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妊娠25wで出産!?妊娠中に急性虫垂炎(盲腸)になった話|②切迫早産と緊急帝王切開

こんにちは。外資系企業でワーママしながらキャリアアドバイザーをしています。昨年(2024年)10月、妊娠中に虫垂炎の緊急手術を受けるという大変な経験をしました。結果、切迫早産となり、翌週に妊娠25w0d(7ヶ月)で795gの二男を出産しました。今はNICUで退院に向けて頑張っています。現在は育休中です。

本noteの前編はこちら。

前編からの続きになります。
内容としては手術・出産の痛みを連想する描写になるので、苦手な方はここで引き返していただければ幸いです。


10月28日(月)切迫早産、食事開始

24w4d。切迫早産(早産になる寸前の状態)になっているようだ、ということで点滴治療を開始しました。てっきり数日で退院できると思っていたら、このまま出産まで入院になる可能性がある・・と告げられて頭が真っ白に。

仕事も先々の予定も何もかも放り投げてきてしまったので、夫にPCを持ってきてもらい、関係各所に連絡を入れていきました。幸い、業務の引き継ぎは早々に開始していたので大きな混乱はなかったかもしれませんが、職場のメンバーには負担をかけてしまい心苦しい気持ちでした。

日本は世界でも多くの低体重児の蘇生に成功している医療が発展した国の1つですが、22w未満では生存できないので蘇生できません(というかしません)。22〜23wの生存率は66.1%、24〜25w生存率は86.5%。生存できる22wの壁は超えているとはいえ、28週未満で出産となり早産児となった場合は様々なリスクが伴います。1日でも長くお腹で育てられるように、絶対安静が必要でした。

治療内容としては、不用意に立ち歩かないこと、そして点滴でリトドリンとマグセントを投与されました。切迫早産で入院する方の多くが経験する治療のフルコースのようです。

そして、ここまで痛みが出てから手術を終えるまで絶食が続いていました。重湯や出汁を飲むだけの食事が続いていましたが、ようやくお粥や普通のおかずを食べられるようになり、薄味の病院食がこんなにも美味しい・・と感動しました。

10月29日(火)手足の震え、歩行困難

24w5d、投与されているリトドリンという点滴の副作用で歩行困難になりました。手の震えと動悸が強く、胸が苦しくなり本当に辛かった記憶です。血圧も低く血中酸素の濃度も下がっていたので、赤ちゃんが苦しくならないように酸素マスクをつけました。そしてマグセントが加わる頃には足の筋肉が緩み切ってしまい、一人で立ち上がることも出来なくなりました。助産師さんや看護師さんの手助けなくトイレにも行けず、完全な要介護状態となりました。

切迫早産で何ヶ月も入院する女性はよくいますが、こんなにも大変な思いをしていたなんて・・と無知を痛感しました。結果的に私がこの点滴を受けたのは1週間程度でしたが、あまりのしんどさに涙が止まりませんでした。献身的にサポートしてくださった助産師の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

気がついたら1週間お風呂にも入れず髪も洗えていない状態。身体を拭いてもらったり、着替えを手伝ってもらったり、ベッドの上で洗面器を抱えて歯を磨く日々。。鏡に映る自分の顔が別人のように蒼白で、食欲もわかず、このまま死ぬのではないかと思いました。

長男を出産した時の総合病院に入院していたのですが、長男がお腹にいるときに診察してくださった女性の先生が偶然当直でいらしたので再会できました。突然帝王切開になってしまったら説明をしっかり聞くことができないまま手術で不安だと思うから、そうならないように願っているけど、お守りがわりに先に説明して渡しておくね、と同意書や事前説明の用紙をいただきました。この時点で帝王切開になるリスクがかなり高かったのだと思います。

10月30日(水)検索魔になっていく

24w6d、引き続き、リトドリン、マグセント、時々フェンタニルの投与。フェンタニルのフラッシュ投与量は減ったもの、リトドリンとマグセントの点滴は投与できる最大量に達していました。

また、点滴を入れている血管が限界に達したので差し直してもらったのですが、血管を見つけるのが難しい腕のようで、新人→ベテラン助産師に交代してもなかなか刺せないということがありました。失敗や差し直し、採血の跡を含めると10ヶ所近い注射跡が残り、一部はアザになっていました。

