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Jyväskyläって、読めない!-自己紹介もかねてー

みなさんこんにちは。「まりの in Finland」の中の人・まりのです。 

以前の投稿でも紹介した通り、noteに投稿する前はfacebookページでフィンランド留学のありのままをちまちま投稿していました。 

そんな中「もっといろんな人とつながっていけたらいいなあ」「もうちょい見やすい記事を書きたいなあ」というような理由で、noteに移行することに。 

そんなわけで、当然、noteに移行してから私の記事を読んでくださっている方は「まりのって誰?」「てかなんでそもそもフィンランドに留学してるの?」…等々、疑問が尽きないはず。  

また、今私が留学している街・Jyväskyläってどんなとこ?てかそもそもどうやって発音するの???と思っている方もいらっしゃるはず。 

そこで!今回は私の自己紹介もかねて、どういった経緯でJyväskyläに流れ着いたのかをざっっっくり説明したいと思います!! 

ーもくじー

0.私の概要

1.名前の由来   

2.小中学校時代

3. 高校時代

4. 学部時代その1ー大学入学から交換留学を志すまでー 

5. 学部時代その2ー留学前夜とヨエンスー時代ー

6.学部時代その3ー帰国後のいろいろー

7.フリーター時代、そして修士課程入学 

 

0.私の概要 

以下、私の概要です。 

名前(下の名前) まりの 

年齢 20代前半。今年年女です。 

職業 フィンランド・University of Jyväskyläにて修士課程1年目。学部・修士共に教育学を専攻。 

資格 小学校・中高英語教諭1種免許、社会教育主事任用資格、普通自動車運転免許(ペーパードライバー)、TOEFLiBT95点 

趣味・好きなこと 1日10時間睡眠、料理、大学の課題以外の書き物をすること、Youtubeをだらだら眺めること、音楽を聴く、ギターも最近ちょっとかじっている、にわかアイドルオタク(モーニング娘。`19、℃-ute, AKB48 初期のteamA、HKT48、ぁぃぁぃがいたころのエビ中が好き)、フィンランド語もっとできるようになりたい 

苦手なこと 運転、数学、計算、整理整頓、サルミアッキ、運動、早起き 

特技? だいたい何でも食べられる、だいたいどこでも眠れる  


1.名前の由来 


 私の名前はまりのといいます。 

大学で文化人類学を専攻していた母が、フィールドワークの先駆者と言われているMalinowski(マリノフスキー)さんの名前をとって、名付けてくれました。 

フィールドワーク(ethnography?)は調査・研究法の一つで、 

マリノフスキーさんのように先住民のコミュニティ等に飛び込んで行って 

調査者自身もそのコミュニティの一員になりつつ、そこで暮らす人々の様子や環境をフィールドノートと呼ばれる日記帳に日々記録していく、という、質的調査法の一つです。 

(…と、こんな理解でいいのかな?)  

小さい頃は名前を覚えてもらいづらくてあんまり好きじゃなかったけど、年齢とともに今では自分の名前に少し誇りを持ちはじめています。 

このnoteもフィールドノート…と言わないまでも、フィンランドで実際に生活している日本人の、フィンランド観察日記みたいになったらいいなあなんて思ってます。 

2.小・中学校時代


え、そこまでさかのぼる?!とお思いの方もいらっしゃるでしょうが 

小・中学校時代が今の私のアイデンティティの大部分を作ったといっても過言ではない。 

と思うので簡単に小・中学校時代の私について簡単に書きます。 

小学校も中学校も地元の公立学校に通っていました。どちらも家から徒歩10分圏内。 

東京都心から電車でおよそ1時間半くらいのベッドタウン・・・にしては超田舎。それが私の地元です。 

確か私が中学生になるまで快速電車が最寄り駅に停まらなかったんです。駅前は今でこそスーパーができたりコンビニがいくつかできたりしているけれど、小中学生のころは本当に何にもなかった。 

そんな田舎特有の?(というより郊外特有の?)何となく負の雰囲気がただよう地元でした…少なくとも私が小中学生だったころは…(今は駅前に大きなマンションが建ったりして新しい人がどんどん入ってきているので昔ほどの閉塞感は感じない)  

私の小学校は単学級で1年生から6年生まで持ち上がり。 

単学級で持ち上がると人間関係が密になるぶん、人の入れ替えがなさ過ぎて学級自体が排他的になるというか、とにかく人間関係の風通しが悪かった。 

それに加えて、私の同級生もいろいろ訳ありな家庭出身の子が多かった気がします。  

そんなわけで小学校では強固なスクールカースト制度が出来上がり、いじめは頻発、6年生ではついに学級崩壊… 

かくいう私はスクールカースト制度の最下層に振り分けられ、小学校時代の大半はいじめられていました。

クラス全員から無視される、物がなくなるなんて序の口で、トイレから出たら男子数名が私のことを待ち伏せしていて、あれよあれよという間に取り囲まれ、ぼっこぼこにされる…なんてことも日常茶飯事でした。 

