「キャンディは銀の弾丸と飛ぶ」第2話
「チホミン、明日も次の土曜も、やっぱり習い事?」
部活動の帰り道、里沙にそう尋ねられた千穂実は、あっさり「うん」と答えた。
「最近なかなか一緒に遊びに行けないね。あたしはあたしで日曜日が料理教室だし。ねえ、たまにはサボったら? なんて」
「駄目だよ、お金出してるの親だし」
仮面のヒーロー、シルバーブレットに命を救われ、彼のサイドキックになると決意したあの日以降、千穂実は少しずつ体を鍛えており、最近では痴漢や変質者対策を理由に舞翔市内のカルチャーセンターで護身術を習っている。
「受講料は自分で払うつもりでいたんだけど、駄目元で話してみたら、サボらないって約束で全額払ってくれる事になったんだ」
「へえ、良かったじゃん」
明急線美晴ヶ丘駅ホームのベンチに座り電車を待つ間、二人は今日一日の学校での出来事を話し合った。特に盛り上がったのは古典教師の沢田に関する内容だ。
沢田は四〇代前半だが、五〇歳だと言われても違和感のないくらいに老けた容姿の男性教師だ。猫背でボソボソと喋り、授業中に生徒が寝ていようが騒ごうが早弁していようがほとんど注意しないので、一部からは完全に舐められている。しかしここ最近、急に豹変してしまったのだ。
「今日も怒ってたね! 青木君と日村君が喋ってたら『お前ら、俺の授業が黙って聞けねえんなら今すぐ消え失せろ!』だっけ? 教卓まで叩いちゃってさ、今までで一番怖かったかも」
千穂実は頷いた。「何かあったのか、それともあれが本来の性格なのか……どっちだろうね」
「まあ、青木君たちも古典に限らず結構うるさいし、あのくらい言われなきゃわからないだろうからね。チホミンも気を付けなよ? 時々ボーッとしてるでしょ」
「え、何、わたしを監視してるの?」
「たまたま視界に入るだけですよーだ。否定しないって事は間違いじゃないんだ?」
「……まあね」
千穂実にとって重要なのは、大昔の読み辛い物語なんかではなく、巷を騒がす仮面のあの人だ。
「あ、レイトン君。お疲れー」
二人の前を通り過ぎようとした一人の男子生徒に、里沙が声を掛けた。男子生徒は呆れたような面倒臭そうな表情で振り向いた。
「レイトン君って帰宅部じゃなかったっけ。この時間まで何してたの?」
「別に何だっていいだろ。つうか、その呼び方やめろ」
レイトン君こと八神礼人は、千穂実たちのクラスメートで、千穂実の右斜め前に座っている。運動能力に優れ、容姿も悪くないため女子生徒からの人気が高い。レイトン君というあだ名は里沙が勝手にそう呼んでいるだけで、周囲には定着していない。
「あ、ここ座る? あたしとチホミンの間。特別サービスだよ?」
里沙がケラケラ笑うと、礼人は「結構だ」とだけ言い、ホームの後方へ去って行った。
「ノリ悪いんだから」里沙は口を尖らせた。
「まあ、いつもあんな感じじゃない」
「そうだけどさあ……」
里沙が礼人を見やり、千穂実もつられた。礼人はスマホの画面を食い入るように見つめており、その表情には僅かに笑みが浮かんでいる。
「何見てんだろね。エロサイトだったり?」
里沙が鼻で笑うと、千穂実は苦笑した。
二〇時〇五分。
「じゃあ、ちょっとひとっ走り行ってくるね」
私服から学校のジャージに着替えた千穂実は、リビングで寛いでいる両親に声を掛けると自宅を後にした。護身術を習うのとほぼ同時期に、体力作りのためのランニングを始めたのだ。
両親は変質者や交通事故の心配をするが、自宅周辺の短距離を二、三周するだけであり、夜といえども街灯や住宅の明かりのお陰であまり暗くない。そして万が一の時に備え、スマホと防犯ブザーの入った黒いウエストポーチを着用しているので、千穂実自身は楽観的だった。
──護身術だってちょっとは覚えたんだからね。
自宅から反時計回りに三周。今日も護身術や防犯ブザーの出番はなく無事に走り終え、千穂実は自宅へと戻った。本当はもっと走り込みたいのだが、今の千穂実の体力ではこれくらいが限度だった。
二階の自室へ入り、ウエストポーチを外しスマホを取り出すと、トークアプリに里沙からメッセージが届いていた。
〝仮面のヒーローがまた現れたらしいよ!〟
千穂実は早速返信した。
〝何処に?〟
里沙からの返信もすぐに届いた。
〝亀見区。酔っ払い同士の殴り合いを止めたって〟
「って事はまた浜波か……もっと舞翔市にも来てくれないかな……あの時みたいに」
〝情報ありがと。また現れたらお願いね(笑)〟
〝わかった! じゃあまた来週★〟
千穂実は顔文字スタンプで返信すると、スマホを勉強机の上に置き、風呂に入る支度を始めた。
顔文字スタンプのみの返信を確認すると、里沙は腰を下ろしているベッドの枕付近に、放るようにスマホを置き、小さく溜め息を吐いた。
千穂実がアメコミヒーローや格闘、アクションものが大好きなのは以前から知っていた。仮面のヒーローに興味を抱くようになるのもわかっていた。可能ならば、会いたいという望みを叶えてあげたい。親友の喜ぶ姿を見たい。
でも、それは許されていない。
「ごめんねチホミン……誰にも話しちゃいけないって言われてるからさ……」里沙はポツリと呟いた。