スマホを見ることしかできないのでNetflixやYouTubeを観て気を紛らわそうとするのですが、気がついたらGoogleやSNSで妊娠中の虫垂炎や早産で生まれた場合の赤ちゃんの予後についてばかり検索していました。そして、アマプラでコウノドリはシーズン1とシーズン2をフルで何度も観直しました。出産と子供の予後が不安で、でも何か調べていないと落ち着かなくて、毎夜泣いていました。

10月31日(木)緊急帝王切開

25w0dになったばかりの夜1時頃、突然の出血。水風船を割ったような破水に近い感覚だったと思います。みるみるベットが血の海と化していくのでナースコールで助産師さんを呼ぶと、血相を変えてそのまま診察台へ連れて行かれ、当直の先生を呼んでくれました。

その後、すぐにLDR(分娩室)に運ばれました。「多分、このまま帝王切開の手術になるから」「ご主人を呼んで」と慌ただしく術前の準備が進みました。夫が病院に到着する頃には覚悟は決まっていて、もう赤ちゃんの生命力に賭けるしかない、という気持ちで手術室に向かいました。

一番怖かったのは、脊椎麻酔と硬膜外麻酔。いわゆる、背中から針を刺して硬膜の外にカテーテルと呼ばれる管を入れて麻酔薬を注入する方法です。下半身にだけ効く麻酔で、妊婦は意識があり、医師との会話もできます。虫垂炎の手術は全身麻酔だったので眠っている間に全てが終わっていて記憶がないのですが、脊椎麻酔と硬膜外麻酔は下半身も触られているような感覚は、あり、上半身の意識はハッキリしています。

麻酔が効いてくると、自分がゴム人間になったようにフワフワした感覚がありました。麻酔の効きを確認するために凍ったペットボトルのようなものを全身に当てられて、冷たいと感じるか聞かれました。確かに、下半身には何か当たっているような感覚があるのに、冷たさを感じませんでした。顔や腕に当てられると、確かに冷たい氷を触る時の感覚がありました。

そして、手術が開始すると医師の話し声やお腹を切って処置をされている感覚がわかったので、怖くてたまりませんでした。と同時に、赤ちゃんは無事なんだろうかという不安と、産声は聞けるのだろうか、早く会いたい、という期待と、こんなに早く出産することになってごめんね、という申し訳ない気持ちが交錯して、感情がぐちゃぐちゃになりました。

体感としては麻酔開始から1時間くらい経過した頃、元気な産声が。もしかしたら産声は聞けないかもしれないと思っていたので、大きな声で泣いてくれてとても安心しました。すぐに新生児科の先生が処置をしてくれて、NICU(新生児集中治療室)に運ばれていきました。

二男は、超低出生体重児として795gで無事にこの世に生まれました。低体重児(昔は未熟児と呼ばれていた)の中でも1,000未満で生まれた子を超低出生体重児と呼ぶそうです。これまで手術や点滴治療など、沢山負担をかけてしまったので、医療体制の整ったNICUで24時間体制で診てもらえることに安堵する気持ちが一番大きかったと思います。

最後に

ここまでお読みいただいてありがとうございました。
途中、感情が入り乱れてしまい乱文になりましたが、壮絶な1週間を支えてくれた家族や医師、助産師、看護師をはじめとするスタッフの皆さんには感謝してもしきれません。日本の医療って素晴らしいです。

妊婦が虫垂炎になるなんて思ってもいなかったのですが、毎年1%でも同じ状況になる妊婦さんがいらっしゃると聞いたので、何かの役に立てばと思います。

これを書いている2025年2月現在、795gで生まれた息子はNICUでどんどん大きくなって1,900gを超えました。母子ともに元気です。紆余曲折ありましたが、春には退院できることを目指しています。息子の成長や予後については、また別の機会で書きたいと思います。

心配してメッセージをくださったり、温かいサポートをくださったすべての皆さんに、心から感謝申し上げます。


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江﨑 麻里奈(えさき まりな)
応援ありがとうございます🥺❤️ 息子のおもちゃ👶🍼を買わせていただきます✨