になにもないです。
下を見ると、朝っぱらからもうキャラを出している光景を望むことができました。なんだかアリみたいでかわいかったです(?)
同じく4時間睡眠の同室のゑび津さんをキャラでたたき起こし、会場までアテンドしてもらいラジオ体操に参加しました。このラジオ体操、朝9時からやってるので参加している人は実質ロワジに泊まってるひとたちだと思うとなんだか感動します。みんな争奪戦を勝ち取った人たちですね。
部屋に呼んだ人たち以外でキャラをお披露目したのは実はこのラジオ体操がはじめてだったりします。「Xでみたよ!」とか声をかけてくださった人たちが何人かいて、ちょーうれしかったです。これからよろしくね。
ホテルは今日でチェックアウトだったので、ラジオ体操に参加した後は部屋に戻りいったん荷物をまとめ車に全部移動させました。その後、ある程度時間が取れたのでおとといの夜飯ぶりの飯を食べました。メガドンキのメガ盛り唐揚げ弁当です。それまで忙しすぎてまともな飯を食ってこなかったので自分の胃が縮小されてていつもはいけるこの量でも普通にきつかったです。助っ人を召喚して一緒に食べてもらいましたが、みんなはちゃんとご飯食べましょう。
このあとは寝なさ過ぎた借金を返すために仮眠をとり、集合写真とパレードに備えることにしました。車の中はやっぱり寒かったです。
白内障との闘い
着ぐるみを着ている人や着ぐるみとよく遊ぶ人なら一度は聞いたことがあるであろう単語「白内障」。ボラーレも例外なく白内障になりました。
1日目の夜に自分の部屋に来てくださった綿犬さんに曇り止めを塗ってもらい、ラジオ体操と集合写真とパレードに出れたのはいいもののその後時間の経過とともに白内障を患うことになり、ただでさえ視界の悪いボラーレがさらにひどいことになりました。本当に前が見えません。
これは私のもともとの視力がそこまでいいわけではなく、でも車はギリ裸眼で運転できないほどで一応裸眼でも過ごすことはできるし、コンタクトを買うお金がなかったのでいったんは裸眼で着ていたんですよね。
しかしパレードの最後のほうから若干怪しくなり、終わって中庭に集まってるときにはもうすでに左目がマジで見えませんでした。上の写真の時も実は白内障になってカメラマンの位置が見えてません。
明るい屋外ならまだマシですが、室内は結構最悪でした。18時にアトあまあわせがあったので白内障のまま出しましたが、さっきの屋外とは違い「室内」「ほぼ夜」ということもあって症状が悪化してマジでなんも見えなかったです。集合写真もカメラマンのほうを見れてるかわからない状態で、ファンをあててようやくマシになる程度でした。
私はこのとき心に誓いました。
「世界最強の曇り止めを買う」
と。
獣化モチベはまだまだあった方なんですが、さすがになんにも見えなさ過ぎてこのままじゃほんとにいつか事故りそうなのでここでいったん帰りました。
TRIP FUR😎
Kemoconでもダンスパーティーみたいなやつがありましたが、JMoFのTRIP FURがそれにあたります。DJがフロア沸かしてくれるやつ。ロワジでの夜の思い出も、初キャラ出しもとっても楽しかったですが、実は私はこのTRIP FURが一番のお目当てだったりします。JMoFに来た理由の7割くらいはこれってくらいすごく楽しみにしてました。
Kemoconでも暴れさせてもらってましたが、ここでもたくさん暴れさせてもらいました。ほんとに楽しかった。やっぱ縦ノリってすっごく楽しいね。もちろん横揺れもFoooo!!!!もやりました。
ただこのTRIP FUR、懸念点が1つあります。
それは「2日目の夜」だということです。
こんなにアドレナリンドバドバブチ上げパリピイベントがJMoFのトリではなく3日間あるうちの2日目の夜なんです。自分はこの日の夜に帰宅するのでいいのですが、3日目も参加する人たちが果たしてTRIP FURでノリにノリまくって体力消耗した状態で3日目を楽しめるのでしょうか。まあ着ぐるみ着る人はみんな体力お化けだから大丈夫だとは思いますが、Kemoconみたいに最終日の夜にやってくれた方がみんなに親切だし次の日のことも考えずにラフにさんかできるんじゃないかな~と思いました。まぁ楽しかったからいいけどね!