友達がいないので休み時間は読書をして過ごし(その読書ですらいじめっ子が邪魔するんですけど)、帰宅後は習い事をしたりお勉強したり、はたまた読書したりして過ごしていました。 

「こんな田舎いつか出て行ってやる」という闘志に燃えていて、それが勉強するエネルギーになっていた気がする。 

そんな私にとって習い事は重要な居場所になっていました。特に、小学校以前の幼稚園時代から高校1年の終わりまで参加していた「ラボ・パーティ」と呼ばれる英語劇やキャンプ等を通じた国際交流活動は、そこで得た仲間も含めて大切な場所でした。 

そしてラボ(通称)を始めた時から私は「計算もできないし日本語の読み書きの習得も遅いけどリスニング能力だけは非常にいい」ことを母親に見抜かれていました。この時から既に私の語学の才能(といえるほどたいしたもんじゃないけど)が徐々に頭角を現し始めていたみたい。今でも修士課程の仲間から英語やフィンランド語の発音は褒められます(語彙力はまだまだだけど)。 

また、小学校卒業時点で英検3級、中学校卒業時点で英検2級を取得していました。 

英語できる人はもっとできるし、中には小学校卒業の段階で2級取得している人もいるから別に大したことはないのかもしれないけど…普通の小学生よりはちょっと英語のできる小学生でした。 

小学校を卒業し、一学年6クラスもある巨大中学校に進学してからも、英語は私の得意科目でした。地元の英語スピーチコンテストに出場して上位入賞したり、1年がかりで英検2級を取得したり、学校の英語のテストでも何度か満点を取っていました。 

私より英語のできる中学生なんて日本中にごまんといただろうけど、それでも私は普通の中学生よりは少し英語のできる中学生でした。そうだったはず。

そして!! これが中学生活の目玉となるのですが

先述した「ラボ・パーティ」の活動の一環で 

中学一年生でニュージーランドに1カ月ホームステイをしました。

全く見ず知らずの家庭にいきなり一人で放り込まれ、一カ月その家族の一員として過ごした経験は、私のコミュニケーション能力の大きな土台を築いてくれたと思います。  

さらにそのホームステイの傍ら、ホストファミリーが通う現地の中学校にも1カ月間通っていました。 

クラスメートの話す英語が速すぎて聞き取れない!!と半ばパニックになりつつも、クラスに日本人は私一人だけ、だれも助けてくれない。とにかく身振り手振りで自分のことを伝えるので必死でした。 

だけど同時に、「一生懸命伝えようとすれば必ずみんな聞いてくれる」ということにも気づきました。「コミュニケーションに必要なことは語学力じゃなくて、伝えようとする気持ち」なんだと実感しました。 

多分、この時に身に着けたガッツが、交換留学やその後の修士課程を生き抜く大きなカギになった気がする。


3.高校時代


高校時代は、「国際教養科」と呼ばれる学科に所属していまして 

毎週英語スピーチ、ディベート、ディスカッション、プレゼンテーションのサイクル!英語の課題が毎日たっぷり課され、正直 

今の修士課程と同じくらい、場合によってはそれ以上にハードな学生生活を送っていました… 

朝8時半から学校が始まって、そのまま6限(日によっては7限)まで授業受けて、部活(美術部)の活動をして、7時半くらいに帰宅。その後ご飯食べて課題やって寝落ちして課題やって気づいたら窓の外が白み始めて… 

という日々を過ごしていました。 

しかも高校一年生の当時から某国立大学教員養成課程を目指していたので、どの科目も手が抜けない。 

苦手な数学や理系科目も、英語と同じくらい全力投球で勉強しなきゃいけなかったのは本当にきつかった。 

でも大変だった分、得たものも大きかった。特に仲間。この時期にできた友人とはいまだに連絡をとるほど仲が良いです。小学校時代いじめられっ子でちょっと人間不信になっていた私は、10年近く付き合える仲間ができるなんて思ってもみなかったよ。高校時代の仲間は大変な学生生活を共に切り抜けた同士という感じかなあ。

あとは、基本的なパソコンのスキル。高校にしては珍しく課題はすべてデータで提出しなければならず、それがパソコンの基本操作をマスターするきっかけになりました。この時に得たパソコンの経験とスキルがあるから、電子化が進んでいるフィンランドの修士課程でもなんとか生き延びられているのかも。 

そして何より「英語力」。なぜか母親から「高校卒業までに英検準一級取得」を強要され笑、文句言いつつも日々英語学習を頑張っていました。その結果その目標を高3の10月にどうにか達成。 

あとは高2のときに英語ディベートの全国大会に出場したのも、英語力向上につながったと思います。 

そんなこんなで毎日大量の課題をこなしつつ、苦手な理系科目の勉強も頑張り、卒業時にはかねてから進学したいと思っていた某国立大学教員養成課程に合格します。 

4. 学部時代その1ー大学入学から交換留学を志すまでー  


…と言うと、 

「そっか、英語が好きだから英語の先生になるのかな?」 「まりのは英語教育を専門に勉強しているの?」

という声がちらほら聞こえてきますが 

私が学部時代に専攻していたことは小学校教育と教育心理学 

副専攻で中等英語教育の授業もとっていたけれど、主に学んでいたことは 

小学校で学ぶ全科目の内容と教え方の基礎(教科内容と教授法)」「子どもや人間の心理的発達に関すること(発達心理学)」「効率の良いものの覚え方や学習方法(学習心理学や行動主義)」 

なんです。(卒業論文の指導教官も家族心理学や児童心理学を専門とする先生でした!) 

