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「やるしかない。」は、果てしなく強い。

こんにちは!
中2から5カ国に転々と住み、6カ国目にあと数週間で引っ越す予定のデザイナー、キャドまりん(@marinkadlec)です。

最近改めて「やるしかない。」と強く思ったことがあって。その心境にいくと細かい悩みってなくなるんですよね。ゾーンに入るっていうか。今まで不安だった事や、悩んでた事も、急にすごく小さなことに思えて、時間は止まってくれないし、もう始まっちゃったんだからこのまま進み続けるしかない。って事は、悩んで余計不安になるより、実際に行動して自分で試してくしかないっていうか。

例えば、ジェットコースタに乗ってしまった後に怖くなっても、後戻りできないから終わった時のことしか考えない。みたいな感じかもしれない。

こういう気持ちの切り替えってある意味大事なんじゃないかなって思って、気持ちが熱いうちに、私の「やるしかない。」の思い出話をnoteに書きとめてます。

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私が初めて「やるしかない。」って思ったのは、きっと14歳になりたての1月。地上1万メートルくらい上の、ニュージーランドの北島が見えてきたかなってくらいの飛行機の中。

小学校の時、地元の友達と同じ公立の中学に進みたかった私は、教育ママだった母親を1年かけ説得し、中学受験をあきらめてもらった。私が小さい時から教育熱心だった母親は、公立の中学に行くくらいなら留学した方が良いと私に留学を進めてきた。最初は猛反対していた私だけど、中学生になり、簡単で単調な授業、クラスの女子がグループに別れて団体行動する独特の雰囲気、家庭環境の悪化、馴染めない先輩後輩の関係、だんだんと精神的に限界になり自分の状況がどんどん嫌いになっていった。希望も夢もなく、自分の人生も将来も、他人ですらどうでもいいと思っていた。今思えばなんて自己中で贅沢な悩みだと思うけれど。

そんなこんなで留学することに同意した私は、図書館や本屋でリサーチして、英語圏の中で安全、安い、英語力が問われなく、中学生でも受け入れてくれるニュージーランドに行く事に決めた。今のようになんでもインターネットに情報があるわけでもなく、大したリサーチもせず、コネも無く、英語も喋れず、気がづけば重たいスーツケースと大量の手荷物と共に関西空港に立っていた。

全く想像もつかない未来への不安は無く、「今の状況より悪い状況があるわけがない。」と、涙も流さず家族に別れを告げ、1人でゲートをくぐっていた。日本発の飛行機の場合、日本語でもアナウンスがあるし、日本人の人もたくさん乗っていたので変な安心感があったのかもしれない。

私の便は、大阪からニュージーランドの南島のクライストチャーチまで行き、そこで小さい飛行機に乗り換えて北島のオークランドまでいくものだった。クライストチャーチで降りて初めて目にした異国。緊張はしたものの、遠足のようなワクワク感で心が満たされていた。小さい空港内で、乗り継ぎ飛行機のゲート前のソファーに座り、窓越しに初めて見たのニュージーランドの芝生と日差しを今でも覚えている。

問題は、その小さい飛行機だった。大阪を出たジャンボジェットとは違い、ダントツで現地の人が多数。日本語のアナウンスももう無い。だんだんと窓から見えてくる北島。

そこで初めて私は、これから英語で入国審査を終わらせ、ピックアップの人を探し出し、何か買い物をしてニュージーランドドルの小銭をつくり、公衆電話を探し、家に無事ついたと連絡を入れなければいけない事に気づいた。英語もわからず、周りに頼れる人もいない。「すみません。」と声をかけられる人さえいなかった。私の心はあっという間に、不安と恐怖でいっぱいになった。

到着まで残り20分あるかないかの所で、英会話の本を取り出し、入国審査のシチュエーションらしいページを開き、必死にカタカナを覚える。心臓がバクバクしていて全く頭に入ってこない。飛行機は高度を下げ始め、CAの人が椅子の位置や、テーブルを戻しに巡回して来た。

この時人生で初めて、「やばい、でもやるしかない。」のスイッチが私の中で入ったと思う。

近づいてくる緑の島を見ながら、急にプツッとなった。わからない事を心配しても何かが変わるわけでは無い。なら心配する事になんの意味があるんだろう。頭の中でいくら予行練習をしたって、Hello, where are you from? 以上の質問なんて想像すらつかないのに、回答を用意するなんて無理。飛行機を降りて、人の流れにそって歩く私の足取りは、確実に日本にいた頃の私とは変わっていた。

自分が発言しないと、代わりに答えてくれる人はいない。自分がやらないと、どうしようもない。1歩1歩進むごとに、責任感と度胸が私の心に芽生えていった。

正直ほぼ何も聞かれなかったと思う。迎えに来てくれた人は私の名前を書いた紙を持っていたし、ハロー以上に会話はなかった。その時に小銭をくれ、公衆電話に連れていってくれたので、家へは無事すぐ電話を入れることができた。その後、マクドナルドに連れて行かれ、メニューを見せられたが何1つ単語が読めず、唯一読めたFishを指差し、フィレオフィッシュと言ったのはよく覚えている。(普通のバーガーが英語ではQuarter pounderって言うなんて…。)

***

わざわざ過去を振り返って何が言いたいかというと、結局人間は、どうしようもない状況で独りになると、前に進むしかないって事に気づくんだと思う。私はそうして新しい自分の1面に出会えた。

想像している状態のほうが、実際に直面している時よりはるかに怖いのかもしれない。想像力は尽きないから。入るまでは暗くて長いトンネルのように見えるかもしれないけれど、入ってしまえば、歩き続けさえいれば、終わらないトンネルなんて無い。私にとって、新しい学校も、初めてのセックスも、親の死も、疎遠の親戚との再会も、想像している時は考えてるだけで不安しかなく、有り得る限りのシナリオを頭で考えてた。でもその状況になると、自分の代わりはいなくて、逃げても何の解決にもならない事を知っているから、それをその状況に直面する力に変えることができる。

私は今6カ国めへ引っ越し準備を進めている。この国でしばらくは落ち着きたいと心から願うけれど。ビザの申請や、労働許可、クライアント探し、お金のやりくり。不安な事は尽きないし、将来の確約も全くされていない。

不安じゃないかと言われればものすごく不安で、怖い。本当にやっていけるのか、無事友達はできるのか。正直、引っ越しの用意をしている今が、一番怖い。

だから、もう一度、「やるしかない。」に戻って、できることからコツコツやっていこうと思う。

私にもできるなら、誰にでもできる。
誰かの励ましになればいいな。

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