涙の離脱
TRIP FURでブチ上がったあとは、今日で豊橋とはお別れなので各方面に別れの挨拶をしに回りました。本当に寂しかったです。でもいろんな人に声をかけてもらい、総合的に来てよかったと思えるイベントになって気持ちいい状態で豊橋を後にしました。JMoF Arigato。
豊橋をでたあとは、相乗りメンツといっしょに西へ向かい愛知県岡崎市へ。岡崎市といえば、有名YouTuber「東海オンエア」の聖地でもあるということで、岡崎市内にある東海オンエアでも多数出演してた家系ラーメンまんぷく家へ行きました。
最初はYouTuberに取り上げられてるだけだろ、と高を括ってあんまり期待はしてませんでした。でも目の前のどんぶりを見ると自然と吸い寄せられていき、かんまくしてしまうほど箸が進んでしまいました。横浜市民の私としては、「横浜市内にある家系ラーメン以外は全部外道」とか思ってましたが普通においしかったです。JMoFおわりのルーティンにしてもいいくらい、本当においしかったし、TRIP FURで流れたカロリーを回復できたので最高でした。
ラーメンで腹が膨れた後は、そのまま新東名にのり横浜を目指して帰路につきました。途中で仮眠をとりながら、横浜町田ICに降りたのは翌日の午前6時ごろ。家につくまでがイベントですので、同乗者を安全に送り届けることを最優先に運転しました。ここまで大きな事故なし。無事に私のJMoFはここで幕を閉じました。
1月12日(日)
(また飲みです)
JMoFから帰還し、荷ほどきを終え寝床に就いたのは朝の8時。ちゃんとそのあとは撃沈してました。よく寝てました。
この日は私が所属しているサークルの新年会が執り行われる(しかも幹事は俺)ということで、14時に起床。起床事故は起こさず普通に目覚ましによって起こされたのですが、やっぱり起きた時は昨日までの疲労は引きずっており、かつTRIP FURのときのぴょんぴょんのせいで若干筋肉痛になっているのでつらかったです。
写真撮り忘れるくらい楽しかった
幹事は新年会の買い出しもします。レンタルスペースを借りてやったのですが、もちろんレンタルスペースの机から飯やお酒が出てくるわけないですよね。買い出しを手伝ってくれる人を募り、集合時間より1時間早い16時に新宿に行きました。とりあえずいろんなお酒とつまみを買いました。
17時に新宿に集合し、そこから歩いて会場のレンタルスペースまで歩き新年会開始。ピザなんかもとっちゃってすんごく盛り上がりました。幹事最高の瞬間。楽しすぎて写真ありません🙇
昨日の自分のBeRealはTRIP FURの様子を上げていたので、それに突っ込む奴(notケモナー)がいましたが、「なんか楽しそうだったから入ってみただけ」でうまくかわしました。口が裂けてもサークルのやつにはケモノコンベンションに行ったとは言えないですからね。
新年会が終わったのは21時ごろでした。みんな気持ちよく酔っており、自分もまぁまぁ酔ってる状態ですが翌日の成人式のことも考慮して2軒目のお誘いを断り家に帰ることにしました。ギリ終バスの1本前に乗れて、家についたのは23時ごろだったと記憶しております。酔っぱらいすぎてあいまいです。でもバスはのれたよ。そのあとは風呂入ってすぐ寝ました。
1月13日(月)
(晴れ舞台)
結局起きたのは朝の10時くらいでした。横浜市の成人式は2部制になっており、私の住む区は午後の部なので余裕があったとはいえ、せっかくの晴れ舞台だというのに髪型も服装もなんも準備してないのはまずいとおもったので、相も変わらず引きずってる疲労感のまま支度をし家を後にしました。
ムロさんのはなしで腹筋崩壊した
家を後にしたあとは、地元の友達と合流して一緒に横浜アリーナへ。かなり多くの新成人を見ました。成人式ではゲストスピーカーに秋元真夏さんとムロツヨシさんが出演されておられました。とくにムロさんの話がとても面白かったです。さらに新横浜を歩いてたら普通に地元の友達がうじゃうじゃいるということで、久しぶりの再会でつい話が止まりませんでした。声が低くなった人、中学からのイメージから大きく変わった人、めちゃくちゃ痩せた人、急に自分より身長が高くなった人。いろんな人が変わりまくってて本当にびっくりしたし、なによりその変化に気づけないまま大人になってしまい疎遠になってしまうのがどれほど悲しいかを思い知りました。やっぱりジモティーしか勝たん。
止まらないタバコミュ
