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Marioの世界観

ある時急に思いついたこと。
グランドファンディング。
2つのテーマを作り、案を練って、審査を通りめでたくサイトをつくったが、結局、成果が出ずに終了した。
案作りは大変楽しく、1週間かけて、作り上げた時にすでに達成感に淘汰してしまった。
結果はどうであれ、やった!感はあり充実した3ヶ月を送っていた。
2社に違う提案で作り上げたが、やはり文字を書くというのは、とても楽しいことだと再確認できた。
書いただけで、達成感が・・・
雑誌記者にでもなればよかったといまは思う。
ちょっと気になったことがある。
それは、お金を支援してもらうということに、なんだか拒否感のような、あとあと面倒ではないか?という気持ちが浮かんだ。
してもらうより、してあげる方が得意なのだと感じた。
ドネーションする方が得意な性質のようだ。
もらった後の相手に対する、なんだろう。
お返し制度があるのだが、やっはり知らない人からの支援はなんだか手放しで喜べない気がする。
ボランティア的な提案ならよかったのだが。
企業からなら喜べるが、個人様となるとなんとなくあとあと面倒でも出たら困るかな。
などとチラと思った。
だから、支援を受けられるのに支援を受けたくない人間が世の中にいることの意味が少しわかった。
面倒なのだろう。
人との関わりとか、気位が高いとかそんな感じなのだろう。
だから、今でもホームレスが減らない理由かもしれない。
話は飛んだが、記事に打ち込めたことは勉強にもなった。
ただ、写真が鮮明に写せなかったことに少々不満である。
あのような提案をうまく集客できるようにするには、見た目が大事で、こうして働いてますよという姿を写真として計上すると効果的で、支援する側も人となりがわかる。
このスキルが低い私は、その点だけはマイナスだった。
写真も勉強したかったのだが、なかなかそこに進めなくて・・・。
我が家の血筋のご先祖に、ジャパンタイムズの挿絵を書いていた大叔父がいる。
曽祖父は、日本画家で欄間の絵師をしていた。
美術年間にも乗っている画家である。
そんな才能は、兄にも私にも受け継がれたようだ。
兄もよく展覧会に出品するくらいの絵上手である。
私も展覧会に出品されたことが何度かある。
しかしながらこれが、裕福な家庭であれば腕前もあがっただろうが、父親が変わった人間で、趣味的ものはいずれ、なんのたしにもならないと、趣味敵習い事をさせてもらえなかった。
かろうじて、習字だけは母親が習わせてくれた。
とても良い先生だったが早くに他界され、習い事もそこでストップした。
社会人になってから自分で、生け花の師範やお茶、着物の着付け、アロマセラピスト、ハーバリスト、など生活に活用できる趣味に没頭した。
しかしながら、結局それが仕事として稼げるかというとそうでもない。
生け花は、生活に十分活かせた。
正月の生け花や、来客のための生け花、花道はおすすめである。
お茶は、はっきり言って道楽趣味で、月謝もお茶会もとても高額で嗜みの為のものであり活用には至らなかった。
最近は、身体や食生活のことが楽しくてそちらにシフトしている。
隠居生活になったら、習字や花道をもう一度習って見たいがいまは、職につながる事に集中したい。
投資で成功したら、やりたいことがたくさんある。
一度死期近いと感じた時があり、このままでは何もせずにだらだらとした人生で終わってしまう!
と感じた時に今までの3倍の速さで、人生を急いだ。
3年で、10年分くらい生きてきたイメージである。
それがあってこその今である。
かなりの方向転換をした。
180度人生が変わった。
死期を感じる時、人は大変なパワーを生み出す。
明日、他界しても後悔の無いように3年間で、運命を方向転換させた。

「あさとちゃんは生きる欲が強いんだよ!」
「生きる欲?生きることは欲な訳?」
「うん。ふふふふふ」
とネイロちゃんが笑う。

確かにものすごいパワーを使った気がする。
人間には、ストッパーがかかっていてこれを100%解除すると、体が壊れてしまうくらいのパワーが出るのだそうだ。
火事場の力持ちなどはその一つ。
小さなおばあさんでも、いざという時には箪笥を持ち上げたりすることがある。
人にはそのくらいの力が宿っている。
その力を使ったので、今は充電中である。
仕事に集中している。
仕事も長く従事するとスキルがつく。
新卒時にはわからなかった仕事のありがたさと、石の上にも3年はありだと思う。
今、仕事をすることが楽しいのである。
お金が少しづつでも溜まることが面白くて、箱入り女だったので税金の払い方も知らなかったが、自力で働いて税金を払う立場になると、お金についてよく考えることが多くなった。
自営業ほど気楽なものは無いが、働けなくなると保証がないリスクがある。
そんなスリルと戦いながら、日々働く楽しさを味わう。
外に出られた自由と、リスクを背負いながらのスリリングな人生を演じている。まるで映画のように。
箱入りのままでは、味わえなかった外の世界。
守られすぎの人生も、退屈な人生であった。
今の方が私らしくて、心地が良い。
「前世は、中東の砂占い師だよ!」
とネイロちゃんに言われる。
「あー確かに、今そんな占いに凝ってるよ」
「ね!そんな感じ、ピンクのベールをまとってるよ。今羽織ってるベール前世でもそん色の衣を着てるよ」
「こんな感じ?」
「そう。宮廷でお抱えの占い師で、宮廷に出入りしているイメージ。そこの人と暮らしているのかなあ。大層な男性が一緒にいるんだよね」
「そなの?」
「そこを出たがってるんだよね・・・」
「宮廷を?なんだろうね」
「なんだろうね!」
こんな話をいつもネイロちゃんと二人でしていた。
大好きなカフェで、いつも二人で笑っていた。
いまは、仕事が忙しくこんな話をする時間もないが、隠居でもしたら、またこんな話をしながら笑い合えるのではないかと思う。















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