つまり学部時代は英語や語学に関することを専門にしていなかったんです! (修士課程の専攻も英語教育や第二言語習得ではないよ!!)


「え?!」「なんで??」という読者の戸惑いの声がちらほら聞こえますが… 

その理由は主に三つあります。

 

一つ目は「英語がいやになっちゃった」 

振り返れば幼稚園から高校までずっと英語を勉強していて、逆に言うと「英語しかできない、知らない」状態に近かった私は 

高校入学直後に「英語だいっきらい!!!」になってしまいました。 

英語はもちろんのこと、どの科目も課題が大量に出されていた高校時代、ちょっと過呼吸になりながら登校していた時もありました。 

でも英語を勉強しなきゃいけない、英語嫌いだけど英語しかない…と、高校時代は悶々としていて 

「とにかくこの高校を出て行ってやる、そして英語以外のことを勉強してやる」 

という気持ちが、受験勉強の大きなモチベーションになっていました。 

それが、学部の専攻を語学や国際関係学、英米文学等英語力が必須の専攻にしなかった大きな理由です。 

 

二つ目の理由は「英語で何か別の専門領域について学びたかったから」

先ほども述べたように「私には英語しかない」ということに気づいた高校時代 

「英語以外にもう一つ、私の武器がほしい!!」と思うようになります。 

学部時代に主に学んでいた心理学は、英語の文献が多いんですよ。(英語の文献講読の授業が学部でも必修だった) 

「英語を学ぶ」というよりは「英語で他領域について学ぶ」ことに興味があったので、それが実現しそうな心理学が学べる学部を選びました。


そして三つ目の理由は「学校からいじめをなくすにはどうしたらいいのか知りたかったから」 

小学校時代いじめられっ子だった私は、いじめられ始めた当初から「なんで私だけいじめられるんだろう」「なんで私だったんだろう」とずっと考え続けていました。 

さらに中学校でホームステイを経験し、異なる文化背景を持っていても心が通じ合う経験をした私は、自身の小学校での経験と比較して「なんで同じ国から来た者同士分かり合えないんだろう」と思うようにもなりました。  

 

そんなわけで、いじめの原因を学ぶのは心理学の領域だ!と思ったのと 

当時の主な関心が学校における児童生徒同士の人間関係だったこと 

さらに 英語が嫌いで、かつ英語以外の強みを持ちたいと思った私は、 

学部で教育心理学と小学校教育を主に学ぶことになります。 


だから大学に入学してからの半年間は必修の英語の授業(4単位)以外、全く英語を勉強しませんでした。楽しかった!!

その一方、小学校教育について学んでいたため、苦手な数学や体育もやらなければなりません。必死こいて練習して18歳にして初めて逆上がりができるようになるなど、ある意味視野が広がった時期でもありました。

 

でも…英語を学ばなくていい、ストレスフリーな生活の中で、私は意外にもこんな風に感じるようになっていました。 

「英語の勉強がない生活はさみしい」 

高校に入るまで英語が好きか嫌いかということも全く考えずにやってきました。それが高校入学後ある種英語アレルギーになって、その結果学部ではあえて語学を専門にはしませんでした。 

英語の学習と距離を置くまで気づく由もなかったのです。「英語は私のアイデンティティの一部なんだ。私は英語と一生涯付き合っていくんだ。もう私と英語は切っても切り離せないんだ」ということに。 


と同時に、卒業と同時に海外の大学に進学したり、日本の大学で語学を極めている高校時代のクラスメートを見て、「私ももっと英語できるようになりたい。私の英語力はこんなもんじゃない!!」と思うようになります。 

そして、海外での長期滞在を目標に、あれだけ嫌いだった英語の勉強を大学一年の夏休みに再開します。  

さらにちょうどこのころから学部での交換留学を真剣に検討するようになります。大学の留学相談室に赴き、必要な英語力やお金のことなど、情報を集めました。それで、「TOEFL iBTで80点以上あればだいたいどの国でも留学できるようだ!」ということを知り、iBT80点を目標に英語の学習をスタートさせました。 

 

と、ここまでつらつら書き連ねてきましたが、なんだかむちゃくちゃ長くなってしまったので、その後のことはまた別記事に書きたいと思います!(えー)  

というわけで続きは後編で!ああまだJyväskyläって読めない!ごめんね!!


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まりの in Finland
そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…