成人式の後は中学校の同窓会に参加しました。ここでも懐かしい面子が勢ぞろいしていて本当に感動しました。感動でお酒が進みました。
20歳になった喜びは成人式や同窓会での再会だけでは足りません。喫煙所でのタバコミュもです。大人になって吸いそうな子や意外な奴がタバコを吸ってたり、本当に面白かったしなによりほぼ近所なのに高校から疎遠になってた女の子の友達と喫煙所で感動の再会を果たせたことがなによりすごかった。高校からのはなし、大学のはなし、バイトのはなし。気づけば1日で1箱減ってました。なので途中からもらいタバコでしのいでました。
JMoFの時もそうですが、喫煙所に吸い寄せられる人間ってだいたい1日に1箱はタバコの本数が減るんですよね。たぶんここ1週間で私は4箱くらい減りました。おそろしや。
終電を逃すのは当たり前
同窓会のあとはもちろん二次会ですよね。クラスの子たちと集まることが多かった同窓会とは対照的に、二次会は部活動のメンツと集まることにしました。写真は横浜駅西口の町田商店です。この酔っぱらってるときにかち込む家系ラーメンが一番うまかったりしますよね。横浜市民でよかったと思えた瞬間でした。
なにげに中学の部活のメンバーとカラオケに行くのは初めてだったりします。のどがつぶれるまで歌ってやりました。まぁ酒やけとTRIP FURのせいで最初からしゃがれてたんですがね。最後の最後で声枯れました。でも久しぶりのメンツなのでどうでもよくなってました。
部活のメンツはみんな歌うまかったです。コロナ禍のせいで高校からみんなの疎遠度が加速してましたが、やっぱりみんな変化してました。すごく感動しました。また遊びたいです。
結局解散したのは朝の5時。もう最初から終電なんて気にしてません。ここまで来たら逃すのは当たり前。始発でみんな仲良く座って一緒に家に帰りました。自分は7時に家につきました。さすがに親も起きてました。さっさと風呂に入って寝ます。
1月14日(火)
(つかの間の休息?)
この日は、なんとオンデマンド授業の課題提出締切日だったということ以外、なんも予定がない日でした。ということでもちろん爆睡かまさせていただきました。
起床したのはなんとびっくり16時。11時間も気絶してました。おかげですんごく快眠でした。一気に睡眠不足を清算できた反面、あまりの生活リズムの崩壊具合に自分でも困惑してました。
とりあえずご飯を食べてそのあとはぶっ続けで課題をやりました。この授業は課題さえ提出できれば単位取得は固いやつなので血眼になって取り組みました。疲れも取れて結構ゾーン入ってましたね。すべて提出できたのは午後11時ぐらいのこと。課題を提出した後の達成感と、この1週間やりきったという解放感は得も言われぬエモさを感じました。本当に大変でした。自分で自分をほめてやりたいくらいです。
ほかにも課題はあるのですが、期限がしばらく先なので、ここにていったん私の1週間はひと段落がついた、という形相です。長いようであっという間な1週間でした。
この1週間を通して
暇神がこの世に生を受けて20年余り、この2025年1月の1週間は人生においてダントツで濃かったと思います。バイト、ケモ、サークル、地元、課題。もちろん私の人生はそれがすべてではないですが、多くの要素がこの1週間でたくさん降りかかってきました。こうした経験が私を成長させてくれたと思ったし、こういった瞬間を1秒1秒たいせつにしていかなければならないと思ったし、もう二度とこんなハードなスケジュールは組みたくないと思いました。
睡眠を犠牲にしてまで費やしたこの1週間はとても貴重なものだったと振り返ってみて思います。再現しようにも成人式の時点でもう次はないですけどね。
でも楽しかったです。今後ももしかしたらハードな1週間がやってくるかもしれません。でもそれに直面したらこの経験を活かして、余裕を持たせつつも真剣に取り組むことを怠らないような姿勢を大事にしていきたいと思います。
最後に、ここまで読んでくださってありがとうごさいました。いつかはこの1週間のことをうまく言語化したかったので、こういった形で残せること、またみなさんの手元でこれを読むことができることを心の底からうれしく思います。今後もこういったイベントレポートや自分に起こった出来事を備忘録として文章に残すといったことを引き続きやっていきたいと思っておりますので、温かい目で見守っていただけると幸いです。